全然ダメだと思う~『野外劇 ロミオとジュリエット』

 東京芸術劇場で『野外劇 ロミオとジュリエット』を見てきた。青木豪演出で、もともとは野外劇にする予定だったが新型コロナウイルスなどの事情でできなくなったらしい。500円で見られるプロダクションである。

tokyo-festival.jp

 

 正直なところ、全くダメなプロダクションだと思う。ダメなポイントは主に2つあり、まずはコンセプトが全然効いていない。また、技術的な点でも全体的に出来が悪い。

 コンセプトについてだが、「男女の分断が進み、性を自ら選び取るようになった近未来の池袋」が舞台であり、さらに「女系一家・モンタギューvs 男系一家・キャピュレット」ということで、モンタギュー家は全員女優、キャピュレット家は全員男優が演じる…のだが、そもそもこの時点でコンセプトに齟齬があるような気がする。男女の分断があるのに「性を自ら選び取る」という理屈がイマイチよくわからないのだが、「性を自ら選び撮る」ならなんでモンタギュー家を全員女優、キャピュレット家を全員男優が演じているのにジュリエットは女性っぽい衣服を着ていたり、ロミオは男性っぽい衣服を着ているのかとかが全然わからない。むしろこの理屈なら、それぞれの家族を現在のいろんな性別(ノンバイナリの人も含む)の役者が演じているのに、モンタギュー家は女性っぽい衣類、キャピュレット家は男性っぽい衣類を統一的に着ている、としたほうがいいのではないかと思う。男女の分断が進んでいるらしいのに家父長制が残存していてキャピュレットが子どもであるジュリエットに父権を及ぼせる理由も謎だし、男女の分断が悲劇的な異性愛ロマンスによって緩和に向かうなんていうのは甚だしい欺瞞だと思う。まず、このプロダクションが「男」と「女」をどうとらえているのかが不明で、正直、全然ちゃんと考えていない(あるいは後付けでポっと思いついただけ?)のではと思う。ジェンダーとかセクシュアリティを扱った上演としては頭が痛くなるような詰めの甘さだ。

 ふたつめとして、おそらく野外劇の予定だったものを室内に持ち込んだからだと思うのだが、全体的に演出とか演技がちぐはぐに感じられるところが多い。金属の足場を組んで舞台を囲み、下には草なんかが生えているのだが、外でやればけっこうマシになると思うものの、室内だとなんだか安っぽくありきたりに見えてしまう。演技のほうもとくに序盤はやたらガチャガチャしていて、野外だとデカい声で騒がないと人の注意を惹きつけにくいのを前提にしているのかな…と思った。また、若者同士の場面を短くしているのにキャピュレット父とか薬屋など、中年以上の男性が騒ぐところはわりとカットが少なく、そこ強調するところじゃないでしょ…と思った。全体的に演技のクオリティはかなり低く、主役の若い2人は頑張っていたものの、空回り気味でちょっとかわいそうだった。

 ちなみにこのなんとなく緩い感じはカーテンコールまで続いており、私が見た回ではカーテンコールのシメをやったのはジュリエット役だけでロミオ役がやっておらず、ふつうこういう芝居だとタイトルロールの2人がやったほうがいいのでは…と思った(それとも日替わりなのかな?)。あと、カーテンコールでいきなり隣の役者がジュリエット役の顔をつっつくみたいな動作をしていてジュリエットがちょっとびっくりしており、いくらなんでもカーテンコールでそういうことをするのはやめてもらえませんかねと思った。予期してないところで他人の体に触ったり、不用意な動きで他人を驚かせるようなことはしないでほしい。