アルフォンソ・クアロンの悪い癖~『ROMA/ローマ』(ネタバレあり)

 Netflixでアルフォンソ・クアロン監督の新作『ROMA/ローマ』を見た。配信だが、話題作だし一応新作なのでレビューしようと思う。

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 舞台は1970年代初頭、メキシコのコロニア・ローマで家政婦として働く先住民の女性クレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)がヒロインである。ミドルクラスの家庭に住み込みで働き、家族から愛されているが、ある日妊娠に気付く。ところが武術にハマっている恋人フェルミン(ホルヘ・アントニオ・ゲレーロ)はろくでもない男で、自警団(ロス・アルコネスという政府を支援する武装組織らしい)に入ってクレオを捨ててしまう。クレオは雇い主の家族に頼るが…

 

 モノクロの計算された画面が大変美しい映画である。先住民のヒロイン、クレオがちゃんと奥行きのある魅力的な人間として描かれているところも良い。しかしながら個人的に全然趣味じゃなかった…というか、2つの点で好きになれなかった。

 

 ひとつめは、クレオの女主人であるミドルクラスの女性ソフィア(マリーナ・デ・タビラ)やその母テレサ(ヴェロニカ・ガルシア)がやたらとクレオに優しく、理想化されすぎているということだ。クレオは勤め先でものすごく愛されており(女同士の話がたくさんあり、ベクデル・テストはパスする)、未婚で妊娠したことを打ち明けてもソフィアはそんなにショックを受けずに心配するだけだし、テレサクレオに優しい。シスター同士で助け合うのはもちろん美しいことだし、クレオは誰からも敬意を払われてしかるべき善良な女性なのだが、それでもミドルクラスとその使用人の間の垣根がこんなに簡単に取っ払われてしまうのは理想化のしすぎだと思う。なんかもうちょっとソフィアやテレサがショックを受けて何かのきっかけでそれを乗り越えるとかいうような描写があれば多少マシだと思うのだが、そういう葛藤すらないので、全体的にミドルクラスの女性たちを美化しすぎだ。これではヒロインが白人の救世主に助けてもらうだけの映画になってしまう。正直、いまどきこういう映画を作るんならダグラス・サークの映画とかを見直すだけで十分なんじゃないかと思う。

 

 もう1つは、男たちの世界が非常に政治化されている一方で、女たちが非常に非政治的で、家庭という美しい空間を守る存在として描かれていることである。外の世界では政治暴動が起こっているのに、この映画で女たちがいる空間は極めて個人的で、人々が助け合う理想化された場所のように描かれている。彼女たちが政治的になりうる契機は全然ない。この映画においては女たちのいる非政治的である意味逃避的な空間のほうが持ちあげられているのだが、こういう非政治の美化及び女性化みたいな描き方は、私は個人的に受け入れられないところがある。

 

 そして、クアロンの前作『グラヴィティ』にもこういうところはあったなーと思う。途中まではすごくフェミニズム的で女性の描き方に奥行きがあるように見える…のだが、微妙なところで台無しになるのである。『グラヴィティ』ではストーン博士がイケメンジョージ・クルーニーの幻想を見るところで私はずっこけた。『グラヴィティ』にも妙に家庭志向なところがあったし、たぶんこれは作家性なんだと思う。