レイプ・リベンジ・クィア・ファンタジア~『薔薇と海賊』

 東京芸術劇場でunrato#8『薔薇と海賊』を見てきた。三島由紀夫の戯曲で、大河内直子演出によるものである。

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 童話作家の楓阿里子(霧矢大夢)のところに、もう30歳なのにまるで子どもで自分が阿里子の童話に出てくるユーカリ少年だと思っている青年帝一(多和田任益)が訪ねてくるところから始まる。阿里子は自分をレイプし、妊娠させた重政(須賀貴匡)と結婚して娘の千恵子(田村芽実)を育てていたが、一切性的なことがらに関心がなく、それ以来夫と関係したことも一度もなかった。そんな阿里子と帝一が純粋な心同士で結ばれたために楓一家にはさざ波が起きるが…

 全体的にものすごく変な構成の一種のレイプ・リベンジもの+非常にロマンティックな純愛ものである。この芝居には男女の性的関係というものに一切の希望が無い。阿里子が千恵子を産んだのはレイプによるもので、阿里子はそれ以降、ほんの一瞬だけそのショックで気の迷いみたいに重政を好きだと思って結婚しただけで、後はずっと耐えていた。千恵子はそういう両親を見て育ったせいで恋愛に一切理想を有しておらず、帝一のお目付役である額間(大石継太)を強引に口説いて結婚しようとする。重政のところに出入りしている浮気相手であるセリ子(篠原初実)とチリ子(松平春香)は性欲に正直な実際的な現代女性だが、わりとミソジニー的に描かれている。この芝居で臆面も無く肯定されているのは聖母のような処女である阿里子と子どものままの帝一だけである。

 この点で、この芝居はものすごくクィアな話だと思う。三島由紀夫が描く家庭にはどことなくクィアなところがあると思うのだが(それを以前『美しい星』論で書いた)、この芝居もそうで、男女間の性的関係とか血縁に基づく家族には希望は無いということを描いている。しかしながら性的関係も打算もない愛は現世では実現しないのであって、そのため終幕は物凄い勢いでファンタジーに突入する(『美しい星』ばりに妙な惑星の人たちも登場する)。しかしながらたぶんこの作品は人工的な設定といい、クィアな雰囲気といい、最初から実はちゃんとしたファンタジーなのだろうと思う。その点、このプロダクションはミドルクラスの家庭らしいセッティングの序盤と終幕の対比を際立たせる方向性でメリハリをしっかりつけていて悪くないのだが、実は全体的にもっとメチャクチャな演出にしたほうがいいのかもしれない…とは思う。