今見るとまったくシャレにならない、生き生きした諷刺オペラ~ヘンデル『アグリッピーナ』

 METライブビューイングでヘンデルの『アグリッピーナ』を見た。2020年の2月末に収録された公演だということで、ニューヨークで舞台ができなくなる直前に撮られたものである。指揮はハリー・ビケット、演出はデイヴィッド・マクヴィカーである。

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 ヒロインのアグリッピーナ(ジョイス・ディドナート)はローマ皇帝クラウディオ(マシュー・ローズ)の妃で、野心的な性格である。夫が溺死したという報に喜び、かわいがっているドラ息子ネローネ(ケイト・リンジー)の即位を画策するが、クラウディオの死は誤報で、勇敢な将軍オットーネ(イェスティン・デイヴィス)によってひそかに救出されていたことがわかる。クラウディオはオットーネ皇位継承者に指名し、困ったアグリッピーナオットーネの恋人でクラウディオからも言い寄られている美女ポッペア(ブレンダ・レイ)を欺してオットーネを失脚させようとする。

 完全に現代の設定で、ほとんど現代政治を諷刺しているとしか思えないくらいモダンなプロダクションになっている。ヴィンチェンツォ・グリマーニが作ったリブレットがよくできているからだと思うのだが、4時間くらいあるのに無駄な展開はほぼない。展開がややこしくなってくるとアリアの聴かせどころがあって、少々休んで歌を楽しめるというような作りになっている。全体としては「希望」がよく歌詞に出てくるのだが、この希望というのが全然、理想や純粋な歓びを伴うものとしては表現されておらず、陰謀がうまくいくといいというような陰湿でふてぶてしい望みとしてブラックユーモアをもって提示されている。

 最初は主要登場人物全員が霊廟で墓碑にのっているところから始まり、最後も墓碑に戻って終わるというもので、色と欲にまみれて暗躍した人々も最後は死ぬのだということが皮肉な形で明示されている。やたらと急な黄金の階段の上に設置された皇帝の玉座が目立つ道具としてよく登場し、これは皆が望んでいる権力の座を象徴する。アグリッピーナはファーストレディらしい高級そうな黒いスーツを着込んでおり、ポッペアはもっと若い女性らしいドレスやくだけた格好が好みなのだが、2人とも洗練されたセクシーなファッションである。ネローネはタトゥーをたくさん入れた伊達男で、高そうな服をいつもちょっと着崩していて、とにかく見た目がドラ息子らしい。ポッペアとオットーネが会う場面は、歌詞からするとおそらく泉か噴水のある庭がオリジナルの設定なのじゃないかと思うのだが、場所がバーに変えられており、オットーネが傷心で水の流れを歌う歌詞がお酒の注ぎ方の話になっているのかおかしい。

 

 この作品で頭を使って政治をやっていると言えるのは女性のアグリッピーナとポッペアだけで、男どもは全員政治センスがなさそうな人たちとして描かれている。アグリッピーナは常に陰謀をフル回転させ、色気も使って大活躍である。家臣のナルチーソ(ニコラス・タマーニャ)やパッランテ(ダンカン・ロック)を誘惑するところでは大人の女性の成熟した魅力を振りまいているし、アリアで自分の考えを披瀝するところもとても生き生きしていて、楽しそうに悪事を企む表情豊かな悪役だ。おまけのインタビューでも説明されていたが、ポッペアはアグリッピーナに欺されたのをきかっけに、敵である皇妃を見本に宮廷政治を学んでいる。可愛らしいところもあれば計算高いところもあり、トレーニング中の悪女という雰囲気である。これに対してクラウディオは女好きで欺されてばかりだし(すごく笑えるが)、ナルチーソとパッランテはアグリッピーナにぞっこんで手玉にとられている。メゾソプラノのケイト・リンジーが歌うネローネは、めちゃくちゃハンサムなのだがどこから見ても大変なバカ息子で、ポッペアに欺された後、コカインを山ほど吸いながら「もうポッペアなんで忘れるもん!うわーん!」みたいな歌を歌うところは大変おかしい。唯一倫理的にまともで常識があるのがオットーネなのだが、勇敢な軍人のわりには大人しい性格で、優しすぎてあんまり宮廷政治は向いていないように見える。

 こういうふうに男はみんな賢い女の手玉にとられているというような展開だと、演出によってはミソジニー的に見えそうな気がするのだが、2020年のアメリカでこれが上演されたということを考えるとあまりそうは思えない…というか、むしろ男の政治家がみんな政治的能力がないというのがあまりにも現実に即していてシャレにならない気がする。魅力的で宮廷政治に長けた皇后がいるのに若くて可愛いポッペアにセクハラするクラウディオの無能ぶりはまるでドナルド・トランプみたいだし、真面目で業績ある軍人だがひどいめにばかりあっているオットーネはジム・マティスとかに重ねられるのかもしれない。1709年のオペラとは思えないくらい現代政治を生き生きと反映してくれる作品だ。