とんでもなく深刻な悲劇~新国立劇場『トゥーランドット』(配信)

 新国立劇場の配信『トゥーランドット』を見た。アレックス・オリエ演出のものである。この演目は初めて見た。

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 舞台は中国…なのだが、セットデザインは斜めに配置した階段をたくさん使ったモダンなもので、社会主義下の東欧とか、『メトロポリス』なんかに出てくるようなちょっとレトロな近未来を思わせるようなものである。衣類については、貴人たちはちょっとだけ中国風な白い衣装を着ているのだが、女性陣は修道女がかぶるみたいな大きな頭巾をかぶっているし、カラフ王子(テオドール・イリンカイ)はロシアあたりの寒い地方から着たような厚着だ。このへんのオリエンタリズムを排した美術はいいと思う。

  全体的にとても重い演出だが、ピン、ポン、パンが出てくるところなどでは笑いもあるし、歌も安定感があって、大変面白かった。本来は冷たいトゥーランドットが求婚者たちに難しい謎かけをし、答えられないと処刑するということを繰り返していたが、カラフが謎を解いてトゥーランドットの愛を得るまでを描くという一応ハッピーエンドの作品なのだと思うのだが、このプロダクションは大変に演出が深刻である。とても悲劇的な作品に見える。

 まず、カラフがかなりいけ好かない男に見える…というか、本気でトゥーランドットを好きであるようには見えない。恋に夢中で何も見えなくなっているというなら愛嬌があるのだが、国を追われた王子として愛より野心のためにトゥーランドットに求婚しているように見える。カラフを純粋に愛していたリュー(中村恵理)が主人を守るため自殺するところなどはとくにイヤな感じが丸出しで、リューが死んだのは元はといえば自分が原因だというのに、哀悼もそこそこにその死をトゥーランドットのせいにして求婚相手を追い詰めようとしている。トゥーランドット本人や、カラフのお父さんティムール(リッカルド・ザネッラート)をはじめとする周りの人たちがリューの自殺に大変なショックを受けて悲しんでいるのと対照的に、カラフの態度は冷たく計算高いものに見える。

 一方でトゥーランドット(イレーネ・テオリン)が男を憎んでいるのにはそれ相応の理由があるということが描かれている。トゥーランドットが男性を嫌っているのは、かつて立派な統治者であった先祖のロ・ウ・リン王女が他国の暴力的な男の王から侵略を受け、性暴力を受けて虐殺されたという歴史があるためである。本編が始まる前に、おそらくこの歴史を再現しているのではないかと思われる場面が無言劇で表現されている。あまりオペラの演出に詳しくないのでそこまで自信はないのだが、トゥーランドットにお母さんがいないのもあやしいところで、ひょっとするとこの歴史を再現していると思われる場面はトゥーランドットの個人史とも重ね合わされているのかもしれない(政変などでお母さんが暗殺されたのでは?)。だからといって復讐のために求婚者を殺すというのは極端だが、トゥーランドットが自分の尊厳と祖国が男性により侵略されることを警戒しているというのはよくわかるようになっている。

 最後の場面は普通はトゥーランドットとカラフが愛し合うようになるとってつけたようなハッピーエンドらしいのだが、この演出ではリューの死を深く悼んだトゥーランドットが、カラフの手をとるふりをしてリューと同じやり方で自殺をするというショッキングな終わり方になっている。これは大変悲劇的な結末だが、男性による侵略を拒否してきたトゥーランドットの態度としては非常に一貫性のあるものである。また、きちんとトゥーランドットが「愛」の重要性を知るという展開にもなっている…というのは、トゥーランドットはリューがカラフを愛していたことを理解し、その結果として自分とカラフの間に愛がないことも明確に理解したからこんな結末になったと解釈できる。トゥーランドットにとって、この自殺は自らを守るための重要な抵抗行為である。

 

 なお、演出や音楽については文句はないのだが、字幕については文句がある。新国立のオペラの字幕は、ちょっと初心者には分かりづらいように思うのである。前に新国立で『ドン・パスクワーレ』を見た時も、字幕だけでは公証人が偽物なのか判断がつかなかったのだが、メトの配信で英語字幕で見た時はちゃんとわかるようになっていた。この『トゥーランドット』については、あらすじなどを見るとトゥーランドットの先祖であるロ・ウ・リン王女は強姦されて殺されたらしく、アリアのもとの歌詞は'trascinata da un uomo'、英語訳だと'dragged off by a man'でなんとなく性暴力だとわかるようになっているようなのだが、日本語訳だと「捕らえられ」になっていてこれだけでは非常にわかりにくい。もうちょっと初心者でもわかる字幕を作ってほしいと思った。