これがないとただの「史料集」だよね…『ザ・ビートルズ Get Back:ルーフトップ・コンサート』

 『ザ・ビートルズ Get Back:ルーフトップ・コンサート』を見てきた。ピーター・ジャクソンによるドキュメンタリー『ザ・ビートルズ:Get Back』のヤマ場であるルーフトップ・コンサートを切り出したものである。

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 ディズニーが配信しているドキュメンタリーのほうは全部で8時間くらいあり、のちにドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』となる大量のフッテージを編集し直したものである。所謂フライ・オン・ザ・ウォール方式で専門家による説明とかが全然ないので、言ってみれば単なる編纂された史料集である。ビートルズがどうやって曲を作っていたかとかはよくわかるし、またビックリするようなフッテージもたまにあるのだが(ジョンとポールの会話が隠し録りされていた音源には度肝を抜かれたし、あとこの音源でディズニーの配信コンテンツでFワードが出てきたのも別の意味でビックリした)、正直なところ、私は『ガーディアン』のアレクシス・ペトリディスにかなり同意で、この作品は長すぎるしとくに面白くはないものだと思う。明らかに歴史的に価値のある史料を集めたものなのだが、既に歴史の一部になっているものをこの長さで何の文脈づけもせず出しているということにあまり意義を見いだせない。なんだか異常に細かいところまで知りたがるビートルズオタクと歴史家っぽいアカデミックな関心が一致してしまったところに生まれた妙な作品だという印象を受けた。ピーター・ジャクソンの前のドキュメンタリーである『彼らは生きている』の時も、凄い作品だとは思いつつ、この「史料」を彩色してより生き生きと…みたいなのってちょっと倒錯しているような気はしたのだが、そういう「史料的なものを生き生き提示する」ことへのこだわりが余計変な方向に進んでいる気がした。

 そして映画館でも公開されているルーフトップ・コンサートなのだが、とにかくドキュメンタリーのほうはこのクライマックス、屋根の上で4人が演奏するところが無いと本当にただの史料集だっただろうと思う。最後にルーフトップ・コンサートがあるからこそその前の部分に意味があるのだが、一方でこのルーフトップ・コンサートだけ見てもそれはそれでコンサートフィルムとして完結する。これをIMAXでいい音質で見られるのは実に楽しいが、一方でリアルタイムで地上で聴いていた人たちはこういう音質じゃなかったのだろうな…と思うと、ちょっとそういう体験もしてみたいような気がして、ライヴの一回性みたいなものに思いをはせてしまった。