搾取と解放~『よだかの片想い』(映画祭上映、ネタバレ注意)

 東京国際映画祭にお呼ばれして安川有果監督『よだかの片想い』を見てきた。島本理生による小説を城定秀夫が脚本にし、それが映画化されたものである。

 ヒロインである大学院生のアイコ(松井玲奈)は顔にアザがあり、これを気にして控えめに暮らしていた。ある時、アザやケガが主題の本の取材に応じて表紙に写真も提供したことをきっかけにアイコの暮らしは変わり始め、映画化の話が舞い込んでくる。監督である飛坂(中島歩)が熱意を持って説得してきて、アイコは飛坂に好意を抱くようになるが…

 わりと静かで地味とも言える作品なのだが(ちょっと『サンドラの小さな家』に似ているかもしれない)、実は搾取と解放の危ういバランスみたいなものを扱った作品だ。飛坂がアイコに近づくのはとにかくアザのある女性についての映画を作りたいからで、アイコをインスピレーションにして映画を作り、さらにその役柄を自分と腐れ縁の女優さんに演じさせる。飛坂はかなり自分勝手で極めてわがままな芸術家で、明らかにアイコを利用しているというか、自分のインスピレーションのために顔にアザがある女性というマイノリティを芸術的な側面で搾取していると言える。しかしながらアイコはこの搾取的な芸術家である飛坂と付き合うことを通して今までとかなり異なる人生経験を得て、ひどく不愉快な経験もした一方、解放されたような新しい気分を味わうこともできた。最後のアイコの姿を見ると、アイコはひょっとして自分を搾取してくる飛坂も消化してしまったのではないか…という気がしてくる。こういう書き方をするとなんか搾取されたけどいい経験になりました、というような極めて卑屈で問題ある話に見えそうなのだが、この作品は全体的に「こういうことありそうだな…」という絶妙なバランスを保つことでそういうイヤな感じを回避している。これは飛坂があからさまに暴力的でイヤな奴というよりはわがままで実に困った人だが実際にいそうだ…という感じで提示されているのと、アイコ自身がかなりリアルに真面目な大学院生らしく描かれているからではないかと思う(大学院生で研究三昧の生活だったとしたら、自分の生活圏内にちょっとイケてる芸術家が入ってきたら絶対ああなると思うので、アイコが油断してるとか卑屈だみたいなことは絶対に言えない)。

 ただ、終盤はもうちょっと火傷したミュウ先輩(藤井美菜)のエピソードを増やしたほうがいい気がする。ラストシーンはかなり印象的なのだが、そこの準備としてミュウ先輩がどうやってあんなにポジティヴに回復したのかをもう一場面くらい使って描いたほうがいい気がした。ミュウ先輩とアイコのやりとりは女性同士の細やかな会話でよくできていると思ったので、もう少し見たいと思った。