美しい者はしゃべらない~イングリッシュ・ナショナル・オペラ『ヴェニスに死す』(配信)

 イングリッシュ・ナショナル・オペラの『ヴェニスに死す』を配信で見た。ベンジャミン・ブリテンのオペラである。原作はトーマス・マンで、ルキノ・ヴィスコンティも映画化している有名な作品である。デボラ・ワーナーの演出による公演で、2013年の上演を記録したものである。

 

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 主人公である作家のアッシェンバッハ(ジョン・グレアム=ホール)がスランプに陥り、出向いたヴェネツィアで出会った美少年タジオ(サム・ザルディヴァー)に一目惚れし、懊悩した末に衰えていく様子を描いた作品である。同じブリテンの人気作である『夏の夜の夢』よりもずいぶん音楽が不穏でギシギシしており、声をパーカッションみたいに使っていたり、一方で全く歌わないダンスだけの役が有機的に話に組み込まれていたり、かなり考えられた凝った構成だ。芸術家の悩みを象徴的に表現すべく、ディオニュソスの声(アンドルー・ショア、バリトン)とアポロの声(ティム・ミード、カウンターテナー)なんていう役柄もある。

 この作品ではタジオはバレエダンサーが演じる役で、一言も歌わない。タジオをはじめとするはち切れんばかりの若さに満ちた若者たちが躍動的に踊る様子と、中年でイマイチ元気がなくなり、ビーチでも居眠りがせいぜいのアッシェンバッハが対比されている。このオペラではしゃべったり歌ったり考えたりするのはあまりポジティヴな行為ではない…というか、基本的に少しずつ若さを失い、美しくなくなりはじめた者がやることになっている。言葉の芸術を司る作家がそんな作品の主人公だというのは実に厳しい展開である。

 全体的に演出や美術が大変良く、どの場面もまるで趣のある一方でちょっと不気味な感じもする古写真のようである。ゴンドラで移動する場面などではプロジェクションがかなり効果的に使われているのだが、この場面についてはもうちょっと引きで舞台全体が見えるようにして欲しいと思った。周りがにじんだ陽炎みたいな太陽が特徴で、これが全体的に暑くて不安な雰囲気を醸し出している。ぼかしてグラデーションや影をつけた照明は、アッシェンバッハの心境に呼応している。