捏造の天才、そしてそれは彼女の才能の限界~『ある女流作家の罪と罰』

 機内で『ある女流作家の罪と罰』を見た。日本では配信のみで劇場公開はなしらしい。実在の贋作者であるリー・イズラエルの犯罪を描いたものである。

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 舞台は90年代。リー(メリッサ・マッカーシー)は非常に対象の特徴をよくとらえた伝記の執筆で業績のある作家だが、近作はさっぱり売れず、狷介な人柄とアルコール依存症が原因で勤めていた雑誌もクビになり、困窮して人生が詰みそうになる。そこでひょんなことから、有名な作家などの手紙を偽造して古書店などに売ることを思いつき、贋作者として活動しはじめる。巧妙な文体模写技術を活用して作った手紙を売りさばき、儲けるリーだが、だんだん疑われるようになって…

 

 とにかく、リーがかなりとっつきにくくてだらしなく、人好きのしないヒロインだというのがポイントだ。掃除もできずに部屋は散らかり邦題、こだわりが強すぎて友達もいない。ところがとても奥行きがある人物として描かれており、犯罪者でワルではあってもなんとなく見ていてちょっと可哀想だとか、自分にもこういう面がありそうだとか思える、人間味のある人として描かれている。レズビアンらしいのだが(男性に惹かれている描写はないのでたぶんバイセクシュアルではない)、あまりにも人付き合いが苦手すぎてロマンスなどはほとんどないので(要所要所でほのめかされる程度)、レズビアンがヒロインだがレズビアンであることについての映画にはなっておらず、そのあたりはけっこう新しい(このへん『ハーツ・ビート・ラウド』あたりに似ているかもしれない)。描写に深みがあるので「レズビアンだからだらしなくてワルなんだ」的なステレオタイプにも全くなっていない。日常生活の描写がとても丁寧で、酒ばかり飲んでいるのにネコだけには優しいあたりとか、同じく人嫌いな親友であるゲイのジャック(リチャード・E・グラント)とついつい頼りあってしまうあたりとか、とある相手との人付き合いで起こった恋の予感から罪悪感で身を引いてしまうあたりとか、細かい場面がマッカーシーの演技のおかげで全部有機的に働いて、リーの人間らしさが観客によくわかるようになっている。

 

 この作品で悲しいのは、リーが贋作者として大成功した原因は、彼女に作家としての才能が足りなかったからだ、ということだ。最初のほうのエージェントであるマージョリーとの会話でわかるように(これでベクデル・テストはパスする)、リーは伝記作家としては優秀で、対象のことをよく理解してそれをわかりやすく読者に提示することができたが、一方で自分のオリジナリティを出せなかった。リーの贋作は対象となったノエル・カワードドロシー・パーカーの文体を忠実に表現したものだったが、作家としてひとりで書いていく時に必要なのはそういうふうに偉大な先達を真似る力ではなく、自分だけの文体を構築し、新しいものを作ることだ。ある人がノエル・カワードそっくりに書けたとしても、既にノエル・カワードがいる以上、その人は単なる二番煎じ、二流なのである。誰でも他人を真似るところから始めるものだが、どこかの時点でそれを脱却して自分らしい特徴を見つけなければならない。リーはそれができずに贋作に手を染め、贋作で大成功してしまう。リーは自分の贋作に誇りを持っているのだが、それは彼女の才能の限界を示すものでもある、というのがとても悲しいところだ。最後にリーはやっと自分の贋作人生についての自伝を書くことにする。人の真似をひたすらし続けて、ひどいしっぺ返しをくらい、ようやくリーは自分ひとりで作家として立つことを決めたのだ。

 

 なお、この手の文芸贋作というのは英語圏ではめちゃめちゃ盛んである。作家の手稿などに関心を示す人も多いし、さらに調子にのって「失われた○○の未公開作品」などをでっちあげるツワモノもいる。有名どころとしては18世紀にシェイクスピアのニセ文書を作ったウィリアム・ヘンリー・アイアランド(この人については『シェイクスピア贋作事件』という本も出ているが、ちょっと間違いがある上日本語訳が良くないのであまりおすすめしない)とか、19世紀にシェイクスピア関連の文書をでっちあげたジョン・ペイン・コリアとかがいる。このへんの人々はお金よりも名声を求めていたフシがあるのでリーとはちょっと違うが、リーのやったことはわりと伝統のある(?)犯罪である。