『スター・ウォーズ エピソード1/ ファントム・メナス』25周年記念上映

 ダブリンのライトハウスシネマで『スター・ウォーズ エピソード1/ ファントム・メナス』の25周年記念上映を見てきた。もちろん何度も見たことがあるのだが、久しぶりに大画面で見るとポッドレースや最後のライトセーバーの殺陣が迫力あって楽しかった。あと、ユアン・マクレガーがめちゃくちゃ若くてハンサムである。

 最後に『アコライト』の予告がついているのだが、ダブリンの映画館はもうエンドロールで電気がついてしまうので、予告が始まってから映画館のスタッフが慌ててもう一度電気を消していた。なお、エンドロールでほとんどの人が退出してしまので、『アコライト』の予告を見ていたのは私ともうひとりの女性ファンだけだった…

老いたるフォルスタッフ~Player Kings

 ロバート・アイク演出Player Kingsを見てきた。シェイクスピアの『ヘンリー四世』二部作(+ほんのちょっとだけ『ヘンリー五世』の冒頭)を編集して3時間くらいにまとめたものである。けっこうカットしてスピーディな展開になっているが、それでもわりと大作感はある。なお、プレビューだったので若干こなれていないところがあった可能性がある。

 だいたい現代風の衣装を用いた演出なのだが、美術や衣装にはややレトロなところもある。最初のボアズヘッド亭はどこのゲイバーかと思うような大騒ぎである(その後はあまりゲイバーっぽくなくなっていくが…)。初っ端から半裸でぶっ倒れているハル(トヒーブ・ジモー)と、椅子で眠っているフォルスタッフ(イアン・マッケラン)の面白おかしいやりとりで笑わせてくれる。もともとこの作品は史劇とはいえコミカルな作品だが、全体的に笑えるところはかなり多く、しかもちょっとひねったダークユーモアが特徴的だ。いろいろなウソとこずるいごまかしの結果、フォルスタッフが戦傷を負った英雄ということになり、お酒の広告に出るあたりの場面はとても可笑しい。

 ハルは若くて非常に未熟な感じがするがとても元気な若者である一方、フォルスタッフはかつては意気揚々としていたのだろうがだんだん忍び寄る老いを気に病んでいる感じである。このフォルスタッフはたしかにユーモアのある人物だが、あまり陽気ではない…というか、どこか悲しそうだし疲れたフォルスタッフだ。ハルも元気いっぱいだが根っから陽性な若者というわけでもなく、2人の間には共通点があって、擬似父子的だ。ハルは自分が失った若さを与えてくれる存在だからフォルスタッフはハルを必要としているのでは…と思えるところがある。そう考えると『ヘンリー四世』二部作には入っていないフォルスタッフの死までがこの芝居に入っているのは納得できる。

 ただ、私はロバート・アイクの演出についてはあんまり好きではないと思うところがたまにあり、このプロダクションにも二箇所ほどあった。ひとつめは序盤の強盗のところで、この演出では襲撃された人がけっこう派手に血を流して死ぬ。この場面は非常に暴力的で、後で出てくるフォルスタッフの法螺とあんまり整合性がないと思うし(誰も殺していないのに殺したとか言うからあの場面は面白いのではと思う)、後で(殺人容疑ではなく)強盗容疑で捜査官が来るという展開ともあっていない気がする。ロバート・アイクはたまにこういう要らないショック演出みたいなのをすることがあり、そこがどうも好きになれない。もうひとつは、幕を半分くらい下げて展開する場面があるところで、これは私の座っている席からはほぼ舞台が見えなくなってつまらないだけだったし、また舞台が狭くなるだけで意味あるのかな…と思った。

タイトルに偽りあり?Underdog: The Other Other Brontë

 サラ・ゴードンの新作戯曲Underdog: The Other Other Brontëをナショナル・シアターで見てきた。演出はNatalie Ibuで、Norther Stageとの共同プロダクションである。タイトルどおりブロンテ姉妹を扱った作品だ。

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 タイトルからすると姉妹の中で一番知名度が低いアン・ブロンテ(ライアノン・クレメンツ)をヒロインにしているように見える…のだが、実質的にはシャーロット(ジェマ・ウィーラン)の話になってしまっている気がして、ちょっと看板に偽りありである。シャーロットがいかにアンに強いライバル心を抱き、アンの邪魔をしていたかみたいなことが語られる。シャーロットはエミリー(アデル・ジェームズ)の邪魔もしていたと思うのだがそのへんは全然描かれておらず、エミリーの役はかなり小さい。姉妹間のライバル心を描いているものの、そこまで掘り下げた描写は少なくてそんなに面白いと思わなかった。ただ、プレビューでまだちょっと演技がこなれていないように見えるところもあったので、それも関係しているかもしれない。

 ヨークシャの荒野を思わせる植物をあしらったセットは面白く、冒頭でこれが上にあがって下が舞台になる。ただ、この植物はもっと活用してほしかったような気がする。舞台は回転などをうまく使っていて、動きはある演出だ。

