市民たる三つのやり方~『アリージャンス~忠誠~』

 『アリージャンス~忠誠~』を見てきた。第二次世界大戦期のアメリカにおける日系人強制収容が主題で、部分的にジョージ・タケイの家族のお話を参考にしたもので、アメリカ初演ではタケイが出演した。日本版はスタフォード・アリマと豊田めぐみによる演出である。

horipro-stage.jp

 基本的に、主人公であるサミー(海宝直人、日本語の名前だとイサム)が家に帰るところから始まり、また家…というかある種の故郷に帰るところで終わるようなお話である。年老いたサミー(上條恒彦)が姉ケイの葬儀のことを知る場面から始まり、そこから回想のような形で話が始まる。若きサミーは大学から父タツオ(渡辺徹)、姉のケイ(濱田めぐみ)、祖父カイト(上條恒彦が二役)の農場に帰ってきたのだが、開戦のせいで日系アメリカ人の暮らしはどんどんつらいものになり、やがて強制収容所に入れられてしまう。サミーはアメリカ軍に志願することで市民として認められようとする。

 この作品のポイントは、タツオ、サミー、ケイのボーイフレンドであるフランキー(中河内雅貴)が、アメリカにおいて日系人が市民として認められるためにとる3つの方法をそれぞれ体現していることだ。タツオは初めのうちはできるだけ目立たないようにアメリカの社会になじんで生きることを目指すが、一方で個人の良心や生活のレベルでは日本とのつながりを保とうとしており、そこがかなりアメリカ的な生活スタイルに慣れているサミーと対立する。サミーはアメリカ軍に志願することで日系人を市民として認めてもらおうとする。一方、フランキーは市民的不服従によって自分たちの人権を守ろうとする。

 目立たないことを目指すタツオが、良心の自由を守ろうとしたゆえに日本の文化への愛着や天皇への崇敬を否定することができす、忠誠の誓いをクリアできなくて投獄されてしまうあたりが非常に皮肉で、渡辺徹がいかにも頑固で融通がきかず、少し強権的なところもあれば弱いところもある日本のお父さんという感じのタツオをうまく演じている。過剰にアメリカに同化しようとするサミーは従軍し、アメリカ軍で英雄となるが、常に危険な戦地に送られる日系人の軍は戦死者が膨大で、サミーも戦傷を負い、ボロボロになって帰ってくる。フランキーは政府の方針に抵抗したためやはり投獄されるが、自分の信念を貫いてケイと結婚することができた。皮肉なことに、たぶんアメリカの歴史から考えるとフランキーのやり方が正統派…というか、そもそもアメリカ自体、税金への抵抗みたいな不服従から立ち上がってきた国だし、ヘンリー・デイヴィッド・ソローから公民権運動まで、不当だと思うことには不服従で対抗するというのはアメリカ人が抵抗運動を組織する際の伝統ある発想である。フランキーは跳ねっ返りのようだが実はとても正統派なやり方で自分の権利を求めており、サミーはそれを受け入れられずに出て行ってしまう。このあたりをしっかり描いているところがお話としてはとても面白い。

 ただ、全体的に音楽は何だか少しのっぺりとしているような印象を受けた。これはたぶん歌詞のせいではない…というのも、この作品はもともと英語と日本語が両方使われているのがポイントなのだが、それをあまり違和感がないようにわりときちんと翻訳しており、翻訳ものミュージカルとしては歌詞の作り方などは頑張っているほうだ。そのわりに歌に華やかさがないように思われる。あと、演出が引き締まっているせいもあって男性陣の物語はしっかりしているのだが、ケイや看護師のハナ(小南満佑子)がやや掘り下げ不足で、それまで対立していたケイとハナがやっと互いを理解しあうようになったかと思ったらハナがすぐ死んでしまうというかなりわざとらしい展開があったり、ケイの活躍がフランキーと不服従運動をするあたりに限られてやや男性の抵抗運動の補足みたいになっていたり、このあたりはもっと書き込んでもいいと思った。とくにハナの死とその後の展開は本当にけっこう強引で、終盤ちょっと滑らかさに欠けるなぁと思った。