ラパチーニの息子~『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(ネタバレあり)

 『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』を見た。

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 ダニエル・クレイグが演じる007の最終作である。ボンドが引退してマドレーヌ(レア・セドゥ)とマテーラにハネムーン…と思ったが結局あんまりうまくいかず、ボンドはジャマイカでひとり暮らしをすることになる。ところがそこにボンドにとっては数少ない信頼できる友達であるアメリカのエージェント、フェリックス(ジェフリー・ライト)がやってきて、ボンドに仕事を頼んでくる。あまり気乗りしないボンドだが、いろいろあって結局は任務に復帰することに…

 

 私はダニエル・クレイグがボンドになる以前はほとんど007をちゃんと見たことがなく(ごく有名な数本しか見てないと思う)、クレイグになってからこの役者はイイと思って見始めたのだが、こういう孤独で疲れた人間としてのボンドの最後の大舞台としては非常にきちんとまとめあげている作品である。スパイ映画っぽい荒唐無稽な設定と、あまりにも人間らしく、自分の欠点に向き合い続けてきた憂鬱なヒーローのキャラクターがかなり齟齬をきたしてしまっているというところはあると思うのだが、力技でボンドを花道から退場させた感じだ。また、脇を彩るボンドの仲間たちのキャラクターがとにかく魅力的で、心を許せる友達であるフェリックスの前ではボンドが驚くほどリラックスした表情を見せる。また、口では文句を言いながらもボンドをとても心配しているQ(ベン・ウィショー)が、ボーイフレンドが訪ねて来るというのに結局はボンドたちを助けてくれるなど、あいかわらずカワイイ。背中の美しさに自信がないと着られない超オシャレドレスで暴れ回るパロマ(アナ・デ・アルマス)や、ボンドの後任である若くて優秀な新007ことノーミ(ラシャーナ・リンチ)も魅力的だ。

 プロットはけっこうトランプ政権を意識したものになっていて、たぶんできれば大統領が変わる前に公開したかったのではないかと思う。別にトランプの名前が出てくるとかではないのだが、全体的にアメリカの情報機関がトランプ政権の無能のせいでちゃんと機能しなくなっているらしいということがほのめかされている。フェリックスが連れていくるアッシュ(ビリー・マグヌッセン)というアメリカ人のエージェントがいるのだが、こいつがとにかく使えない上、悪巧みだけは頑張るという、まったく実のない男である。ごますりとか調子のいいハッタリは得意そうな白人男性で、いかにもトランプ政権下で出世しそうな感じだ。このせいで明らかに有能であるフェリックスがとんでもないめにばかりあい、最後には優秀なエージェントが失われてしまうということになるわけで、このあたりはけっこう諷刺的だと思う。イギリスはそこまで組織が劣化していないので(それでも政治家の能力という点では全く期待はできない状態なのだが)、アメリカのせいでいろいろ困っている…みたいなこともそれとなくほのめかされている。

 ただ、マドレーヌが序盤、列車に乗るところで白いドレスのお腹を押さえていて「ん…?まさか…?」と思ったら予想通りに終盤で子どもが生まれており、ずいぶんと細かい伏線を張るものだと思った。マドレーヌがいきなり母になり、そのせいでボンドがどんどん父親の自覚を持ち始めてしまうあたりはちょっと安易である。しかしながら、始終孤独なダニエル・クレイグのボンドでは、包容力ある母というのが究極のファム・ファタルなんだろうなと思う。『スカイフォール』で亡くなったMはエージェントみんなの母であり、ボンドと断ち切れない絆で結ばれた究極のボンドガールであった。そしてここで新たな母であるマドレーヌがファム・ファタルになるわけである。レア・セドゥは昔のフランスの女優みたいな妖艶さを持っていて、別に顔がすごく可愛いとかいうわけではないのだが、ちょっと不機嫌になったり、つらそうにしているだけで、惚れた相手がどんどん心配でたまらなくなるような人を惹きつける存在感を持っている(昔のジャンヌ・モローみたいな珍しい魅力を持っている女優だと思う)。こういうレア・セドゥだからなんとか優しい母にしてファム・ファタルみたいな役でもできるのであって、他の女優だったらただの薄っぺらなヤバい人みたいに見えるのではないかという気がした。 

 本作で一番弱いポイントなのは悪役のサフィンラミ・マレック)だ。北方四島あたりにあるミョーな日本趣味の島に住んで毒物とか細菌の研究をしており、たぶん北海道を危険にさらしていると思うので(ただでさえエキノコックスで大変なのに!)、道産子としてはこれだけで非常に心証が悪い。まあ、北海道を危険にさらしているとしても本人がカリスマ的魅力を持った悪役であるならば映画としては楽しめるのだが、このサフィン、全ての背景をあまりよく練られていないセリフで説明してしまうので、全然面白くなく、北海道は危険にさらされ損である。とくに終盤でサフィンとボンドが話すところなどはもうちょっとセリフをちゃんと考えたほうがいいのではないかと思った。変な日本趣味についてもとくに説明はないので、ただのオリエンタリズムみたいに見える。サフィンの設定はホーソーンの「ラパチーニの娘」という作品にちょっと似ていて(あまりネタバレしたくないのだが、有毒美女の話である)、ああいう感じのことをしたかったのでは…と思うのだが、正直、「ラパチーニの娘」のほうがずっとぶっ飛んでいて面白い。どうせならサフィンの設定をもっとあからさまにラパチーニの娘に寄せたほうがスパイアクションっぽくなったのではないかと思う。