よいプロダクションだが、戯曲が好きかわからない…『M.バタフライ』

 新国立劇場で『M.バタフライ』を見た。デイヴィッド・ヘンリー・ウォンによる戯曲の再演で、部分的に実話に基づいている。日澤雄介演出である。舞台で見るのはこれが初めてなのだが、映画化されており、それは見たことある。

 北京で働くフランスの外務省職員であるルネ・ガリマール(内野聖陽)は既婚だったが、『蝶々夫人』に出演していた役者のソン・リリン(岡本圭人)に恋をする。ルネはソン・リリンを女性と思い込み、バタフライと呼んで愛人にするが、実はルネは男性で、共産党にスパイ行為をするよう言われていた。2人の関係は長く続き、やがてソン・リリンはフランスにまでやってくるが…

 台本はパワフルだし、美術や演技などは申し分ないプロダクションだったと思う。東洋幻想にとらわれた内野ルネも、役者としての振る舞いが全てを支配している岡本ソン・リリンもよくはまっている。岡本ソン・リリンはかなり芸術家としての自分にこだわりがあり、変動する中国でなんとかして自分を保とうとしているアーティストに見えた。舞台上でソン・リリンが着替えるところなどでは笑いも出ており、シリアスな話にしてはユーモアもある。また、デンマークから来た留学生のルネ(主人公と同名、藤谷理子)がえらく賢い遊び人ギャルで、見た目はチャラチャラしていて男性に侮られそうなタイプなのに、機知に富んでいて男性のペニスに対するこだわりを暴いてくれたりするあたり、かなり面白い。

 一方、これは完全に個人的な趣味なのだが、植民地主義的なジェンダー観、東洋観に対する手厳しい諷刺であるとは言え、白人男性が語り手でその幻想をけっこう長くじっくり見せられるのはつらいし気の滅入る芝居だなぁ…と思ってしまった。さらにそれが、女性と思っていた相手が男性だったという開示で揺るがされるというのも、実話に基づいているとは言え、今だとなんかちょっと陳腐な感じがするし、下手するとトランスフォビアにつながりそうな気がする(別のこのプロダクションがトランスフォビックだったわけではないし、どうもこのあたりの表現については2017年のアメリカの再演ではけっこう台本を改訂したそうなのだが、今回の日本語版はどれくらいアメリカの改訂を反映しているのだろうか?)。さらに、文化大革命で苦境に陥ったクィアな芸術家の人生というのはそれだけで掘り下げる価値があると思うのだが、それを白人男性が主人公の話にするのもやや物足りない気がする。ただ、このへんはもうちょっと別の演出で見ないとよくわからないところかもという気はする。