大学紀要にThe Sugar Wifeの劇評を寄稿しました

 大学の紀要である『武蔵大学人文学会雑誌』に、アビー劇場で上演されたThe Sugar Wifeの劇評を投稿しました。書肆情報は以下の通りです。昨年12月末に出たらしいのでギリギリ去年の業績かな?

北村紗衣「[劇評]19世紀ダブリンを現代の世界に接続する~The Sugar Wife」『武蔵大学人文学会雑誌』第56巻第1号(2024):69 - 72。 

狭いテーマを広い視野で描く音楽映画~『名もなき者/A Complete Unknown』(ネタバレあり)

 ジェームズ・マンゴールド監督の新作『名もなき者/A Complete Unknown』を見てきた。ボブ・ディランのミュージシャンバイオピックである。

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 1961年、若きボブ・ディランティモシー・シャラメ)がニューヨークに出てくるところから始まる。ボブは憧れのウディ・ガスリー(スクート・マクネリー)の病床をお見舞いし、これまた尊敬していたピート・シーガーエドワード・ノートン)にも引き立ててもらって、フォークシンガーとしてたちまち頭角をあらわす。ボブはシルヴィ(エル・ファニング)と付き合う一方、ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)にも惹かれる。大スターになったボブは音楽的に新しいことを試したいと思うようになるが…

 一見したところ王道のミュージシャンバイオピックなのだが、ディランのクリエイティヴィティの転換点となる1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでのエレキギター演奏に焦点を絞り、そこに至るディランの音楽活動や他のミュージシャンとのかかわりと通して当時の音楽シーンを俯瞰的に描いている。アクティヴィズムとかプレイボーイぶりとかは多少触れる程度にとどめて、ディランの作詞作曲とクリエイターとしての理念を強調した作りである。とにかくテーマを狭く絞って、そこを広い視点で描くということをやっており、ひとりのヒーローを追うだけで背景がなくなりがちなミュージシャンバイオピックに物足りなさを感じている私にとってはすごく好み…というか、ディランがどういう音楽的土壌から出てきた人で、どういう過程でサウンドを変えていったのかがよくわかる音楽史的な構成が非常に面白かった。

 こういう群像劇的な構成で効いてくるのが各役者の演技である。全体的に芸達者が揃っており、しかも全員ちゃんと歌っている。シャラメは仕草や歌い方もディランにそっくり…なのだが、本物よりもうちょっと現代風にわかりやすい歌い方で、ディランの歌が苦手な私にとっては非常にちょうどいいバランスだった。そんなにおしゃべりではないのだが、たまに自分の音楽理念につながるような、人と「違う」ことや変わることを怖れない大胆さ、つまりよく言えば勇気であり、悪く言えばあまのじゃくである一風変わった信念に通じるような含蓄のあることをボロっと言うので、この人はこういう態度で音楽をやってるんだな…とわかるようになっている。プレイボーイで身勝手なところも多くて決していい人というわけではないのだが、理想化されていない60年代の芸術青年としてかなりリアルなのではと思った。めちゃくちゃいい人だがたまに変わったところもあるピート・シーガーエドワード・ノートンが演じているのだが、序盤はボブがお客さんの心を摑んでいるのに大喜びで顔を輝かせているのに、最後のニューポート・フォーク・フェスティバルではすっかり動揺してしまうあたりのメリハリがいい。ピートが斧を見てちょっと考え、妻のトシ(初音映莉子)に止められるところは笑った。ジョーン・バエズを演じるバルバロはえらいホットで、天使のような歌声と意外と大人っぽいセクシーさのギャップが良かった。マンゴールドの『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』では主役だったジョニー・キャッシュボイド・ホルブルック)が儲け役で、ちょっと出てきては軽い気持ちでディランのキャリアや人生に影響を及ぼすような大胆なアドバイスをする態度の悪い妖精さんみたいなキャラクターとして出て場をさらう。

 

 

国立印刷博物館

 国立印刷博物館に行って来た。主に印刷機などを展示している博物館で、入場無料である。

古い教会に入っている。

中はこんな感じで、印刷機がところ狭しと並んでいる。

ブレンダン・ビーアン関係の展示。

入り口にあるホームレス問題の訴えのチラシ。







 

カットで弱くなってるような…『ヴェニスの商人』

 dlrミルバンク劇場でジェフ・オキーフ演出『ヴェニスの商人』を見てきた。学校向けの朝の公演で放出された残席で見たので、午前10時開始という変わった上演時間である。

