私たちは皆自由に生まれるが、それを忘れる~『キャプテン・マーベル』(ネタバレあり)

 『キャプテン・マーベル』を見てきた。

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 記憶喪失になった女性ヴァース(ブリー・ラーソン)はクリー帝国の特殊部隊員としてヨン・ロッグ(ジュード・ロウ)から訓練を受けていた。ところが最初の大きなミッションで失敗し、1990年代の地球に墜落する。S.H.I.E.L.D.のエージェントであるニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)に最初のうちは追われるが、結局味方になって2人で調査をするうち、ヴァースは自分が地球にいたことがあるのに気付いて…

 

 この映画の一番大事なテーマは、人は皆自由に生まれるもので、誰でも自由になる権利があるが、ちょっとしたきっかけでそれを忘れてしまうということだ。中盤くらいからだんだんわかってくるのだが、ヴァースの恩人であるローソン博士(アネット・ベニング)を殺したのは実はヨン・ロッグで、クリー帝国の特殊部隊はヴァースが身につけたスーパーパワーを支配し利用しようとしていた。特殊部隊で特訓を受けていたヴァースは自分の意志で一生懸命生きているつもりだったが、実は知らないうちに搾取されていたのだ。それを知ったヴァースはキャロル・ダンヴァースという元の名前と記憶を取り戻し、敵だと思っていた宇宙人であるスクラルたちの自由のため戦う。自らの力を努力で解き放ち、ヨン・ロッグのペースにものせられずに我が道を行くことを決意するキャプテン・マーベルことキャロルは、自分の力で自由を取り戻した。

 これはスーパーヒーローの現実離れしたお話みたいに見えるが、実は世界のどこでも起こっていることだ。私たちは本当は皆、生まれながらに自由であるはずだが、成長するにつれて社会の規範を内面化してしまい、自由であったことを忘れる。でも、この忘れてしまった自由はいつでも取り戻すことができるし、自由になるのを恐れてはいけない、というのがこの作品のメッセージだ。キャロルは名前を記憶を取り戻したが、それによって自由になった。

 そしてここですごく大事になるのが全編を彩る90年代の音楽だ。ちょっと見ていて衝撃を受けたというか、「これ選曲したの私だろ」としか思えなかったくらい、90年代に育った私の趣味ど真ん中である。キャロルの子供時代の場面はハートの"Crazy on You"で、エラスティカの"Connection"、ガービッジの"Only Happy When It Rains"、デズリーの"You Gotta Be"、ノー・ダウトの"Just a Girl"、最後はホールの"Celebrity Skin"だなんて、高校生の私のMDかと思うようなラインナップである(エラスティカを2019年も忘れてないのは私だけかとあきらめてた)。そしてここからわかるのは、90年代のロックはすごく女子のためのもの、フェミニスト的だったのに、みんなそれを忘れていたということだ。でも、この映画のキャロルが私たちにそれを思い出させてくれた。90年代のロックのわくわくするような女の子のパワーと一緒にキャロルの記憶が戻ってくるのだ。

 90年代のロックは、イギリスのブリットポップアメリカのグランジもわりとアンドロジェナスなところがあり、ライオットガールみたいな女性のロックのムーヴメントもあった。その後ファッションも音楽もけっこうハイパーフェミニンな方向性に触れるので今だとわかりづらいところもあるのだが、地球に落ちてきたキャロルが着ているのは、フューリーが言っているようにいかにもグランジでアンドロジェナスな格好だ。そしてグランジといえばニルヴァーナなのだが、ニルヴァーナの"Come As You Are"が、ローソン博士の姿を借りた人口知能とキャロルが戦うところでなんともいえないイヤな感じで使われている。他のガールズロックがいかにもキャロルのパワーを象徴しているような使い方である一方、このニルヴァーナはなんとなく暗い。そして最後にかかるのがホールの"Celebrity Skin"であるわけだが、ホールのフロントウーマンであるコートニー・ラヴはもちろんニルヴァーナのフロントマンだったカート・コベインのパートナーだ。ホールがカートの死の直後に出したアルバムは『リヴ・スルー・ジス』(これを生き抜け)で、その次に出たのが"Celebrity Skin"をタイトル曲とする『セレブリティ・スキン』だ。『セレブリティ・スキン』はそれまでのホールのノイズっぽいサウンドとは違い、暗いところや皮肉なところはあってもとても力強く、生き生きしている。つまり"Celebrity Skin"はカートの死というとてもつらい体験を乗り越えて、ニルヴァーナ(奇しくも涅槃という意味である)がなくなった後も生き続けているホールの生存の力についての曲だった。この曲で『キャプテン・マーベル』が終わるのはすごくふさわしい。キャロルも記憶の喪失や大事な人の死を乗り越えて、ものすごく生き生きと自由に生きてるからだ。

 たぶん、少なくとも私が見た映画では、90年代の風俗をこんだけちゃんと描いた時代劇映画はあんまりなかったと思う(ブリットポップの時代の音楽を使って何かを表現しようというのは『ワールズ・エンド/酔っぱらいが世界を救う!』もやってたが、あれは時代劇じゃなかった)。そして90年代が私の子供時代そのまんまなので、爆釣なわけである。そして子供時代についての時代劇が作られるということは、私はもうおばあさんだということだ。ばあさんでいいじゃないか。自由なババアとして生きよう。

 

 …そういうわけで、ちょっと思い入れがあるのでハイテンションなレビューになってしまったのだが、この映画はキャロルと空軍の同僚である親友マリアやローソン博士の信頼を中心とする女性同士の絆はもちろん(ベクデル・テストはもちろんパスする)、それ以外の人間関係についてもとてもしっかり描いているし、くだけた感じのユーモアがあるキャロルのキャラクターも素晴らしく、非常によくできていると思う。

 ただ、ひとつ欲を言うと、次の段階のスーパーヒロイン映画はヒロインが軍隊に入るところから始まらないでほしい。『アナと雪の女王』のアナやエルサは王女、ワンダーウーマンは王女で戦士で半分神、キャロルはアメリカ空軍の軍人で、かなり特殊な専門教育を受けている上、みんな国家とか体制を率いる権力に結びつきやすい仕事をしている人たちだ。とくにキャロルはアメリカ空軍をヒントにコスチュームをアップデートしていたりして、かなり空軍パイロットとしてのアイデンティティが強いところがちょっとアメリカ中心主義的だし、かつバックグラウンドとして特殊である(キャロルはものすごくマイペースなので、あまり体制的な軍人らしさが鼻につくところはないのだが)。次のスーパーヒロインはスパイダーマンアントマンみたいに、私たちと同じような何の権力もないそのへんの近所のねーちゃんから始まってほしいと思った。