「ウィ・アー・ザ・ワールド」収録の舞台裏~『ポップスが最高に輝いた夜』(配信)

 Netflixで『ポップスが最高に輝いた夜』を見た。「ウィ・アー・ザ・ワールド」収録時の舞台裏に関する音楽ドキュメンタリーである。

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 Just for One Dayとほぼ同じ頃に見たのだが、「ウィ・アー・ザ・ワールド」も先例のバンドエイド同様、なかなか曲ができないとか誰が来るのかよくわからないまま日が過ぎていくとか、同じような苦労があったんだな…と思った。忙しい大スターが揃うタイミングがあまりないということで「ウィ・アー・ザ・ワールド」はアメリカン・ミュージック・アウォードの日の夜に収録されたのだが、このドキュメンタリーを見ていると、収録日は深夜のせいかみんなちょっとテンションがおかしい感じがする。これまた多忙な人であるボブ・ゲルドフが呼ばれて気合いを入れるための説明をするところがあり、ゲルドフがいろいろアフリカのことに詳しいのでけっこう役に立っている感じがする。シンディ・ローパーのマイクが謎の雑音を拾ってしまうくだりはちょっと笑った。

アイルランド国立図書館

 仮渡航許可が本許可になってパスポートが手元に戻ってきたので、アイルランド国立図書館にリーダーチケットを作りに行ってきた。イェーツの無料展示をやっている他、建築模型なども展示してある。

建築模型

 

アイルランド文学博物館

 アイルランド文学博物館(Museum of Litarature Ireland、略称MoLI)に行って来た。ここは2019年オープンで比較的新しい博物館である。展示は一般的なアイルランドの文学についてのものがある他、大部分はジェイムズ・ジョイスが中心である。

アイルランドの作家をずらっと並べた展示

『ユリシーズ』の"Meeting of the water"という引用の下にトイレの案内

トイレの表示がこれ。

 セント・スティーヴンズ・グリーンのすぐ側にある。

緑の公園にあるあずまや

セント・スティーヴンズ・グリーンのあずまや

 

兄と妹の陰惨な人間ドラマ~『モルフィ公爵夫人』

 レイチェル・バグショー演出『モルフィ公爵夫人』をサム・ワナメイカー・プレイハウスで見てきた。

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 『モルフィ公爵夫人』は一度イギリスで見たことがあり、日本ではあまり上演されないが、イギリスでは女優の技術の見せ所としてよく知られた作品である。現代にも通じる人間関係を扱ったスリラー的な作品だが、一方で狂気を見せ物とするなどいかにもジャコビアン…というところもある。サム・ワナメイカー・プレイハウスは何しろろうそくの光で上演できる設備を備えているので、秘密と闇にあふれたこの芝居にピッタリの舞台である。

 『モルフィ公爵夫人』はもともと近親相姦的な感情をめぐる物語なのだが、この演出ではかわいらしい妹に執着する兄のねじれた愛情が非常に強調されている(ちょっと『暗黒街の顔役』を思い出した)。モルフィ公爵夫人役を低身長症のフランセスカ・ミルズが演じているのだが、愛らしくてほかの兄貴2人とは比べものにならないような気品があり、兄のファーディナンド(オリヴァー・ジョンストン)はこの妹が可愛くてたまらないし、手放したくないと思っている。この演出では、登場人物はだいたい現代風な衣装を着ており、ジャズの生演奏があるのだが、一番最初にモルフィ公爵夫人がキラキラした白いドレスを身につけて舞台に登場し、ジャズアレンジのシザー・シスターズの'Filthy/Gorgeous'に合わせて踊るところは、まるで暗い舞台に光るキャンドルみたいにチャーミングである。ところがやっと寡婦になったと思った妹が、自分の意志で身分の低い執事アントニオ(オリヴィエ・ハバンド)を選んだと知った途端、ファーディナンドは妹をとられたと思って完全に狂乱する。この「妹萌え」みたいな感情が一瞬で強い加害欲に変わるところが凄まじく、妹を虐待し始めたファーディナンドは全然幸せそうに見えないし、みるみる精神の安定を失っていく。毅然として逆境でも優雅さを失わないモルフィ公爵夫人と、理性を失ったファーディナンドの対比がはっきりしている。もうひとりの兄である枢機卿(ジェイミー・バラード)はあまり弟妹への愛情がなく、お金のことばかり考えているみたいで、このあたりの対照も明確だ。全体として兄と妹の陰惨な人間ドラマで、妹をひとりの人間として尊ぶのではなく、自分の持ち物のように愛してしまったファーディナンドの暴力性と、それに立ち向かわざるを得なくなるモルフィ公爵夫人の強さを描いている。

 なお、このプロダクションの特徴としては、セリフを詩みたいなキャプションとして背景のいろいろなところに投影するというのがあるのだが、これはあんまりいいと思わなかった。席によってはほとんど見えない。また、詩みたいな書き方になっているので字幕としての実用性もそんなにないのでは…と思う。