ベスはどんな女なのか?~METライブビューイング『ポーギーとベス』

 METライブビューイング『ポーギーとベス』を見てきた。

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 『ポーギーとベス』は一度イギリスで見たことがあるのだが、前回見た時は南アフリカの明らかにアパルトヘイトを意識したプロダクションである一方、わりと笑うところが多かったのだが、このメト版は笑うところはなくはないものの少し控えめで、どちらかというとリアリティと悲劇性を強調しているように思った。回転するキャットフィッシュ・ロウのセットはかなり大がかりだし、二段になった島の桟橋のセットは祝祭的な踊りとクラウン(A・ウォーカー)のベス(エンジェル・ブルー)に対する暴力という二つの対照的な展開をうまく引き立てている。

 

 このプロダクションで特徴的なのは、ベスがとにかく大変な人生を生きてきたらしい女だということだ。クラウンやスポーティング・ライフ(フレデリック・バレンタイン)みたいなクズとばかりつきあい、誰が見てもマシな男であるポーギー(エリック・オーウェンズ)との愛情生活を全うできないベスは、ちょっと描き方を誤ると人生を棒に振るバカな女になりそうで、たぶんこの作品はとてもミソジニー的な内容にもなりうる。しかしながらこのプロダクションはそうではなく、ベスがなんであんな生き方しかできないのか、ちゃんと想像できるように描いている。このプロダクションではクラウンが非常に怖いというか性的脅威の塊みたいな男なのだが、おそらくベスは今までクラウンみたいな暴力と命令で何でもベスの人生を決める男としか付き合ったことがないため、ポーギーみたいにベスの意志を尊重してくれる男とどう付き合ったらいいのかよくわからないのである。ポーギーはベスを基本的に自分で考えて人生の選択ができる大人の女として扱っており、コミュニティの他の女たちと友達づきあいしたり、自分は参加できない地域の行事に参加して楽しんだりすることをすすめており、これは独占欲の強いクラウンでは絶対やらないようなことだ。クラウンと出て行くかについてもポーギーはベスが決めることなのだというのをまずはっきりさせる。ポーギーといる間はベスは自尊感情を保てるが、いなくなるとたちまち不安になって自分のかわりに何でも決めてくれる男に走ってしまうのである。ベスは弱くて欠点だらけだが、悪い女でも愚かな女でもない。家父長制と人種差別の犠牲者で、とにかくトラブってる女なのだ。

 

 こういう複雑な女と男のロマンスを歌い上げる主役の2人はもちろん、脇役陣や合唱がみんな生き生きしており、しっかり話を盛り上げてくれる。休憩の解説で説明されていたように、有名曲でもコンサートみたいにならないよう、登場人物の心情や話の展開をしっかり示すような歌になるよう全体に注意が払われている。最初はベスをあばずれ呼ばわりしていたキャットフィッシュ・ロウの女たちが、ポーギーと付き合うようになるとベスを友達として扱うようになるあたりがとても興味深い。最初はベスに対するスラットシェイミングがけっこうひどいのだが、どうもこれはベスが結婚しないで男と暮らしているとかいうような性的モラルの問題じゃなく、クラウンみたいな厄介者をつけあがらせているせいでコミュニティの女たちから嫌われているということらしいのである。ポーギーは足が悪いが人格の点ではキャットフィッシュ・ロウの人たちから好かれており、ベスがポーギーと暮らすようになってドラッグをやめ、ポーギーが幸福そうになってくると、女たちは完全にベスを受け入れるようになる。このあたりの女性同士の関係の変化なども細やかに描かれている。