リズムの芝居としてのシェイクスピア~しあわせ学級崩壊『ロミオとジュリエット』

 しあわせ学級崩壊ロミオとジュリエット』を見てきた。

 高田馬場の貸し音楽スタジオ、つまりふだんはバンドが稽古をしているような部屋で行われる上演である。ほぼずっと大音量でエレクトロニックダンスミュージックが流れる中、四方の壁に1人ずつ立った4人の役者がリズムに合わせて台詞を言う。誰がどの役と決まっているわけではなく、役はかなり入れ替わる。4人ともほぼずっと目を隠していてシンプルな服装であまり動かないのだが、最後にちょっとだけ動きがある。お客は部屋の真ん中で、周りにいる役者が台詞を言うのを見る。1時間くらいで非常に刈り込んだ上演である。

 

 初っ端でちょっと失敗があったので、いったいどうなることかと不安になったのだが、思ったよりずいぶん面白かった。英語の弱強五歩格で書かれた台詞を日本語で再現するのは不可能に近いので、そんなら音楽に合わせてリズムで押し切ってしまおうというのは、発想としてはかなり伝統に沿っているというか、もとの台詞の音楽的なスタイルを生かそうとしている気がする(英語圏でもヒップホップでやるシェイクスピアというのはある)。たまに台詞が聞こえなくなることがあったし、また最後のジュリエットが寝転がったりするビミョーなセクシー演出みたいな小細工はいらないと思うの…だが、改善したほうがよさそうなところはあっても、かなり意欲的だし、リズムのある芝居としてのシェイクスピアを楽しめる作りだったと思う。ただ、私は面白かったのだが、最後のほうはかなり話を解体しているので、原作を読んでいない人が楽しめたのかどうかはちょっとよくわからない…

あぶねえホテル~Project Nyx『星の王子さま』

 東京芸術劇場Project Nyx『星の王子さま』を見てきた。物語は、サンテグジュペリの『星の王子さま』と、寺山修司の戯曲『星の王子さま』、つまり星の王子さまにとりつかれた女主人がうろついている「星のホテル」なる怪しい宿屋の物語が交錯するというものである。寺山修司のほうの戯曲は一度も見たことがなく、また未読だった。

 

 ほとんど女優だけの裏宝塚みたいなスタイルの上演で(寺山修司の原作がもともとそうやって上演する戯曲らしい)、作り込んだキッチュでちょっとゴスいセットに、やはり凝った音楽をふんだんに盛り込んでいる。さらに途中に、エアリアルシルクの若林美保、フラワー・メグドラァグクイーンのヴィヴィアン佐藤、中山ラビバーレスクパフォーマーのエロチカ・バンブーによるショーがあり、「女性性」(かなり誇張された人工的な「女らしさ」)の力や美を称えるようなシークエンスがある。全体的には笑えるところもあり、見た目も面白くて楽しめた。

 

 …のだが、なんとなく私、寺山修司が好きではないのかもしれないと思った。ものすごく才能を感じるのだが、セックスに対する嫌悪と魅了の両方が重苦しくのしかかってくる濃い描写がちょっと見てて疲れる。『毛皮のマリー』を見た時も、内面化されたホモフォビアミソジニーを克明に描写するところがけっこう見ていてきつかったのだが(作品じたいがホモフォビア的・ミソジニー的かというとそういうわけでもないのかもとも思うのだが、とにかく描写が濃すぎるのがつらい)、『星の王子さま』も、ずっと男装をして娘の父親のふりをしてきた美女が点灯夫に襲われて、最初は嫌がっているが結局自分の抑圧していた性欲が爆裂してしまうという描写がなんかちょっと見ていてキツかった。この前のところまではけっこう退廃的ながらも明るい話だったのだが、最後の最後がけっこうつらかったという印象だ。

ウィキペディア日本語版で「ペンザンスの海賊」の記事を作りました

 日本語版ウィキペディアで、ギルバート・アンド・サリヴァンのサヴォイ・オペラ『ペンザンスの海賊』の記事を翻訳+加筆で作りました。10万バイト越えで、今まで作った記事の中で一番の大作です。

『Sibro』、『サイゾー』、『週刊文春』にコメントや書評が載りました

 掲載告知が3つあります。

 まず、オルビス化粧品の広報誌『Sibro』の9月号シェイクスピア特集の22ページに『ヘンリー五世』に関するコメントを出しております。22ページで「やんちゃなプリンスが栄光の王ヘンリー五世へ成長する軌跡」というものです。これに浦井健治さんインタビューとかも入っているのですが、どうもオルビス化粧品のお店などで頒布されているそうで、市販されてないようです。

 

 また、『サイゾー』10月号のバーレスク特集記事「起源は古代ギリシア!?"バーレスク文化"とは何か」にコメントを寄せております(p. 78)。

どうしても美術が好きになれなかった~新橋演舞場『オセロー』(ネタバレあり)

 新橋演舞場で井上尊晶演出『オセロー』を見てきた。

 

