記憶を取り戻す~『レオポルトシュタット』

 『レオポルトシュタット』を新国立劇場で見てきた。トム・ストッパード最新作で、小川絵梨子演出によるものである。日本主演で、この後英語版もナショナル・シアター・ライブで上映される。

 1899年から1955年までのタイムスパンで、ウィーンのユダヤ系の一族を描いた大河みたいな作品である。リッチで文化的にも豊かなウィーンで、これからどんどんユダヤ人の人権が認められ、宗教差別もなくなって良い時代なるだろう…という希望を持って暮らしていた人々が、ナチスの台頭でどん底に突き落とされ、一族の多くが死亡して離散状態になるまでを描いたヘヴィな芝居だ。全体的には記憶を保存したり回復したりするということがおそらくテーマのひとつで、人々が残虐なやり方で殺され、一家離散状態になったとしても、残った者たちで記憶(その中には子どものいささか正確さがあやしい記憶とか、忘れてしまった記憶とかもあるわけだが)を受け継ぎ、精神的な抹殺に抗っていかないといけないということが示されていると思う。ストッパードがほぼ初めて自分の家族とルーツに正面から取り組んだという芝居のコンセプトじたいがそうした記憶保存への思いからきていると思う。

 一方で本作はいわゆるサバイバーズギルトみたいなものも扱っている。戦争を生きのびたのに自殺してしまった一族のメンバーがいて、生き残った者たちもかなりの喪失感を感じている。一方でストッパードに近い人物であるイギリス育ちのレオ(八頭司悠友)はヨーロッパ大陸に残っていた家族とはかなり違う環境でイギリス人として育てられていたため、そうした喪失感が薄く、若いこともあって気付いていないこと、知らないことがたくさんある。レオはある意味で場違いというか、見ていて決まりが悪くなるような未熟さもあるのだが、こういう人物が自分の分身として出てくるということじたい、ある種のサバイバーズギルトのあらわれなんだろうなと思う。