10/19(火)の 日経夕刊で『ジュリアス・シーザー』の記事にコメントしました 

 2021/10/19 の『日本経済新聞』夕刊の『ジュリアス・シーザー』に関する記事で、ごくごく簡単なコメントを行いました。オールフィメールの舞台に関するものです。 

モーリス・ベジャール・バレエ団『バレエ・フォー・ライフ』

 モーリス・ベジャール・バレエ団『バレエ・フォー・ライフ』を見てきた。クイーンとモーツァルトの曲を使った演目で、1991年に亡くなったフレディ・マーキュリーと、1992年に亡くなったモーリス・ベジャール・バレエ団のダンサーであるジョルジュ・ドン、エイズで夭折した2人の才能ある芸術家の追悼のために作られた演目だそうだ。途中で「ブレイク・フリー」がかかるところで、舞踏みたいなやたら迫力あるダンスをする人の映像が出てくるのだが、これがドンだそうである。全体的に見ていてなんとなくステキだなと思うところはたくさんあるのだが、けっこうダンス初心者には難しいと思った。とくに花嫁衣装とかイギリス国旗などの衣装の使い方についてはあんまりピンとこなかったというか、クイーンの楽曲が連想させる愛とかイギリス文化みたいなものに安易に寄せているような気もしてとりわけピンとこなかった。www.nbs.or.jp

全然ダメだと思う~『野外劇 ロミオとジュリエット』

 東京芸術劇場で『野外劇 ロミオとジュリエット』を見てきた。青木豪演出で、もともとは野外劇にする予定だったが新型コロナウイルスなどの事情でできなくなったらしい。500円で見られるプロダクションである。

tokyo-festival.jp

 

 正直なところ、全くダメなプロダクションだと思う。ダメなポイントは主に2つあり、まずはコンセプトが全然効いていない。また、技術的な点でも全体的に出来が悪い。

 コンセプトについてだが、「男女の分断が進み、性を自ら選び取るようになった近未来の池袋」が舞台であり、さらに「女系一家・モンタギューvs 男系一家・キャピュレット」ということで、モンタギュー家は全員女優、キャピュレット家は全員男優が演じる…のだが、そもそもこの時点でコンセプトに齟齬があるような気がする。男女の分断があるのに「性を自ら選び取る」という理屈がイマイチよくわからないのだが、「性を自ら選び撮る」ならなんでモンタギュー家を全員女優、キャピュレット家を全員男優が演じているのにジュリエットは女性っぽい衣服を着ていたり、ロミオは男性っぽい衣服を着ているのかとかが全然わからない。むしろこの理屈なら、それぞれの家族を現在のいろんな性別(ノンバイナリの人も含む)の役者が演じているのに、モンタギュー家は女性っぽい衣類、キャピュレット家は男性っぽい衣類を統一的に着ている、としたほうがいいのではないかと思う。男女の分断が進んでいるらしいのに家父長制が残存していてキャピュレットが子どもであるジュリエットに父権を及ぼせる理由も謎だし、男女の分断が悲劇的な異性愛ロマンスによって緩和に向かうなんていうのは甚だしい欺瞞だと思う。まず、このプロダクションが「男」と「女」をどうとらえているのかが不明で、正直、全然ちゃんと考えていない(あるいは後付けでポっと思いついただけ?)のではと思う。ジェンダーとかセクシュアリティを扱った上演としては頭が痛くなるような詰めの甘さだ。

 ふたつめとして、おそらく野外劇の予定だったものを室内に持ち込んだからだと思うのだが、全体的に演出とか演技がちぐはぐに感じられるところが多い。金属の足場を組んで舞台を囲み、下には草なんかが生えているのだが、外でやればけっこうマシになると思うものの、室内だとなんだか安っぽくありきたりに見えてしまう。演技のほうもとくに序盤はやたらガチャガチャしていて、野外だとデカい声で騒がないと人の注意を惹きつけにくいのを前提にしているのかな…と思った。また、若者同士の場面を短くしているのにキャピュレット父とか薬屋など、中年以上の男性が騒ぐところはわりとカットが少なく、そこ強調するところじゃないでしょ…と思った。全体的に演技のクオリティはかなり低く、主役の若い2人は頑張っていたものの、空回り気味でちょっとかわいそうだった。

 ちなみにこのなんとなく緩い感じはカーテンコールまで続いており、私が見た回ではカーテンコールのシメをやったのはジュリエット役だけでロミオ役がやっておらず、ふつうこういう芝居だとタイトルロールの2人がやったほうがいいのでは…と思った(それとも日替わりなのかな?)。あと、カーテンコールでいきなり隣の役者がジュリエット役の顔をつっつくみたいな動作をしていてジュリエットがちょっとびっくりしており、いくらなんでもカーテンコールでそういうことをするのはやめてもらえませんかねと思った。予期してないところで他人の体に触ったり、不用意な動きで他人を驚かせるようなことはしないでほしい。

ハムレットが『スター・ウォーズ』に出てる!~『DUNE/デューン 砂の惑星』(ネタバレあり)

 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『DUNE/デューン 砂の惑星』を見た。フランク・ハーバートによる原作があるのだが、ホドロフスキーによる実現しなかった映画化計画あり(経過は『ホドロフスキーのDUNE』というドキュメンタリーになっている)、デヴィッド・リンチによるいわくつきの映画化(編集権などのトラブルでアラン・スミシー名義の版が出回っていたりする)あり、ドラマあり、これまで何度か映像化の試みがあったものである。大変スケールが大きく、長い話で、こちらの映画化は第一作の半分くらいを扱っている。

