ナショナル・シアター・ライヴで『プレゼント・ラフター』を見た。ノエル・カワードが1930年代末に書いた戯曲だが(40年代まで初演はされなかったらしいが)、たぶん日本ではあまり知られておらず、現在のところ手に入る翻訳はない…と思う。これはマシュー・ウォーチャス演出で2019年にオールドヴィックで上演されたもので、主演はアンドルー・スコットである。
主人公である舞台のスター、ギャリー(アンドルー・スコット)を中心とする喜劇である。ギャリーは実力や人気はあるらしいのだがなかなか気難しい俳優で、既に夫婦としては暮らしていないのだが職業上は今でも良きパートナーでずるずる離婚せずにいる妻のリズ(インディラ・ヴァルマ)、ギャリーの助手モニカ(ソフィ・トンプソン)、仕事仲間であるモリス(アブドゥル・ディクソン)とヘレン(スージー・トース)の4人と長きにわたり一緒にショービジネスをやっている。そこにヘレンの夫ジョー(エンゾ・シレンティ)、ギャリーに恋をしているダフネ(キティ・アーチャー)、ギャリーの追っかけをしている青年ローランド(ルーク・タロン)が絡んできて、どんどん人間関係がメチャクチャになっていくという物語である。
冒頭でオープンリーゲイの著名な脚本家・劇作家であるダスティン・ランス・ブラックや出演した俳優、スタッフたちが出てきていろいろ背景の説明をしているところがあるのだが、そこで説明されているようにイギリスの舞台は検閲があったため、主人公のギャリーは台本をよく読めばなんとなくバイセクシュアルなのではないかと思えるところもあるものの、この芝居に出てくる付き合っている相手は全員女性である(作者のカワードはゲイだった)。ところがこの2019年のプロダクションでは原作にもやっと存在する要素をもっとカワードらしくかつ現代風に引き出すため、ヘレンとジョーの夫婦の性別を入れ替えている。原作ではヘレンはヒューゴ/ヘンリー(これ、もともとのイギリスでやった版だとヘンリーだったようなのだが、私の手元にある改訂版ではヒューゴになっている)という男性で、ジョーは原作ではジョアンナという女性である。ギャリーはオープンにバイセクシュアルで、ジョーに誘惑される。
美術や衣装などは日本語版のプログラムにも書かれているように40年代よりもうちょっと後の時代の設定の雰囲気で(60年代かな)、けっこうカラフルである。台詞などはあまり変わっておらず、夫婦の性別を逆転させているところもほぼ気付かないくらい違和感がない。なお、ギャリーがジョー/ジョアンナの恋人であるモリス(原作ではヘテロセクシュアル、このプロダクションではたぶんゲイ)を散歩に連れ出そうとする場所が、私が読んだ版ではウェストミンスター・アビーなのだが、この上演ではハムステッド・ヒースになっており、ハムステッド・ヒースには発展場があったらしいので変えたのかと思ったらもともと「ハムステッド・ヒース」になっている版もあるようで、どうも再演時にけっこうこの芝居は改訂されているらしい。
全編、とにかく笑えて最後はホロっとするところもある芝居で、スコットの演技はとにかく素晴らしい。いつも芝居がかっていて華やかで、困ったちゃんなのにあらゆる人を惹きつけてしまうギャリーはまったくアンドルーのために書かれたのかと思うくらいの当たり役だ。アンドルーはわがままなスターなのだが、一方で孤独に起因する誤った優しさみたいなものを持っており、人に頼まれると断れないところがあり、ただの傲岸というよりはもうちょっと複雑なわがままさを有した人物だ。そういう役柄をスコットがとびきり魅力的に演じている。他の役者陣もとてもよく役柄にはまっており、息も合っている。
基本的にギャリーの世界は、オタサーの姫みたいな存在であるギャリーを中心に回っている少々こじらせた人たちのサークルみたいなものだったのだが、そこにジョーが入ってくることでこの閉じたサークルが混乱する。ギャリーは最初からジョーを肉食系で魅力的な問題児だと考えていてそのことを口にしてもいるのだが、これはギャリーがジョーにタイプは違えど似た雰囲気のオタサーの姫っぽさを感じ取っているところから来ていると思う。そしてこの作品ではこの最強のオタサーの姫同士が恋に落ちてしまうというとんでもない頂上対決的事態になる…のだが、なんか以前見た『プラトーノフ』もオタサーの姫話だったし、近代劇っていうのはなぜこういうオタサーの姫の物語が好きなんだろうか…と思った。近代劇が好むような、若干こじらせ気味の数人からなる閉じた空間っていうのが基本的に現代語で言うところのオタサーだからなんじゃないのかと思うのだが…