絶対に恋が実らないディズニープリンセスvs路上出産モンスター~『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』(ネタバレあり)

 『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』を見た。

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 最近、クーデターで反米勢力が政権を握った南米の島であるコルト・マルテーゼを舞台に、スーサイド・スクワッドがこの島にあるナチス関連の実験施設ヨトゥンヘイムを破壊するミッションを描いたものである。不評だった前作から引き続き出演しているキャラクターは少なく、雰囲気もだいぶ変わっている。ジェームズ・ガンが監督ということで、非常にジェームズ・ガンっぽい映画になっている。

 全体的に昔のSFやホラー(それもB級のもの)を意識したような狙ったチープさがあり、それがだいたいはちゃんと機能していて、前作よりずっと出来のほうは向上している。笑えるところはたくさんあるし、ジェームズ・ガンらしく音楽は鉄板である。いきなりジョニー・キャッシュの「フォルサム・プリズン・ブルース」のライヴ演奏にあわせてマイケル・ルーカー演じるサバントが刑務所でぶすっとしているところから映画が始まっており、わざとライヴのしゃべりや歓声を入れるというような音楽の使い方はやはり面白い。

 

 この映画が昔のSFやホラーみたいな感じになっているポイントとして、終盤に出てくる怪獣のスターロが巨大ヒトデで、このスターロが街を襲うモンスターパニック描写がクライマックスだというところがある。全体的にこの終盤のアクションはジェンダー化が著しいというか、荒ぶる母性と志操堅固な女性性の戦いみたいに描かれている。このスターロ、状況がヤバくなると変な音を出して体の割れ目から無数の小さい化け物ヒトデを産むのだが、この割れ目がどう見ても女性器である。スーサイド・スクワッドとの戦いで赤ん坊ヒトデを産むところは、路上出産かい!とツッコミたくなってしまうくらいあからさまに女性器っぽく(予告編でもちょっと見える)、笑ってしまった。さらにご丁寧に、スーサイド・スクワッドの1人であるポルカドットマン(デヴィッド・ダストマルチャン)は母親のせいで水玉を出す異常体質にされてしまったため母を憎んでおり、周りのものが母親に見える幻想に悩んでいるらしいのだが、この化け物ヒトデを巨大化した自分の母親に見立てて戦っている。スターロが悪魔化された母性みたいな化け物であることといい、幼体が顔にとりつくタイプであることといい、このへんは『エイリアン』オマージュなのかもしれない。

 一方でスターロとの戦いで大活躍するのは女性陣で、とどめをさすのは父親であるブラッドスポート(イドリス・エルバ)とかポルカドットマンではなく、ネズミを操れるラットキャッチャー2(ダニエラ・メルシオール)とハーレイ・クイン(マーゴ・ロビー)で、どちらも本作ではある種の象徴的な「純潔」というか、志操堅固な「娘らしさ」を付与されている存在だ。ラットキャッチャー2は亡き父親を愛し、その言いつけを忠実に守っている良き娘である。一方、ハーレイは『バーズ・オブ・プレイ』のハーレイとはちょっと違ってまるでパロディ版ディズニープリンセスのように描かれており、途中で捕らわれて脱出する場面では暴れるたびにカラフルなお花が散るという笑える表現がある。さらにハーレイがコルト・マルテーゼの反米勢力トップである伊達男ルナ将軍(フアン・ディエゴ・ボト)から政略をまじえて色仕掛けで迫られるというちょっと珍しい展開があるのだが(ハーレイが国民に人気があるのでファーストレディに欲しかったらしい)、ハーレイは最初はルナのペースにとりこまれるものの相手の本性を見るやきっぱり(相当過激な方法で)断ち切っており、さらにフラッグ大佐(ジョエル・キナマン)との友情だか思慕だかわからないような関係も潰えていて、全体として絶対に恋が実らないディズニープリンセスとして描かれている。スターロとの決戦ではラットキャッチャー2が呼び集めたネズミと一緒に、槍を持ったハーレイがスターロの目に突入し、ディズニープリンセスよろしくネズミと一緒に泳ぎながらスターロの神経系を破壊するというオチになっており、再現なく出産する荒ぶる母親に純潔で志操堅固な娘たちが勝利する展開だ。

 悪魔的な母親に対する恐怖というのはそれこそ作中で言及されている『サイコ』をはじめとしていろんなホラー映画に出てきているもので、非常に定番だし、ある意味では古臭いものだと思う。それに対抗できるのが良き娘たちだというのも保守的といえば保守的だ。ただ、ジェームズ・ガンは親子関係とかに大変こだわっている人し、古いSFとかホラーも好きだろうと思うので、とにかくこういう話をやりたいのだろうと思う。