とてもいびつな探偵もの~『THE BATMAN ザ・バットマン』(ネタバレあり)

 『THE BATMAN ザ・バットマン』を見てきた。

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 主人公であるバットマンことブルース・ウェインロバート・パティンソン)は大変引っ込み思案な性格で、ここ2年間、夜は正体を隠してバットマンとして活動しているが、他は経営も財産管理もほぼほったらかして屋敷の管理も執事アルフレッド(アンディ・サーキス)にまかせきりである。ゴッサムは市長選の最中だが、現職で選挙出馬中のミッチェル市長(ルパート・ペンリー=ジョーンズ)が殺害されてしまう。バットマンは正体を隠したまま、ゴードン警部補(ジェフリー・ライト)と協力して捜査にあたるが、どんどん被害者が増えて…

 かなり探偵ものノワールっぽい作りの作品である。パティンソンを初めとして役者陣のキャラが良く、面白いところはたくさんある。バットマンがあまりにも社交スキルが低くてお金持ちの御曹司っぽくなく(このブルース・ウェインは経営能力はゼロではと思う)、親を早くに亡くして富を後ろめたく思いつつ、自分ができるかぎりで良いことをしようと頑張っている人という感じになっているのも良い。女性慣れもしていないバットマンで、途中でバットマンがうっかり捜査中に美女の着替えを覗いてしまうという場面があるのだが(ここは重要登場人物の正体がわかる場面なのでサービスカットとかではない)、全然お色気シーンになっておらず、バットマン自身もたぶん捜査とは言え女性のプライバシーを覗くとかイヤだなと内心思っているのでは…という雰囲気だった。

 音楽の使い方もわりと面白い。シューベルトの「アヴェ・マリア」やベートーヴェンなどのクラシックを使っている他、ニルヴァーナの「サムシング・イン・ザ・ウェイ」を印象的に使用しており、ポイントになるところではなんとなく「サムシング・イン・ザ・ウェイ」っぽい音楽が流れる。私はそんなにニルヴァーナが好きではないのだが、これはバットマンのキャラクターともあいまって上手に使っているのでは…と思った。

 しかしながら終盤にかけてかなり探偵ものとしていびつだな…と思うところがたくさんある。まず、犯人であるリドラー自身の動機じたいがけっこう正当性がある…というか、ゴッサムに蔓延する腐敗を正し、そのせいで裁かれていない罪人を裁くということなので、やっていることは暴力的で明らかに間違っているのだが、活動方針としては街を良くしたいバットマン自身とそんなに変わらない。むしろ、社交スキルゼロで陰謀とかが見るからに不得意そうなバットマンに比べると、リドラーはより社会への深い理解に根ざした行動を行っているとも言え、中盤くらいまではバットマンはけっこうリドラーから社会の仕組みを学んでいるのでは…と思えるところすらある。そのせいもあり、この作品はノワールなのに探偵役であるバットマンもゴードンも経験に基づく鋭いタフさがあまりないというか、社会の悪い側面を熟知して戦っているという感じがそんなにしない。2人とも善良で誠実な市民ではあるのだが、ノワールの探偵によくある、ヤバい人たちの考え方を理解しているからこその強さみたいなものが無い。

 しかしながら終盤、鋭い社会分析に基づいて正当性ある動機から悪質な暴力行為をしていたはずのリドラーが、急にネットで陰謀論にハマった人みたいになってしまう(ネタバレになるのであまり詳しいことは書かないが)。この作品の一つのテーマとして腐敗批判があるはずだと思うのだが、それがなんかネットで炎上祭みたいなオチになってしまうのはけっこう構成として不自然…というか、リドラーを賢い知能犯として描きたいのか、無思慮に暴走した分別の無い人みたいに描きたいのかもよくわからないし、腐敗批判という正当性ある動機が結局、乗せられたアホな人たちの祭りみたいになってしまうのもいただけない。こういう「動機は正しいがやり方がおかしい」系の話は最近だとドラマの『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』のほうがはるかに上手にやっていたように思う。

 もうひとつ気になったのがドラッグに関する描写である。ゴッサムではドロップという麻薬が大問題になっており、これが汚職絡みの資金源になっているらしい。そういうわけでバットマンはドラッグ問題に対処しなければならないはず…なのだが、なんと終盤でバットマンがやられかけた時に自分で何かを摂取して元気を取り戻して戦うという描写がある。この摂取物が何だかはファンの間で議論があるらしく、原作を読んでいない者には大変わかりづらい話なのだが、映画だけ見ているぶんにはドラッグ問題と戦っているバットマンが実は別種のドラッグをやっていました…みたいな、おいおいブルース大丈夫かというような話に見えてしまう。さらにこの映画にけっこうニルヴァーナへのオマージュがあることを考えると、ドラッグの問題を抱えていたカート・コベインっぽい主人公が出てくる作品でこういうドラッグの描き方はどうなのか…と思ってしまう。ひょっとしたら続編でバットマンが依存症になってリハビリ施設に入るみたいな暗い話を予定しているのかもしれないが、このドラッグ描写は単体の作品の中でやるものとしては不消化きわまりない。

 また、キャットウーマンことセリーナ(ゾーイ・クラヴィッツ)が大変魅力的なのにそこまでちゃんと生かされていない。そもそもセリーナとアニカ(ハナ・ハルジック)の関係の描き方がはっきりせず、恋人同士のようにも見えるのだが、それにしてはセリーナがアニカの行方不明中からブルースをちょっと良いと思っているような感じに見えてよくわからない(2人が恋人なのにセリーナがあんな感じではちょっと冷たいキャラすぎるので、私はこの2人が恋人同士だとは解釈したくない)。アニカの扱いもけっこう雑だと思う。