史実を無視しており、かなりひどい~『博士と狂人』

 『博士と狂人』を見てきた。いつも私がお世話になっているオクスフォード英語辞典の作成過程で、殺人犯で精神病院に入院していたマイナー(ショーン・ペン)がボランティアとして例文集めに貢献したという史実をもとにした作品である。

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 サイモン・ウィンチェスターのノンフィクションを原作にしている…のだが、えらく史実や原作からはかけ離れている。オクスフォード大学がやたらと足の引っ張り合いをしたがる学者たちの魔窟みたいに描かれていて、あんまり学問の楽しさみたいなことがわからない描写になっている。さらに史実に反したマイナーと殺人被害者の寡婦イライザ(ナタリー・ドーマー)のロマンスはあまりにも現実離れしていて全く要らないし、正直、センチメンタルすぎて実在の人物をバカにしているんじゃないかという気すらした。 最初はオクスフォード英語辞典のエディターであるマレー役のメル・ギブソンが監督する予定だったそうで、間違いを犯した人間に二度目のチャンスを与える重要性とか(ギブソンはお酒の問題で大失敗して干されている)、信仰とか、やたらしつこくゲロを撮るとか、ギブソンっぽい箇所はいっぱいあるのだが、なんでももめ事でギブソンも監督のファラド・サフィニアもこの映画は自分の思ったような作品にならなかったと言っているらしい。たしかにそれもわかる感じのぱっとしない作品である。

 一箇所だけ良かったような気がするのは、私が大変尊敬している文献学者のファーニヴァルが一人だけやたらいい人キャラで、しかもスティーヴ・クーガンが演じているということだ。クーガンが裏表も皮肉もないキャラというのは珍しく、いつかイヤな奴にならないか心配しながら見ていたのだが(ショーン・ビーンが出てきたら突然死を警戒するのと同じように、クーガンが出てきたらイヤミを警戒しなければならない)、最後まで立派な学者で学問と友人と正義のためには努力を惜しまないキャラだった。実際にファーニヴァルは学者として優れているだけではなく、社会活動にも熱心な人であった。なお、ファーニヴァルはケネス・グレアムの『たのしい川べ』のねずみのモデルじゃないかとも言われている人である。

 

たのしい川べ (岩波少年文庫 (099))

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