もっとイヤな感じの諷刺的な話にしたほうがいいのでは?~『ハウ・トゥ・サクシード』

 『ハウ・トゥ・サクシード』をシアターオーブで見てきた。クリス・ベイリー演出・振付で、1961年初演のフランク・レッサーのミュージカルである。主人公のフィンチ(増田貴久)が『努力しないで出世する方法』というハウツー本を読み、そのアドバイスに従いつつ、窓拭きからワールドワイド・ウィケット社の会長になるまでを描いている。このプロダクションは既に去年1度上演されたものである。www.howtosucceed.jp

 1950年代末っぽいお洒落なセットで大企業を表現しているのだが、内容は相当に辛辣な諷刺ものである。まず舞台になっているワールドワイド・ウィケット社というのが何の会社なのか全くわからない。ウィケットというとクリケットとかで使うゲートみたいなやつしか思いつかないが(『スター・ウォーズ』シリーズにもそういうキャラクターがいるがこの作品のほうが先だし)、スポーツで使うゲートだけを作っていて大企業になるわけはないし、たぶん大企業というのはいったい何をしているのかよくわからないところだということを言いたいのだと思う。さらにフィンチが出世していくにあたり、このウィケットなるものの製造とか改善とかに関する知識が出世に全く影響を与えない…というか、フィンチが出世していくのは上役に取り入ったり、会社の業務とどうつながっているのかわからない宣伝戦略を考えたりすることによってであり、ウィケット社の業務効率を改善した、みたいな実のある業績がほぼ出てこない。つまりこの作品が言いたいのは、大企業というのは中核になっている業務に関する経験や知識がなくておべんちゃらや人間関係だけできるようなヤツが口だけで出世できるバカげたところだ、という痛烈なディスなんだと思う。

 しかしながらこれだけ辛辣な話なのにちょっと全体的に作品の演出が単純に楽しい作品という方向性に寄ってしまっている気がする。フィンチは何を考えてるのかちょっとわからない感じはあるが、そんなに不愉快な男ではなく、正直なところもうちょっと野心剥き出しのイヤな感じの人に演出したほうがいいのではという気もした。しかしながら現代の格差社会ではフィンチみたいなたたき上げが口だけで出世できるということはまずないのであって、出世するのは親の七光りで就職したドラ息子のバド(松下優也)のほうでは…という気がするので、こういうふうに貧しい若者を主人公に出世ものの諷刺劇を作るというのは現代の作品としてはちょっと通用しづらいのではという気がした。あと、女性の描写が明らかに一時代前のもので、入社したてのフィンチにすぐ目をつけて結婚ばかり夢みているローズマリー唯月ふうか)や社長の愛人へディ(雛形あきこ)などはかなりステレオタイプな女性像である。全体的にちょっと台本が古くなっているのではという気がした。