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 未来の宇宙帝国が舞台である。名門アトレイデス家とハルコンネン家は長年対立していたが、ハルコンネン家は非常に高価なスパイスの産地である砂漠の惑星アラキスの採掘と交易からくる財力で力をつけていた。ところが皇帝の命でアトレイデス家がアラキスに赴任することになる。アトレイデス公爵家の御曹司であるポール(ティモシー・シャラメ)は、父である当主レト(オスカー・アイザック)と、秘密結社ベネ・ゲゼリットで修行した優秀な道女である母ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)とアラキスに引っ越す。ところがアラキスは陰謀だらけで、ハルコンネン家がアトレイデス一家を皆殺しにするべく画策しており、クーデターでレトが暗殺されてしまう。ジェシカとポールはいろいろな人々からの助けを受けて間一髪で砂漠に逃げ、そこで砂漠の民フレメンと出会う。

 個人的にはお話もヴィジュアルスタイルも大変に好みである。まずは『スター・ウォーズ』にも影響を与えたという壮大な宇宙絵巻で、私が嫌いなわけがない。さらに父を殺され、不当に地位を奪われた貴公子を中心に展開する「王座をめぐる壮大な芝居」(『マクベス』第1幕第3場128-129)で、ほとんど『ハムレット』みたいなもんだ。その上、主演がシャラメである。線が細く優雅なシャラメはまるで「私が考えるハムレット」そのもので、『スター・ウォーズ』に突然、わが理想のハムレットが現れたみたいな錯覚に陥って、好きな要素てんこもりで途中からあんまり冷静に見られなくなってしまった(シャラメを主演に『ハムレット』の映画を作るべきだと思う)。砂漠のヴィジュアルなども『アラビアのロレンス』を思わせる壮大さだし、建造物などもけっこう凝っていて、見ていて楽しい。他のキャストも大変魅力的で、相変わらず魔女が似合うレベッカ・ファーガソンもいいし、砂漠の女チャニ(ゼンデイヤ)は出番が少ないのに堂々たる存在感だし、非常にいいキャラだったダンカン・アイダホ(ジェイソン・モモア)はもっとたくさん見たいと思った。

 そういうわけで個人的にツボだと思うところがたくさんあったのだが、そうは言ってもこういうテイストの映画があわない人は徹底的にあわないのでは…というところもけっこうあるし、また欠点もけっこうあると思う。複雑で壮大な原作を端折っているのでたぶん原作未読だったり、この手のSF大河みたいな物語に慣れていなかったりする人にはわかりづらいかもしれないし、原作ではかなり描きこまれていたところがサラっと流されていて物足りないということもある。また、これはヴィルヌーヴの作家性なのかもしれないが、じっくり描きたいところはヨーロッパのアート映画みたいなぬぼーっとした撮り方をしており、さらにポールの意識に入ってくるフラッシュフォワードがやたらにしつこいので、SF超大作にしてはペース配分がおかしいような気もする。アクションは全体的にパッとしない感じで、とくに宮殿での戦いはもうちょっとわかりやすく撮ってもいいのではと思った。

 一番ひっかかるのが、全体的に『アラビアのロレンス』っぽい白人酋長ものの気配があるところである。とくにこの作品ではフレメンがけっこう多様な感じの民族になっているのだが、そこにやってくるヒーローがシャラメ(ユダヤ系である)であるせいで、救済を待つ砂漠の民のところに輝くばかりに美しいユダヤ人の救世主が来臨するという、なんだか宗教的にも政治的にも微妙な内容になっている気がする。イスラエル支持者とか、キリスト教原理主義者とかに好かれそうだなーとは思った。

 さらにこれも『アラビアのロレンス』の影響ではないかと思うのだが、本作はかなり男性のいろんな身体をフェティッシュ化することにこだわっている気がする。ポール役のシャラメは着替えをしたり悲しんだり砂まみれになったりするところをやたらとじっくり撮られている(もともとシャラメはものすごくフェティッシュ的な撮り方を誘発する俳優というか、美男である上に感情表現が絵になるのでシャラメの身体と感情じたいをスペクタクルにするみたいな撮り方がどの映画でもけっこうあるのだが)。シャラメだけでなく、モモア演じるダンカンは戦闘前にストリッパーみたいなやり方で指を一本一本引っ張りながら手袋を脱いでいるし、オスカー・アイザックはなぜか裸で出てくるなど、男性はだいたい露出度が妙に高かったり、変なところをしつこく写していたり、全体的にえらく綺麗に撮られている。このあたりも好みが分かれそうだと思う。

 

 

今月の連載記事は『ピグマリオン』についてです

 今月のwezzyの連載記事は『ピグマリオン』についてです。この作品が最初に書かれた戯曲の時点からどれくらい変貌しているかという話をしています。

北村紗衣「解釈、誤解、魔改造~さまざまな作品に影響を与えてきた『ピグマリオン』の変身」wezzy、2021年10月16日。

wezz-y.com

 

キャトリン・モラン原作の映画『ビルド・ア・ガール』のレビューを書きました

 キャトリン・モラン原作の映画『ビルド・ア・ガール』のレビューをGQジャパンに書きました。モランの著作『女になる方法』は私が訳した本です。

北村紗衣「センスのいい女の子がロックに夢中だった最後の時代──映画『ビルド・ア・ガール』」GQ、2021年10月12日。

www.gqjapan.jp