見る前から悪い予感がしたが、やはり全く趣味ではなかった~『フェアウェル』(ネタバレあり)

 ルル・ワン監督の『フェアウェル』を見てきた。

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 中国系の二世でニューヨークに住んでいるビリー(オークワフィナ)は長春に住んでいるおばあちゃん(チャオ・シュウチェン)が大好きだが、ある時おばあちゃんが治る見込みのない肺がんだという知らせを受ける。ところが中国では末期のガンは本人に告知しないのが習慣で、ビリーはこれに強い反感を抱く。ビリーのいとこにあたる日本育ちのハオハオ(チェン・ハン)の結婚式という口実で親族が全員中国に集合し、来なくていいと言われたビリーも長春に押しかけるが…

 見る前からイヤな予感がしていたのだが、全く私の好みではない映画である。それはたしかに映像は綺麗だし、演出は繊細だし、またオークワフィナの演技は凄いのだが、展開が本当にぬるい。どこがぬるいかというと、この映画は「西洋」に住む移民二世の女性が「東洋」に行って、現地の家父長制的な習慣を、完全に納得はできないもののなんとなく「尊重」して対抗もできずに帰ってきてしまうという話になっているからだ。これは一見、「東洋の文化を尊重する」ことをしているようだが、中国ではなくとも少し文化的に似たところのある東アジアの日本に住んでいる者としてはまったく気楽なもんだと思ってしまった。

 ビリーはわりと反抗的で強い性格の女性で、本人にガン告知を行わないのは人権侵害だし、おばあちゃんの性格を考えても敬意が足りないと考えている。ところがビリーの父やおじは、「東洋では人の命は個人のものではなく、家族のもの」だから、ということで中国の習慣に従ってガン告知を行わないと決め、ビリーにもそう告げる。この2人の父親たちが暗い部屋で喫煙しながらビリーにこのことを告げて説得する場面は非常に家父長制的で、親に対して反対の意見を言うビリーを押さえつけようとしている。ビリーはなんとなくもやもやはしており、賛成はできていないのだが、このあたりを個人的なこと、家庭にかかわることとして我慢し、言いつけを守ってニューヨークに帰るまでおばあちゃんにガンのことを隠し通す。

 しかしながら、この「人の命は個人のものではなく、家族のもの」という価値観はガン告知のみならず、中国にも日本にも(たぶん東アジアの広い地域に)存在する家父長制そのものの考え方だ。家族の構成員ひとりひとりが自分で何かを決めることができず、何でも家族に決めてもらわなければならず、家長の権限で家族構成員の運命が決まってしまう。さらにこういう、自分以外の人(多くは共同体で何らかの権限を持っている人)が「良かれと思って」行う決定に基づいてウソを信じて生きなければならないというのは、香港の劇作家の楊靜安が指摘しているように、中国の政治体制そのもののメタファーだ。そして中国ほどではないのかもしれないし、現れ方もだいぶ異なっているが、「共助」なんていう言葉を好んでいる日本の政治体制にも多分にそういうところがある。

 ほんの少し前まではこの映画に出てくるビリーの一家と同じで日本でも本人に対するガン告知を行う習慣があまりなかった。日本ではいろいろな経緯や提案があってやっとガン告知を初めとする患者の権利が認められるようになってきた。中国で患者の権利についてどのような運動が行われているのかわからないが、きっとガンなどの病気になった時はきちんと教えてほしいと考えている人もたくさんいると思う(患者のこうした希望と家族の考えの微妙なズレについての研究もある)。こういうふうに東洋でも病気の告知を求める人々がいるのに、この映画では「西洋と東洋は文化が違うから」ということで、東洋の社会にも存在する、自分の病気や体について自分で決めたいと思う人たちの存在が抹消されている。結局、ビリーは家父長制的で共同体主義的な主張を「東洋の文化」として受け入れてニューヨークに帰って行くことになる。

 まあ、たぶんこの映画はそうならざるを得なかったのだろうと思う…というのは、本作はルル・ワン監督の経験に基づく非常に自伝的な作品らしいからだ。おばあちゃんから離れてアメリカに住んでおり、先祖である中国の文化を尊重しなければならないとして育てられた二世には、中国の習慣を家父長制的だとか抑圧的だとか言って批判したり、家族関係を壊すことを覚悟しておばあちゃんにガンのことを告げるなんていうことはできないだろう。ルル・ワン監督が個人として行った選択とか経験について批判する気は全くない。また、映画としてもここでヒロインのビリーがおばあちゃんにガンのことを教えるというような展開にしてしまうと、西洋中心的だとか批判され得るのでまあできなかったのだろうと思う。しかしながら、この映画を見ていてフルタイムで東アジアで暮らしている人間としては、まったく気楽な映画だとしか思えなかった。この映画がとてもよくできていて個人的な経験をうまく描き出していることは理解できるが、私ははっきりこの映画が嫌いである。