 学校向けということで上演時間90分強くらいと短く、かなりカットされている。箱選びの場面などは求婚者の最初のセリフなどがほとんどカットで、ひとりずつ2名入ってきてすぐ失敗して終わり…みたいな感じである。現代の服装でやっており、奇をてらった演出もなく、だいたい正攻法だ。箱選びのところだけ、現代のクイズ番組かなんかの曲がかかって客席から笑いが出ていた(アイルランドのテレビ番組とかの地元ネタかもしれない)。

 しかしながらカットしすぎでかなり有名なセリフが減っており、そこは非常に物足りなかった。最後の「こんな夜に…」のくだりなどもカットされている。そのせいでわりと人物像が薄くなっており、とくにユダヤ人であるシャイロックジェシカのキャラクターが薄くなっていて、正直これを学校の子どもたちに見せてユダヤ人差別のこととかがちゃんとわかるのかな…と思ってしまった。また、全体的に役者が若く、役によってはもうちょっと髪型とか衣装でもっと老けた感じにしたほうがいいのでは…と思うところがあった。とくにシャイロックがかなり若く、あまり老け作りもしていなくて、ジェシカのお父さんに見えないのも引っかかったところだ(うるさい兄貴みたいに見える)。グラシアーノのほうが老け作りで、中年にさしかかったお調子者の兄貴分みたいな感じだったので、2人並ぶとなんだか微妙だった。

 セットの真ん中にある丸い窓みたいなところで憂鬱そうにしているアントニオの姿から始まり、最後も同じ構図で終わるのはよかった。この上演のアントニオはいつも大変鬱な感じで、命が助かったところでも嬉しいよりは戸惑っているみたいな印象である。また、正義の天秤を小道具として上に配置し、これが裁判を支配すべき価値観ですよ…みたいな見せ方にしているところもいいと思った。

緊張感のある鋭い政府批判スリラーだが…『聖なるイチジクの種』(試写、ネタバレ注意)

 モハマド・ラスロフ監督『聖なるイチジクの種』を試写で見た。

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 舞台は2022年のテヘランである。イマン(ミシャク・ザラ)は裁判所の調査官に出世するが、護身用の銃が支給された上、政府の言うとおりに唯々諾々と仕事をこなすよう要求され、戸惑う。一方でイランでは抑圧的な体制に対する反政府デモが吹き荒れ、イマンの娘レズワン(マフサ・ロスタミ)の友人が大学で顔を撃たれる事件が発生する。さらにイマンの銃が消えてしまい…

 ラスロフ監督はこれまでの政府に批判的な活動によってイラン政府に目をつけられ、激しい弾圧によって収監されそうになり、現在はドイツに逃げ延びているそうである。この映画も秘密裏にゲリラ撮影みたいな感じで撮ったらしい。ご本人がそんな酷い目にあっているせいで、かなり強いイラン政府批判のメッセージと、そうした体制を支えている保守的な社会に対する批判もこめられた作品である。前半はマフサ・アミニの死によってデモが起き、若者たち、とくに大学に通っているような若い女性が危険にさらされ、娘たちは自分たちのこととして成り行きを心配しているが親たちはその不安が理解できず、ただただ一家の身の安全だけを気にしている…というような齟齬が、実際にスマホで撮影されたデモや警察の手入れの動画などをまじえて生々しい緊張感で語られる。

 このへんまではけっこうリアルな政治スリラーですごくよくできていると思ったのだが、終盤がなんかいきなり『シャイニング』みたいになり、最初は戸惑っていたお父さんが暴走して…という展開になる(「なぜいきなり『シャイニング』みたいに」と思って検索したら既に見た人はみんな『シャイニング』を思い出したと言っているし、たぶん影響があるのではと思う)。非常に制約がある中で急いで作られた映画なのでこのへんを練る時間がなかったのかもしれないと思うし、最初は戸惑っていたお父さんがヤバいことをし始める展開はイランの保守的で男性中心的な体制の不条理さを象徴しているというのはよくわかるのだが、一方で前半と後半のトーンが違いすぎるし、ややもたついた印象で長く感じられるところがある。こういう映画なら視点人物をレズワンかイマンの妻ナジメ(ソヘイラ・ゴレスターニ)に絞って、抑圧されている女性の主体性を強調しながらサクッと短めにまとめる話にしたほうが統一感があったのでは…という気がする。

話はよくわからないノリだが、ダンスは良かった~Lord of the Dance

 Lord of the Danceを見てきた。マイケル・フラットリーが振り付けしたアイリッシュダンスのショーである。1996年初演で何度も再演されている演目である。

 お話はロード・オブ・ザ・ダンスの一団と敵であるアメコミの悪役みたいな格好の戦士の一団の戦いを描くものである。途中でいたずらっ子の妖精がアメコミ悪役団にいじめられているのをロード・オブ・ザ・ダンスが助けたり、騙されたロード・オブ・ザ・ダンスが魔法のベルトみたいなものを奪われて捕らえられたりする。最後はロード・オブ・ザ・ダンスと敵の頭目のダンス対決でヒーローが勝っておしまいである。

