小児性愛っぽさを全力で避けた結果、近親相姦ロマンスに~『夏への扉 キミのいる未来へ』(ネタバレあり)

 『夏への扉 キミのいる未来へ』を見てきた。ハインラインの有名小説(この小説がこんなに読まれているのは日本特有の現象らしいのだが)の映画化である。

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 舞台は1995年である。主人公の宗一郎(山﨑賢人)は両親の死亡で知り合いの研究者の家に引き取られ、その家の娘である璃子(清原果耶)とネコのピートと一緒に育てられる。長じて開発者となった宗一郎は会社で先端的なロボットや電池の開発に従事し、秘書の白石鈴(夏菜)と付き合い始めるが、鈴は実は会社のトップで現在、璃子を引き取っていた和人(眞島秀和)と結託して宗一郎を追い出すつもりだった。宗一郎はショックでコールドスリープ(冷凍冬眠)に入ることに決めるが、契約後に鈴や和人と対決することに決める…ものの鈴に反撃され、無理矢理コールドスリープに入れられてしまう。30年後の2025年に目覚めた宗一郎は、介護用ヒューマノイドのピート(藤木直人)に助けてもらってこの30年間に起こったことを明らかにしようとする。

 原作は小児性愛っぽい要素や性差別的描写がけっこうひどい作品で、とくに小児性愛(大人になるまで待っているので厳密には小児性愛とは言えないのだろうが、11歳の子に惹かれている)は今読むとかなりまずいレベルなのでどうするのだろうか…と思ったら、この作品は原作では11歳のリッキーを17歳の璃子にして、さらに宗一郎と兄妹同然に育ったということにしている。年齢差は10歳くらいあるのだが、山﨑賢人がかなり若々しくてちょっと子供っぽい性格で、また璃子も後で優秀なロボット開発者になり、原作のように相手に言われてではなく自分の意志でコールドスリープに入るという展開になっているので、幼い相手に大人が言いつけて何かさせるみたいな小児性愛っぽい気持ち悪さはなくなっている。また、生々しい描写は避けてほのかな恋心くらいの関係性にとどめており、露骨な感じもしない。しかしながら一方で血は繋がっていないとはいえ兄妹が愛し合う話になっており、けっこうガチで近親相姦ロマンスになっている。途中で鈴が「自分が璃子に嫉妬するなんておかしい」と言うところとか、明らかにこの2人の関係が近親相姦っぽいものであることを示唆していると思う。宗一郎は璃子の名前を変え、別の家に引き取ってもらって死んだことにして生きながらさせるわけだが、この強引なやり方は2人が兄妹だったことを隠滅し、ひいてはおおっぴらに愛し合えるようになることにつながる…と思うと、なかなか業の深い近親相姦ロマンスである。

 さらに小児性愛っぽくないとは言え、璃子がセーラー服を着て宗一郎のところに会いに来るのはあまり必然性がなく、よくある女子高生表象を繰り返しているみたいでよろしくないと思った(親戚の家にごはん作ったりロボット関係の機械をいじったりしに行くなら、もうちょっと汚れてもいいような動きやすいラフな格好で行くのでは?)。やたらと璃子が宗一郎の面倒を見てあげるのもちょっと男性の理想に寄り添いすぎていて、とくにハンバーグを作ってあげようとするあたりはどうかと思った。一番まずいのは敵役の鈴の30年後で、あまりにも悪意に満ちたステレオタイプな悪役描写はかなりいただけない。

 さらにこの作品には近親相姦とは言えないかもしれないが、象徴的な近親同士の献身を表現するプロットがもうひとつ盛り込まれている。宗一郎を2025年に助けるピートはいろいろ頼れるとても面白いキャラで、原作には存在しない。原作に出てくるハイヤード・ガールなどから発展させて藤木直人を引っ張ってくるというのはかなり斬新な工夫だと思うのだが、このピートは後で宗一郎が開発したロボットをもとに作られたものだということがわかり、最後にピートは自分のことを「宗一郎の子供」だと呼ぶ。全体的に宗一郎は妹(ただし血はつながっていない)と息子(ただしロボット)にひたすら助けてもらっているキャラで、なんだか全体的にご家族ドラマみたいにも見えてくる。

 いろいろツッコむところは多いのだが、中盤、とにかく研究・開発がしたい宗一郎を描いているところは悪くなかったと思う。これは原作でもそうなのだが、研究をしているとメモを見返して「あの時の自分はこんなことを考えてたんか!?」とビックリしたり、とんでもない馬鹿力で課題が解決できたりすることがあるのだが、そういう研究者の逡巡と驚きみたいなものを謎解きと絡めているところがこの作品の面白いところだと思うので、そこはわりときちんとやっている(あれだけの機材で本当に設計ができるのかな…とかはちょっと思ったが)。あと、佐藤夫妻にあたる原作の登場人物サットン夫妻はヌーディストで、主人公が夫妻に初めて会った時に相手が全裸でビックリというところがある。私はハインラインの作品ではこういう突然ヌーディストとかが出てきてちょっとビックリするけど個人の選択は尊重されるべきだしまあ細かいことは言わないみたいな、なんとなく自由な感じのユーモアがいいと思うのだが、日本が舞台なのでその設定は当然のごとく完全カットだった。