アニメ版『ベルベット・ゴールドマイン』~『犬王』(ネタバレあり)

 湯浅政明監督『犬王』を見てきた。古川日出男の小説『平家物語 犬王の巻』のアニメ映画化である。脚本は野木亜紀子、キャラクター原案を松本大洋、音楽を大友良英がつとめている。

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 南北朝の時代が舞台で、異形の者として生まれたが猿楽の芸を極めると身体の異形の箇所がひとつずつ減っていく犬王(アヴちゃん)と、壇ノ浦の海人の息子で平家が残した三種の神器の剣引き上げにかかわったせいで盲目になり、琵琶法師を目指すことになった友魚(森山未來)の数奇な運命を描いた作品である。犬王は新しい猿楽の芸で京都で大人気になり、友魚も友有と改名して犬王のことを語る琵琶の歌で人気を博す。やがて犬王には将軍・足利義満柄本佑)から声がかかる。

 原作小説のほうはなんだかんだで猿楽とか琵琶とか日本の伝統芸能の話という印象がけっこうあったのだが、映画のほうはグラムロックに寄せていることもあってあまりそういう感じがしない。音楽や踊り、舞台装置などが非常に現代化されており、室町時代の芸能の知られざる一面を…というよりはわりと一般的な「政治と芸術」を扱った話になっている。全体的に大変『ベルベット・ゴールドマイン』に似ている…というか、楽曲とか犬王、友魚の衣装やヴィジュアルスタイルはまるっきりグラムロックだし、犬王が途中でパフォーマンスする「鯨」はクイーンの「ウィー・ウィル・ロック・ユー」にそっくりである。最後にスターが権力に回収されてしまい、「語り手」にあたる人物がそれに抗おうとするというような構成も『ベルベット・ゴールドマイン』にそっくりだし、自由奔放なヴィジョンに基づいてファンタジー的な表現をしているところもけっこう似ている。

 ただし、能はもともとアンドロジェナスなところがある世界なので、性差の境界を曖昧にすることの反骨性というのは本作ではあんまり全面に出ていない(琵琶法師の友有が化粧するところで少々出てくる程度である)。それよりも新しい芸術の一派を創造すること、正典に含まれない多様な物語を創りあげることじたいが政治的に過激な行為なのであるということに重点が置かれている。社会の中で常に政治的であらざるを得ない芸術の道というものを扱っているという点で、本作は大変政治的な映画であると言える。

 そこでちょっと解釈が難しい気がするのが犬王の受けている呪いと「異形」(身体の障害)の関係の話で、わりと現代のロックその他のパフォーマンスアートだと「障害や病気に引け目を感じず、異形と言われるような身体をそのまま見せる」のがパフォーマンスになるところがあると思うのだが、この映画の犬王はそこは伝統芸能寄りで、芸を完成させることで呪いのようなものを解いて猿楽的な身体の美に近づくことを求めている。そこで「異形」ではなくなって猿楽的な美しい身体を獲得した犬王が権力にとりこまれてしまうというのは、健康で五体満足で社会規範に照らして美しいとされるものが権力によしとされることを諷刺しているのだろうと思う。その点、自分の盲目という「異形」に引け目を感じていない友魚は権力に阿ることができなかった。犬王と友魚の運命の差は、この「異形」に対する向き合い方にあらわれているのだろうと思う。