マノンのキャラクターが薄いような…メトロポリタンオペラ『マノン・レスコー』(配信)

 メトロポリタンオペラの配信でプッチーニの『マノン・レスコー』を見た。1980年のプロダクションで、おそらくテレビ用に撮影されたものと思われる。数日前に放映されたマスネのオペラとは異なり、ルイジアナでマノンが死ぬところで終わる。

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 マノンがレナータ・スコット、デ・グリューがプラシド・ドミンゴというキャストで、歌は良かった。衣装やセットなども豪華である。音楽的にはプッチーニがもう少し後に作った『トスカ』などに近いやり方で盛り上げをようとしてるのかなと思った。マノンが死に際に切々と歌うところなどは大変ドラマティックだ。

 ただ、マノンのキャラクターがマスネのオペラに比べると薄っぺらい感じがしてあまり好きになれなかった。マスネのマノンは小娘が無理矢理大人にさせられたみたいでそこに面白みがあるのだが、プッチーニのマノンは早く逃げないと行けないのに宝石をかき集めてつかまってしまうなど、けっこう愚かで浅はかなところがある若い女性として描かれているように思う。デ・グリューもマノンをそういう愚かな女性として扱っているように見えて、ちょっとミソジニーを感じる。

 あと、字幕で一カ所よくわからなかったところがあったのだが、終幕でルイジアナについてから、デ・グリューが砂漠で全然水がないとかいうところがある(少なくとも字幕ではそうなっていた)。ルイジアナ温暖湿潤気候でむしろじめじめして夏などは大変なところだし、ニューオーリンズの港からそんなに遠くないところだという設定なので、砂漠で水がないんじゃなくて汚い沼地で飲み水がないのではないかと思うのだが、これは設定がテキトーなんだろうか、それともルイジアナにもそういう荒れ地があるんだろうか…と思ったら、ロイヤルオペラがこの矛盾について解説を出していた。これは原作小説が書かれた18世紀のもやっとした地理の知識と、砂漠を指す言葉が人の住んでいない荒れ地一般を指すような意味であまり厳密な区別なしに使われていたらしいことに基づくものらしい。