やや演出に疑問~ウィーン国立歌劇場『皇帝ティートの慈悲』(配信)

 ウィーン国立歌劇場の配信でモーツァルトのオペラ『皇帝ティートの慈悲』を見た。2016年4月4日の上演を録画したものである。演出家はユルゲン・フリム、指揮者はアダム・フィッシャーである。

 ローマの皇帝ティートをめぐるいざこざを描いた作品である。ティート(ベンヤミン・ブルンス)に嫉妬するヴィッテリア(カロリーネ・ウェンボーン)がティートの親友で恋人であるセスト(マルガリータ・グリツコヴァ)を使ってティートを暗殺しようとするが、結局ティートは慈悲を発揮して全員を許してやるという物語である。演出は現代の美術や衣装を用いている。

 全体的にちょっと演出に一貫しないものを感じた。けっこうえらいこと(クーデター未遂では?)が起こっているのに最後に全部慈悲でなあなあにされてしまうという台本がちょっと弱いので、いろいろ筋道をつけるために工夫が必要なのかもしれないが、たいへん精神不安定な人たちが右往左往している作品だという印象を受ける。ティートはとても慈悲深くてできるだけ正しいことをしようとしているという設定なのに、以前からの恋人であるユダヤの王女ベレニスと別れられておらず、一言も話さないし歌わないベレニスがずっとティートと一緒にいる(これはふつうの演出ではやってないらしい)。ベレニスときっぱり別れてローマ人の正妻を選ぼうとしているという話なのに実際は未練たらたらでベレニスを従えているせいで、ティートがずいぶん弱々しく、慈悲深いのではなく政治的な決断力がない人に見える(ベレニスがローマ人に好かれていない背景には民族差別があるので、ティートがベレニスと結婚できないという事態じたいは大変問題であり、ティートは気の毒なのだが、結婚しないとは言え公の場にベレニスを連れて出ているので、政治的判断として一貫性がないように見える)。ティートは混乱して自分に銃を向けたりとか、けっこう精神的に参っているみたいだ。さらに最後はテロ行為を働いたセストが許してもらったのに自分に銃を向けるところで終わっており、美しい音楽とは裏腹のなんだかお先真っ暗な終わり方である。こういうのもありなのかもしれないが、ちょっと見ていて戸惑ってしまった。