「オールド・タウン・ロード」をSFホラー映画にするとしたら?~『NOPE/ノープ』(ネタバレあり)

 ジョーダン・ピール監督の新作『NOPE/ノープ』を見てきた。

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 主人公であるOJ・ヘイウッド(ダニエル・カルーヤ)は父と一緒に映画やテレビに出る馬を訓練する仕事をしていたが、父が空からの落下物による直撃で死亡して以来、譲り受けた牧場の経営に四苦八苦していた。妹のエメラルド(キキ・パーマー)は明るい性格だがあまり牧場を手伝わず、ハリウッドでもっと華やかな仕事をしたいと願っている。ところが牧場のあたりで異変が続き、2人は電気店の技術職員であるエンジェル(ブランドン・ペレア)に手伝ってもらって監視カメラを設置するものの…

 (これ以降全てネタバレ)序盤はSFホラー、終盤は動物パニック映画である。たぶん予告から想像するよりもずっと『ジョーズ』とか「モルグ街の殺人」とかに近い映画だと思う…のだが、そういうジャンル映画の枠を使って、黒人のパフォーマーやスタッフが抹消されてきたハリウッドの映画史をひねった形で読みかえるという、かなり大それたことをやっている(そしてそれじたいはけっこう成功していると思う)。黒人のカウボーイに関する西部劇でもあるという点では『マグニフィセント・セブン』、はたまたリル・ナズXの「オールド・タウン・ロード」などとも関心を共有している。というか、いないことにされてきた黒人のカウボーイは実はいるし、現代にも蘇るんだ…という話である点は「オールド・タウン・ロード」のビデオにすごく近い発想だと言えるかもしれない。さらに、変な東アジア人表象も含めて、ハリウッド映画史を違う視点で生き直すというところでは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にもよく似た作品だ。

 序盤でエメラルドが説明しているように、OJとエメラルドは、エドワード・マイブリッジによる有名な動いている馬の連続写真にうつっていた黒人の乗り手の子孫である(これは史実を参考にしつつ脚色しているそうで、マイブリッジが最初に作った「動く馬」の騎手の1人は黒人男性かもしれないが本当にそうだかよくわからず、映画で使われている黒人騎手の連続写真は「動く馬」ではなくマイブリッジの後の作品である「動物の移動」で、さらに騎乗者の身元は不明らしい)。エメラルドが言っているように、撮影者であるマイブリッジの名前は技術的に不可能と思われていたものを初めて撮影したため、映画と写真の歴史の中で不滅のものになったが、黒人の騎乗者の名前は忘れ去られている。これは白人が見るヒト、黒人が見られるヒトという権力関係があり、ハリウッドではそういう白人中心的な視点で映画が撮られてきたことの象徴だ。終盤では有名な白人の撮影技ホルストマイケル・ウィンコット)が登場し、馬に乗るOJがおとりがわりになって、マイブリッジよろしく技術的に不可能と思われる未確認飛行物体を撮影しようとする…ということで、有名な白人が黒人を撮るという歴史が繰り返されるのかと思ったら、このホルストは撮影にこだわりすぎて死んでしまう。結局、黒人のカウボーイであるOJが祖先のレガシーを守って戦い抜き、見る/見ないという視線の権力を行使する主体として立ち上がり、その成果をエメラルドが撮影するということで、マイブリッジの写真に相当することを成し遂げたのは黒人の兄妹となる…という展開だ。白人ばかり有名になり、黒人の才能が抹消されるハリウッド映画史に意趣返しをする展開である。

 ここで伏線にもなり、ノイズにもなっているのが、最初から出てくる1990年代に架空のシットコムの撮影現場で起こった猿の大暴れ事件である(途中でこの事件が『サタデー・ナイト・ライブ』でパロディ化されたらしいとかいう小ネタがあり、ここの説明がやたらリアルで、そのコント見たいな…という気分になった)。ヘイウッド兄妹の牧場の側には東アジア系の元子役であるリッキー・"ジュープ"・パーク(スティーヴン・ユァン)が経営している西部劇テーマパークがあるのだが、このジュープはシットコムの撮影現場でひとりだけ猿による暴力を逃れ、無傷だった。たぶんこの経験のせいでジュープは妙に自信があり、未知の野生生物なんかと遭遇しても生きのびられると思っている。ホルストももともと動物の撮影が得意で、そのせいでたぶんやりすぎて死んでしまう。この2人は野生生物にたいして高をくくっているからやられました…ということになり、一方で昔からアメリカで猿だとか動物だなどと言って蔑まれてきた黒人であるOJとエメラルドは動物への対応をよく理解しており、自分を過信せず適切なやり方で動物に対応して生き残る、という展開になっている。これはおそらく、アメリカにおける黒人が常に白人(場合によっては野生動物よりずっとたちが悪い)を警戒し、周りを刺激しないよう注意しながら暮らしているという経験を下敷きにした描写だと思われる。

 ここで白人男性であるホルストが死んでしまうのはまあ歴史の反転として成立していると思うのだが、ジュープが東アジア系だというのはそういう意味が成立しておらず、けっこう問題含みだと思う。前にドラマ版『ウォッチメン』のレビューでも触れたが、『NOPE/ノープ』でもアジア系(トリューは東南アジア系、ジュープは東アジア系だが)のキャラクターがやたら調子こいていたせいで宇宙イカ(というとちょっと語弊があるかもしれないが)みたいなやつに殺されている。このへんの描写からは、アメリカの映像作品において東アジアや東南アジア系のキャラクターがまだまだ「やたら調子こいて頑張ってるのに空回りしてる人」みたいな視点からちょっとステレオタイプな感じで描かれていることが読み取れると思う。このへんはひょっとしたら脚本の問題かもしれない…というのは、この猿事件の描写はUFOの主筋に比べるとやや展開とか主筋とのつなげ方に滑らかさが欠ける気がするので、もうちょっと工夫したらジュープのキャラもよくなったのかもしれない。