英題『サマのために』とはどういう意味か?~『娘は戦場で生まれた』

 『娘は戦場で生まれた』を見てきた。

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 アレッポに住んでいた女性ジャーナリスト、ワアドが撮ったドキュメンタリー映画である。ワアドと夫である医師ハムザ(最初は別の女性と結婚していたが、政治活動のことで別れた)はシリア内戦で反アサド派として医療支援活動を行っていた。ワアドは第一子を妊娠するが、どんどんアレッポで戦闘が激しくなり、娘のサマは戦場で生まれる。ワアドとハムザは爆撃の中、アレッポ市民のための病院を運営しながら子育てを続けるが、どんどん物資はなくなり、病院のような公共施設まで激しく攻撃されるようになり、毎日のように大量の重傷者が運ばれてくる。

 大部分が手持ちカメラとかスマホとかで撮ったような映像なので手ぶれがひどくてけっこう気持ちが悪くなったりもするのだが、何しろ内戦をリアルタイムでとらえているのでとにかく衝撃的だ。戦況の悪化が手に取るようにわかり、見ていてつらくなる。時系列をあまりまっすぐにせずにちょっと前後に行き来して、マシだった時代と戦況が悪化した時代を比べるような編集にしているところもメリハリがある。2016年11月頃は状況悪化があまりに急激…なのだがその悪化の度合いがひどすぎて長く感じるようなところもあり、終盤でハムザが「この病院につとめたのは20日くらいなのに890件も手術した」と言っているところで、こんだけ苦痛で長く感じるような状況に見えるのにたったの20日だったのか…と思った。

 また、ワアドとハムザが娘のサマを守ることとアレッポ市民のための大義の間でわりと揺れていて、だんだんサマと大義が絡み合うようになってくるところがすごくリアルだと思った。実は一度、夫妻はトルコにいるハムザの父親に会いに行っており、その時に戦況が悪化した。もちろんハムザの家族は夫妻をアレッポに帰したがらず、サマだけでも預けて行けと説得したのだが、ワアドとハムザは市民を救助するという使命のために娘を連れてアレッポに戻ることにする。この選択肢はとても厳しいものだと思うのだが、おそらくは娘のためにどういう世界を作りたいかということに関係があるのだと思う。この二人は娘の命を助けるだけではなく、娘のためにマシな世の中を作りたいからこういう選択をするのだ。この映画の英題はFor Sama『サマのために』なのだが、サマのためにというのはそういうことなんだと思う。