戯画化 の検索結果:

階級や背景の違う女性たちが演劇愛で結びつく物語~『WE HAPPY FEWわれら幸運な少数』

…にならない感じで書き分けられているところだ。チャーリー(舞山裕子)とアイヴィ(古谷みちる)はワーキングクラスの女性なのだが、2人とも着ているものとか話し方の感じが戯画化されずにくだけた印象を与えるものになっている。アイヴィとロザリンドは恋人同士になるのだが、並ぶと階級が違っている雰囲気がけっこうある。こういうのはあまり日本のプロダクションではうまくいかないことが多いので、とても上手にやっていると思った。 スカートの翼ひろげて [DVD] キャサリン・マコーマック Amazon

スタントン(11)初めて劇場で「こんな白人ばかりのところで芝居を見たくない」と思った~Keene

…見ている中で、自分の戯画化みたいな人物を見るのはかなりつらかった。 実際には日本女性は別に大人しくないし、今国際学会で発表しているような日本の研究者は訛りはあってもそこそこ英語が話せるし、日本の大きい町に住んで大学院まで行っているような人ならひとりかふたりくらいは黒人の方にも会ったことある(私はド田舎出身だが、中学の時にケニア出身のアスリートたちが町に合宿に来て交流事業で会った)。劇作家に悪気はないのだろうが、いまどきこんなステレオタイプな日本人女性学者を出すのはとてもうまい…

とても野心的だが、好きかというと…劇団AUN Age.1『オセロー』

…ーゴーの様子がかなり戯画化されてまるでブラックコメディみたいになっており、会場は爆笑だった。『オセロー』でここまでブラックユーモア仕立てでこの場面を演出するということはそんなに見たことないので(ちょっと笑いを盛り込む程度ならあると思うけど)、たいへん野心的で個性的な試みだったと思う。 ただ、ここまで途中をブラックコメディ仕立てにしてしまうと、後半とのバランスが問題になってくるように思った。前半では衣装がわりとモダンな感じだったのだが、後半はメリハリをつけるためかちょっと時代劇…

「男というものは、可愛くないと」~『女王陛下のお気に入り』(ネタバレあり)

…りしている存在として戯画化されている。一番イングランドのことをまじめに考えていそうなのはハーリー(ニコラス・ホルト)だ。このハーリー、アン女王の治世末期には50歳近かったはずなのだが、30歳にもなっていないニコラス・ホルトがやっているせいで、史実よりも若くてカワいくて未経験そうな政治家になっている(MMFRでもX-MENでもそうだが、ニコラス・ホルトの主な個性は「カワイさ」である)。たぶんこのキャスティングは狙ったもので、この一番真面目そうなハーリーでさえ、アビゲイルを地面に…

こんなのは地獄じゃない~神奈川芸術劇場『出口なし』

…芝居なので、ダンサーの動きを見て観客が純粋に喜んでしまうような演出ではダメだと思うのである。『出口なし』では登場人物が他者から見られることに過剰に意味を見出そうとしたり、他者を見ることで行動をコントロールしようとしたり、視線の権力をめぐる戦いが戯画化された形で醜く、諷刺的に描かれている。人は他者に見られ、他者を見ることで自分を確立するが、一方でその視線は容易に地獄になり得る。見ること、見られることのツラさについての芝居である『出口なし』に、美しい身体の居場所なんかないと思う。

オールフィメール、やわらかめの落とし方〜Tokyo International Players『ヴェローナの二紳士』

…的には非常に面白いプロダクションだったのだが、一箇所疑問だったのは山賊の演出だ。ヴァレンタインを迎え入れる山賊が突然西部劇のネイティヴアメリカンみたいな声を出したりするので、たぶん白人酋長ものをパロディ化したかったんだと思うのだが、いまいち演出が半端で、なんでネイティヴアメリカンの真似を急に始めたんだ…みたいな感じになってるのはあんまりよくない。もっと徹底的に戯画化して最後には山賊たちをカッコよくして終わらせるか、あるいはやめてもっとシンプルな山賊にしたほうがよかったと思う。

現代ロサンゼルスを舞台にした『ユリシーズ』〜『タンジェリン』

…ん会話があるのにやっとのことでベクデル・テストをパスしたといった感じである。あと、ちょっと気になったのは序盤でラズミックがタクシーに乗せる、東アジア系と思しき若い女性の描写である。ばかでかいキティちゃんのタブレットで自分の写真をとる派手な服装の若い女性なのだが、どうもこの描写がちょっとひっかかった。ラズミックが毎日乗せている不思議な乗客の1人といった感じなのだが、他のお客さんに比べて台詞が無いわりにちょっとふるまいが戯画化されすぎているというか、ステレオタイプな印象を受けた。

ゲーム・オブ・ザ・ローゼズ〜明治大学シェイクスピアプロジェクト『薔薇戦争』

…にマスキュリニティの戯画化みたいな味わいが出てかえってよかったのではと思う。女優にやらせるという点では柿喰う客の『完熟リチャード三世』にちょっと似たところがあるかもしれない。 『リチャード三世』は、場面をかなりカットしているわりには2人の王子殺害や、リチャードがアンを殺害するところなどが付け加えられており、むしろ残虐さについては原作より増強されているかもしれない。リチャードがアンを殺すところを舞台で見せるというのはマーティン・フリーマンのバージョンでもやっていたが、最近の流行…

