宮沢りえの美しくない瞬間~『死と乙女』(ネタバレあり)

 アリエル・ドーフマン作、小川絵梨子演出『死と乙女』を見てきた。映画化もされている有名な作品で、見るのは今回が初めてである。

 舞台は南米の某国(ドーフマンの出身地であるチリと似ているが、おそらくあえてぼかしてある)、長年の独裁政権が終わり、ジェラルド(堤真一)は大統領から前政権による非人道的な犯罪を調査する委員会の委員に指名されることになる。妻のポーリーナ(宮沢りえ)は反政府運動の際に激しい拷問と性的暴力を受けたためPTSDを患い、今でもフラッシュバックに苦しんでいる。ある日、ジェラルドの車が故障し、助けてくれた医師ロベルト(段田安則)を連れて帰ってくる。ポーリーナは声やにおいから、ロベルトこそ目隠しをつけて自分を拷問した謎の医者だと確信し、ロベルトを監禁して白状させようとする。しかしながらポーリーナは自分を拷問した相手の顔を見たことがなかった。ジェラルドはポーリーナとロベルトの板挟みになり…

 

 ものすごく重いテーマを扱った難しい芝居で、おそらく演出でどちらにも転ぶと思われるのだが、この演出はわりと#MeTooなどに即した現代的な演出にしている。郊外の家の一部屋が舞台なのだが、あまり動きのなさなども感じさせないしっかりしたプロダクションだ。

 

 役者陣は3人とも大変良かったのだが、私が一番感銘を受けたのは宮沢りえ演じるポーリーナが美しく見えない瞬間がけっこうあるということだ。もちろん、いつもの美しい宮沢りえなのだが、こういうトラウマを扱った芝居では、登場人物があまり美しく見えてはいけないような場面がいくつかある。美しいというのは観客をうっとりさせる効果があるが、激しい苦痛や憎悪を描く際には、そうした陶酔の感情が伴うと焦点がぼやけて陰惨さをしっかり描けなくなってしまうからだ。憎悪とか不幸というのはだいたいの場合、美の敵であり、美しいものを美しくなくする効果を持っていて、この手の芝居ではそういうネガティヴな感情の負の力をきちんと表現しなければならない。この芝居のポーリーナはあまりにも残虐な暴力を受けたために常に苦痛を抱えて生きており、いくら夫のジェラルドが優しくしてくれても幸せになりきれない。このプロダクションではポーリーナの苦痛が全く美化されておらず、フラッシュバックに悩むポーリーナの暗い表情や、ロベルトを監禁する時の深刻な表情が不思議と美しくない…というか、明るい顔をしている時の宮沢りえのキラキラした輝きが一切なくなり、どす黒い感情がちょっとした声や顔の様子から読み取れるようになっている。とくにポーリーナが、ロベルトを自分と同じ目にあわせてやりたい、ホウキを尻に突っ込んでやってはどうか、と言うところなど、ポーリーナの爆発的な憎悪がさらっと出てきて、怖すぎて可笑しいみたいな変な効果が出ている。なお、カーテンコールではいつもの美しい宮沢りえに戻っていた。