ウィル・スミスの童貞受胎~『ジェミニマン』(ネタバレあり)

 アン・リー監督の『ジェミニマン』を見てきた。

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 主人公のヘンリー(ウィル・スミス)は殺し屋を引退するが、とある情報を知ったせいで政府に命を狙われるようになる。ヘンリーの監視のために派遣されたエージェントで仲間になったダニー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)や友人バロン(ベネディクト・ウォン)の助けで逃亡するが、ヘンリーは自分とそっくりの若い殺し屋に襲われることになる。

 予告を見た時から悪い予感がしていたのだが、まあものすごくツッコミどころ満載のアクション映画だった。ダニーがヘンリー監視のために派遣された時の名目はいったい何だったのかとか、わざわざヴァリス(クライヴ・オーウェン)がヘンリーのもとにクローンのジュニアを派遣するのは強引すぎないかとか、話をすすめるために説明不足だったり、不自然だったりする展開がしょっちゅう起こる。基本的にはアクション映画というよりもアン・リーお得意の家族劇で、養子である息子が実父と出会って養父が自分を実は虐待していたことに気付く…みたいな物語である。ヴァリスとヘンリーのクローンであるジュニア(技術的に若返らせたウィル・スミス)の会話などがやたら丁寧に撮られており、アン・リーっぽい。

 この作品で私が一番面白いと思ったのは、どう考えてもヘンリーは童貞だということだ。実はそれが作品のテーマなのでは…とすら思う。ヘンリーは最初にジュニアに襲われた時、ダニーから知らないうちに息子が生まれていたというようなことはないか、過去の女性関係について身に覚えはないかどうかけっこうしつこく聞かれるのだが(ふつうだったら嫌がらせだが、まあこの状況では当然の質問だ)、ほとんど考えもせず即座にそんなことはないと否定し、「その話はしたくない」というようなことを言ってダニーを止める。いくらなんでも、ちょっとでも女性経験があれば少し考えてから答えるのでは…と思うし、ヘンリーとダニーは別に友好的な関係を保っているので、この会話の流れは不自然だ。どうもヘンリーはダニーのことを魅力的だと思っているフシがあるので、自分が童貞であることをダニーに知られたくなくて会話を打ち切ったのではないかと思われる。

 よく考えてみると、ヘンリーが初めてダニーを誘おうとするところについても、どうもデート慣れしていないのではないかという感じがする。さらにヘンリーはジュニアと対面した際、自分たちが本当に似た者同士であることを指摘しつつ「童貞だろ?」と聞いていて、これは図星だった。これはヘンリーが20代くらいまで童貞だったということだけではなく、今でも童貞であることを意味するのではないだろうかと考えられる。ヘンリーは今まで真面目一筋で殺し屋として働いており、一度も女性とお付き合いしたり、性的関係を持ったことがないのではないかと思われる。

 そしてこの作品はそんなヘンリーから知らないうちにジュニアが産み出されていたという物語であり、言ってみればヘンリーは性交渉を経ずに受胎した聖母マリアならぬ聖父的な存在である。DNA鑑定でこの事実を突き止めてヘンリーに教えるダニーは受胎告知の天使で、対決したヘンリー(泳げない)とジュニアが一緒に水に落ちる場面がやたら綺麗に撮られているのは洗礼を意味しているのかもしれない。これはヘンリーが処女受胎ならぬ童貞受胎を経験し、聖母マリア的な強さを持ってその状況を受け容れていく物語である。

 しかしながら、最後の場面ではヘンリーは童貞じゃないかもしれないと思う。それまでは禁欲的であんまり容姿の自慢などしなかったヘンリーが、突然ジュニアに対して「50過ぎても俺みたいにカッコよくいられると思うなよ」的な発言をするのである。これはヘンリーがこの時点までに実はダニーとお付き合いして性関係を含めた幸せな恋をしており、童貞でなくなって妙に自分のかっこよさについてウキウキしていることを意味しているのかもしれない。ダニーとヘンリーの間の好意はほのめかし程度であまりはっきりしていないのだが、ダニーはこの手のアクション映画に出てくる女性エージェントとしては非常に賢明であまり平べったくなく(ベクデル・テストはパスしないが)、ヘンリーとはお似合いで強い信頼で結ばれているという描写がある。いつのまにかカップルになっていてもおかしくない。

 と、いうわけで、このように私は解釈したのだが、問題はこの童貞の聖父ヘンリー像は意図的なのか、それとも脚本が大失敗であるせいでヘンリーが童貞に見えるだけなのかがよくわからないということだ。