パンをワインにひたさない男~『アイリッシュマン』(ネタバレあり)

 マーティン・スコセッシ監督『アイリッシュマン』を見た。ノンフィクションが原作で、20世紀後半のフィラデルフィアのマフィアの生態にアメリカ政治史をからめた3時間半の大作である。

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 主人公はアイルランドアメリカ人で、通称The Irishman(例のアイルランド男)と呼ばれているフランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)である。フィラデルフィアで食肉運搬トラックの運転手をしていたフランクだが、イタリア系のマフィアの店に肉を横流ししたことをきっかけにどんどんマフィアの組織に入っていく。やがてフランクはトラック運転手組合のトップでカリスマ的リーダーであるジミー・ホッファ(アル・パチーノ)に会い、非常に親しい仲になるが、だんだんと組織内での抗争に巻き込まれ…

 

 とにかく画面のほとんどが男性、しかも顔の濃いおじさまがたで埋め尽くされることが多い映画で、フランクとホッファの関係はほぼBLである。ホッファが初めてフランクを自分と同じホテルに泊める場面でちょっとドアが開いていたり、その後もホッファとフランクがホテルで同室に泊まって寝間着姿で善後策を話し合ったりするところがあるのだが、この2人の親密さが非常に細やかな演出と2人の名優の演技合戦で積み上げられていった後、最後に非常に一方的な大破局を迎える。

 

 この作品で面白いのは、ワインとパンというカトリック的モチーフがマフィアの世界で上手に使われていることだ(イタリア系もアイルランド系もカトリックなのでこの映画に出てくる人はほぼアメリカのカトリックだし、さらになんてったってこれはスコセッシの映画である)。序盤で駆け出しのフランクがラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)と初めてゆっくりごはんを食べて、パンをワインにひたしながらイタリアに住んでいたことがあるという話をする場面があるのだが、これは一種の聖餐だ。カトリックのミサでも使われるパン(ちょっと形状が違うが)とワインをフランクがラッセルと一緒に食すこの場面は、フランクがマフィアの世界に本格的に入ったこと、マフィアの聖餐のテーブルについたことを示す。パンにはキリストの肉体、ワインはキリストの血というキリスト教的な意味合いがある一方、肉と血はフランクの「家を塗る」仕事、つまり血と肉が飛び散るような殺人の仕事にもつながるものだ。ラッセルとフランクはこの食習慣を年を取るまでずーっと続ける。2人とも血と肉をすすって生きてきた男たちだからだ。

 一方で、このパンをワインにひたして食べるイタリア風の食習慣というのは、フランクが生まれ育った場所で自然と身につけたものではなく、言わば接ぎ木された文化から身につけたものだ。フランクは軍人時代にイタリアに駐屯していたことがあり、イタリア語もしゃべれるしワインなどのイタリアの食べ物も好きなのだが、一方でやはりどこまでいってもThe Irishmanだというところにポイントがある。『グッドフェローズ』でデ・ニーロが演じたジミー・コンウェイアイルランド系だったのだが、ジミー・コンウェイもフランクもマフィアに同化しようとしつつ、周りからはアイルランド系でイタリア系ではないものとして扱われている男だ。The Irishman、つまり「例のアイルランド男」で通じるということは、少なくともこの映画においては、それだけ目立ったアイルランド系の大物がイタリア系マフィアの組織の中では少ないということである。常にマフィアと一緒にワインにパンをひたして食べ、マフィア文化に同化していても、フランクはイタリア系ではない。

 そして、この映画に出てくる、絶対にパンをワインにひたさない男がジミー・ホッファだ。ホッファはワインどころか酒を一切、飲まない。パンをワインにひたす文化に接ぎ木されたフランクは、絶対にパンをワインにひたさないホッファに魅了されるのである。ホッファがイタリア系のマフィアを"you people"「あんたたち」と呼んでトニーとケンカになる場面が一番の例だが、ホッファはいろいろと犯罪的なやり口で地位を確立しているにもかかわらず、イタリア系のマフィアとは極めて異なる文化から来た男だ。フランクがホッファに惹かれているのは、彼自身が今いるマフィアの文化とは少し違うところから来たからなのではないかと思う。イタリア風の文化に適応したフランクにとって、酒も飲まずに感情にまかせて動くホッファはエキゾティックといってもいいような異質な魅力のある男なのかもしれない。しかしながら、そんなフランクが最後はホッファの血と肉を飛び散らせる仕事を請け負ってしまうわけであり、そのあたりがとても皮肉だ。