 明らかにアイルランドの伝説がベースなのだが、アメコミ悪役団はヘルメットをかぶっていて現代風な重装備なのに(こんな感じ)、ロード・オブ・ザ・ダンスの仲間達は露出度が高い衣装で、なぜか上半身を脱ぐと強くなるらしい(劇場では脱ぐたびにお客さんが笑っていた)。そういうわけで半裸集団が重装備のアメコミ悪役団に勝ちました…みたいな見た目で、男は半裸のほうが強い!というなんだかよくわからないノリの作品であった。

 そういうわけで、ちょっとマッチョかつふしぎなノリでお話はいまいちピンとこなかったのだが、アイリッシュダンスは大変良かった。男性ダンサーがかなりデカくてパワフルな人ばかりで、床を踏みならして踊るとまるで尖っているが重さはあるバチかなんかを打楽器に叩きつけているような鋭い音がする。妖精がいじめられるところはかなりかわいそうだし、アメコミ悪役団の踊りがけっこう怖かった。最後のダンスバトルは蹴りとか殴打をうまくとりこんだ振り付けでダイナミックだった。

わがままでワイルドな女とその恋人~We Live in Time(ネタバレあり)

 ジョン・クローリー監督の新作We Live in Timeを見た。 

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 離婚を控えた青年トバイアス(アンドルー・ガーフィールド)は落ち込んでいたところ車に轢かれてしまう。轢いた当人であるアルマット(フローレンス・ピュー)は新しいレストランを開いたばかりのシェフで、ケガをしたトバイアスを店に招いたところ、ふたりは恋に落ちる。ところがアルマットは卵巣ガンにかかってしまう。最初の発症はなんとか治療で乗り越え、かわいい娘も生まれるが、アルマットのガンが再発する。

 時系列を乱した構成で、何しろ脚本を担当しているニック・ペインは『星ノ数ホド』の作者なので、かなりそれに似ている…というか、『星ノ数ホド』をもうちょっと映像向けにわかりやすくしたみたいな話である。時系列を直線的でない形にすることにより、あの時のああいう決断をしていなければ違う結末もあったのかもしれないが…みたいなことを示唆する要素がある。しかしながら人生は直線で進むので、この時間の流れに抗うことはできない。

 この映画のいいところは、ヒロインのアルマットがだいぶやばい女であることである。バイセクシュアルで元はフィギュアスケート選手だったという優秀な若手シェフで魅力的なのだが、ものすごく競争心があるワイルドな性格で、わがままだし気まぐれだし夫や娘に迷惑をかけるし、難病ものの殊勝なヒロインではまったくない。いつも優しくて、離婚寸前で車に轢かれた時以外はわりと安定した常識的な行動をとるトバイアスに比べると、アルマットは扱いにくいし予想もしにくい変な女である。わがままで変人の夫にかいがいしく尽くす妻みたいな映画がたくさんあることを考えると、こういうダメなところも多いヒロインがちゃんと奥行きを持って提示されている映画はけっこう新鮮だし、とくに難病ものロマンス映画としては非常に面白い展開だと思った。フローレンス・ピューがちゃんとこのわがままなヒロインの心の動きをきちんとわかるように演技で表現しており、どうしてこういう周りの人を困らせる行動をとるのか…みたいなところにも説得力があるのがいい。

 一方で子どもはほしくないと言っていたアルマットが、卵巣ガンになると妊娠機能を保全する治療を選んで子どもを生むというところはあまり展開としては説得力が薄い…というか、お涙頂戴の展開を用意するためのステレオタイプな描写になっているように見えた。アルマットはわりと衝動で行動するタイプの人なので、まあ実生活ではそういう決断をする人もあるだろうという気はするのだが、時系列を乱した展開ともあいまって、お客さんに「ああーっ!それやってはいけない!!」みたいな感情をかき立てるプロット装置としてこの決断が使われているような気もするので、あまりいいとは思えなかった。最初から子どもを欲しがっていたならまあそういう展開もありだと思うのだが、この描き方だと「女性は結局子どもを生みたいんでしょ」みたいなありきたりな展開にも見えるのであまりよくない。

 基本的にはガーフィールドとピューの演技で成り立っている作品だが、脇役もけっこう面白い。アルマットのアシスタントシェフであるジェイド(リー・ブレイスウェイト)とか、ガソリンスタンドの職員として出てくるサンジェイ(ニキル・パーマー)とジェーン(ケリー・ゴドリマン)も良かった。ガソリンスタンドの場面はたぶんこの映画で一番面白いところである。