マーガレット・キャヴェンディシュが見たらちょっと喜んだかもしれない〜『海月姫』

…「お色気悪女」として戯画化されすぎてて不満があったり、文句のあるところはけっこうある。菅田将暉の女装は大変に可愛らしくて魅力的だし、実質ヒロインで演技も良いのだが、惜しむらくはもうちょっと声が高いほうが良かった。私はああいう女装で男声ははっきり言って非常に好みなのだが、映画全体のバランスから言うと「ちょっとしゃべったくらいでは男っぽさが出ない」感じに作ったほうがいいように思う。 ちなみに今年は見た映画全部についてベクデル・テストをパスしているかメモっておこうと思うのだが、この…

二次創作としての英国女王、エリザベスがヒロインなら悪役はサッチャー〜ヘレン・ミレンが『クィーン』に続いてエリザベス二世を演じるThe Audience

…政治家扱いでほとんど戯画化されていると思うのだが、これは監督がスティーヴン・ダルドリーなので当然だと思う。二次創作で英国女王がヒロインならサッチャーは当然、villainだろう。 あと、大変面白かったのは戯曲テキスト(劇場で購入した)とつきあわせながら見ていたんだけど、デイヴィッド・キャメロンがキプロス問題について話す台詞が増えていたり、たぶん台詞を時事ネタにあわせてマイナーチェンジしている。これはウェストエンドらしいなぁと思う。サッチャーの死にはどう対応したんだろうか? あ…

輪廻転生と革命は両立するの?〜『クラウド・アトラス』

…ドのナショナリズムを戯画化しすぎではないかという気がする。まあ見ていて面白い場面ではあるんだけど…ちなみに音楽家の挿話ではフロビッシャー(ベン・ウィショー)がスコットランドで自殺するのだが、なんかスコットランドっていうのは最近のビッグバジェット映画においてはものすごく危険な場所なんだな。 で、えんえんと人種の議論をしたあと(2)の論点にうつりたいのだが、これ、「輪廻転生」というテーマは人種の平等、自由、革命というテーマにあってなくないか?まあ私がオールドタイプな唯物論者であっ…

チャリング・クロス座『ラ・ボエーム』〜現代ロンドンを舞台にした超リアルなパブオペラ版再演

…れる間抜けな金持ちの戯画化である)、ロドルフォとミミがキスしたり、本当に身近でドラマが展開して実にワクワクする。この雑然とした親密な雰囲気はまあロンドンのパブそのまんまである。 しかしながらこのオペラのロンドンは他のところは非常にリアルなのにどうやらNHSがないようで、無保険?のミミは最後重病で治療も受けられず死んでしまう。いやぁ、このオペラって国民皆保険の重要性と女子労働の搾取を告発した作品だったんだな…というかこれをアメリカでやったらさらにシャレにならないだろうな… 歌手…

精神医学vsセクシャルマイノリティの抵抗〜ジョー・オートン『執事が見たこと』(What the Butler Saw)

…イトかぶれの徹底的に戯画化された精神科医で、派手な症例を扱ったベストセラー本を出そうとしているらしく、相手が「いやいやそんなことはありません!」と言うと「その否定は明かな肯定の表れですね、ほんとは図星だと思ってるんでしょう?」とか(オートンのネタ本はおそらくフロイトの「否定について」)、プレンティス夫人が「さっきから裸の男がこのへんを走り回っているんです!」と本当のことを言っても「いやいやそれはあなたの潜在意識の産物でしょう」とか言って実際にケガした半裸のポーターが出て来ても…

シェイクスピアの『終わりよければすべてよし』とウェスターマーク効果について

…嫌いのピューリタンを戯画化したような役どころで嫌なヤツなのだが)。これなんかまだお笑いだからいいほうなのだが、『二人の貴公子』で、牢番の娘は自分のところの監獄に入っている身分の高い騎士パラモンを愛するが、『パルムの僧院』路線でこの二人が結ばれるのかと思いきや、これがまたどうしようもない展開になっちゃって結局牢番の娘は同じ身分の相手と結婚するほかなくなるので、読んでいるほうはかなりいたたまれなくなる。『十二夜』のサー・トウビーとマライアは例外かもしれないが、マライアはおそらくオ…

キーラ・ナイトレイ主演、モリエール『人間ぎらい』

…マーシアがあまりにも戯画化されている気がした上、ジェニファーの第三波フェミニズム的主張が意図的に薄っぺらく描かれているので(ジェニファーが本当に才能ある女優なのかどうかはちょっと怪しいという描かれ方をされているので、主張が口だけで実力が伴っておらず、批判を逃れるためだけに第三波っぽいことを口にしているように見える)、このへんになんとなくミソジニーっぽいものを感じた(女性同士の対立を描きたいんならもっと深められるはずだと思うのだが)。原作ではもっと露骨な嫉妬心むき出しのバトルが…