上昇志向と音楽~『わたしの耳』

 ピーター・シェーファー『わたしの耳』を新国立劇場で見てきた。シス・カンパニー公演で、演出・上演台本はマギーである。1962年の作品で、登場人物は3人だけで、85分くらいの短い芝居である。

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 ボブ(ウエンツ瑛士)がクラシックコンサートで会ったドリーン(趣里)を部屋に招待し、会社の友人であるテッド(岩崎う大)に手伝いを頼むが、ボブはドリーンとあまりうまく話せず、一方でテッドはけっこうドリーンにうまく取り入って…という様子を描いた作品である。前半はかなり笑えるところが多いのだが、後半はどんどん不穏な雰囲気になっていく。芝居の最後のほうではおそらく全員がウソをついている状態になり、かなり印象的にイヤな感じで終わる。

 調子はいいがマンスプレイニング野郎のテッドと、引っ込み思案で女性を理想化しがちなボブは対照的なキャラクターなのだが、2人とも違う意味である種の「有害な男性性」的なものを備えており、また異なる形の上昇志向を持っている。テッドの上昇志向はわかりやすく、ガツガツ働き、保守党支持者で社員なのに経営者目線であり、フランス語の夜学に通い、いつも知識をひけらかしたがる。一方でボブの上昇志向はわかりづらい…というか、ボブは仕事上の野心はあまりなさそうなのだが、クラシック音楽が好きで、オーディオに凝っている。ボブはロウアーミドルクラスくらいの青年で全然金持ちではないのだが、ビートルズがデビューした1962年にクラシックが好きというのはかなりポッシュな好みで、自分の階級に居心地悪さを感じているのではないかと思われる一方、たぶん仲間からはつまはじきにされるオタク趣味を持っている。ボブもテッドも方向性は違うが、出身階級に馴染めていない男たちだ。あまり自覚のないテッドに比べてボブはこのへんをものすごくこじらせており、クラシックコンサートで会ったドリーンを同好の仲間だと思い込んでまつり上げるが、実はドリーンは全然クラシックに興味がない。このあたり、気の毒だがかなり困った人でもあるボブをウエンツ瑛士が非常に細やかに演じている。テッドもドリーンもそれぞれ大変しっかりした演技で、見応えのある作品だった。