美人すぎる女の人生はつらい~メトロポリタンオペラ『タイス』(配信)

 メトロポリタンオペラの配信でマスネの『タイス』を見た。ヘスス・ロペス=コボス指揮、ジョン・コックス演出のもので、2008年に収録された映像である。クリスチャン・ラクロワが舞台衣装を担当している。

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 舞台は4世紀のエジプトである。砂漠で修行している修道士アタナエル(トーマス・ハンプソン)はアレクサンドリアの高級娼婦でヴィーナスの巫女であるタイス(ルネ・フレミング)のことが頭から離れず、タイスを改宗させるべく街に向かう。タイスはキリスト教徒になることに決めるが、アタナエルはタイスへの欲望をおさえられない。修道院に入ったタイスが死にかけているというお告げを聞いて会いに行ったアタナエルは、タイスが既に自分の手が届かない聖女となっていることを知る。

 セットは古代風でオリエンタルな感じだが、タイスをはじめとしてニシアス(ミヒャエル・シャーデ)のパーティにやってくるお客の衣装などはけっこう現代的だ。先日見た『夏の夜の夢』同様ラクロワがデザインしているというだけあって女性陣のドレスは大変にオシャレなもので、高級娼婦時代のタイスが着ている衣装はとても華やかである。

 オリエンタリズムてんこもりである上、「黄金の心を持った娼婦」のステレオタイプに陥りやすそうな話だが、音楽と台本がキャラクターに奥行きを与えており、浅薄な物語になるのを免れていると思った。第2幕でひとりになったタイスが老いにより美貌が衰える恐怖を歌うところはフレミングの演技と歌唱技術のおかげもあってとても深みがあり、タイスが知性豊かで内省的な女性であることがわかる。この場面により、タイスが容姿だけを武器にする人生に疑問を感じていて、男たちから値踏みされずにすむ安らげる環境を得たいと思っていることが示される。美人すぎるせいでむしろ人生に不安を抱えるようになってしまったタイスのところにアタナエルがもたらしたキリスト教信仰は救いになるわけで、女子修道院に入ることに決めたタイスの表情や声はとても爽やかで明るい。

 しかしながら結局のところアタナエルはタイスの肉感的な美貌に惹かれているだけで、本当にタイスの人格とか信仰とかを評価しているわけではない。第3幕で砂漠で眠ったアタナエルがかつての官能的なタイスの夢を見るところは(ここはタイスの笑いがそのまんま歌になるみたいなところがとても面白い)、男たちから値踏みされる人生をきっぱり捨てたにもかかわらず、それでもタイスは自分の意志に関係なくセックスの女神として偶像化され続けるというつらい状況が示唆されている。タイスは美人すぎるせいで常に男からモノのように扱われている。

 最後は修道院で修行の末に死にかけているタイスを性欲まみれのアタナエルが訪ねる。修道院の女性たちがタイスの人格とか知性とか修行への取り組みを高く評価している一方、「自分が間違っていた」と言って天国を否定し、タイスを口説こうとするアタナエルは惨めだ。この結末はタイスのほうがアタナエルより立派だということを示している一方、禁欲的なキリスト教のあり方を諷刺するものでもある。