 蜷川幸雄の演出助手だった方が作っているということなのだが、全体的にニセ蜷川みたいな感じで、かなりはっきり私は好きではないと言える感じのプロダクションだった。ヴィジュアルが良いと思えなかったところが大きい。中村芝翫演じるオセローの演技は良いのだが、いまどきブラックフェイスは要らない。また、セットと床の使い方があまり気に入らなかった。第1部は船が行き交うヴェニスの街角やヴェニス公爵の会議室、第2部は大きな階段があるキプロスの城壁、第3部は鏡の間など、地上のセットは全体的にかなり作り込まれたものである。一方でとくに中盤から終盤、こうした凝ったセットとは不釣り合いな色つきテープが張りっぱなしの剥き出しの床を目立たせてなんとなく異化的な効果を出そうとしているようで、この見た目の対比がちょっとあざとく感じた。

 

 あと、『オセロー』は全体としてイアーゴーが観客を共犯に引きずり込む芝居ではあるのだが、このプロダクションではイアーゴー(神山智洋)をちょっと持て余してしまっていて、そのせいで焦点がぼけているような印象を受けた。とにかく顔が良いイアーゴーで、そもそもイアーゴーは何かの劣等感を抱いているような役柄として演出されることが多いと思うので顔が良いイアーゴーというのは大変だと思うのだが、このプロダクションでは序盤でイアーゴーが地球儀をもてあそぶチャップリン『独裁者』のオマージュがあり、イアーゴーをハンサムだが出世できなくて権力欲がある若者として演出しようとしているようでけっこう期待が持てた…のだが、後半ちょっとイアーゴーがかなり人間味のある若者に見えてしまうところもあり、全体的に序盤で提示された権力欲のモチーフがうまく回収されてないように見えた。最後に一応、事実なのかイアーゴーの妄想なのかわからないミョーに蜷川っぽいオチがあるのだが、ここまでイアーゴーに引きつけなくても良いのではと思ったし、落とし方は本当にパッとしなかったと思う。

リアルではない絵の、生身のヒロイン~『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』

 セバスチャン・ローデンバック監督『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』を見てきた。グリム童話の「手をなくした少女」がおおもとの原作だが、なんと来日もしているオリヴィエ・ピィの芝居が影響元になっているところがあるそうだ。

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 全編がクリプトキノグラフィという技法で作られているということで、絵柄がとても独創的で斬新だ。これは一枚一枚の絵を不完全というか省略した形で書くが、動かすときちんとつながって見えるというものだそうで、あっさりしたちょっと抽象的な絵なのだが、自由な動きの表現がとても魅力的だ。かなり人などの形が自由に変わったりするのだが、それでも見ているほうは同じ人だとなぜかけっこうたやすく認識できるので、あまり悩まず物語を楽しむことができる。

 

 一枚一枚の絵がとても切り詰められているせいでリアルな絵柄ではないのだが、それでも「大人のため」だけあって、抽象化されているのに躍動感のあるこの絵がとても怖く見えたり、生々しく見えたりするところがある。物語は童話準拠で、父親が悪魔と取引してしまったため悪魔に差し出されることになった娘が、あまりに清らかすぎたため悪魔の差し金で両腕を切られ、一度は幸せに結婚したかと思いきやまた悪魔の策略で様々な苦労をするというものなのだ。両腕切株描写がかなり怖く、切断場面はもちろん、ヒロインが畑を耕そうとして血まみれになる場面などは見ていてかなりこっちの体が痛くなる。

 ヒロインはのびやかな女性で、裸で動き回ったり、性欲を露わにしたり、授乳したり、外で排尿や排便したりする描写もあるのだが、こういう女性の肉体描写が単なるサービスカットみたいにならず、生身の女性の生き生きした行動として描かれている。最初はこんな抽象的な表現なのにちょっと自分の身体感覚に近すぎるため生々しくてビックリしてしまったが、とても新鮮な表現だと思う。終わり方の、単純に「王子さまとお妃様は幸せに暮らしました」にならない、闊達な表現もよい。

 

 なお、この映画はベクデル・テストはパスしないと思う。そもそも出てくる人物に名前がないし、台詞じたいが少なく、最初に母と娘が話す場面ではお父さんについての言及があったと思うからだ。まあ、登場人物に名前がついていない映画をベクデル・テストにかけて意味があるのかっていうのはあるが…

ルネサンスの宮廷庭園になるパルテノン多摩~劇団子供鉅人『夏の夜の夢』

 パルテノン多摩で『夏の夜の夢』を見てきた。パルテノン多摩の池の周りで行われる野外上演で、劇団子供鉅人が100人でシェイクスピアをやるという企画である。

 

 パルテノン多摩の池の周りは、正直パフォーマンススペースとしてはかなり問題のあるところだ。半円の形をした池の周りに散歩できる歩道があり、その半円の前に客席を設置して、池の前の平たい部分と池を全部使って上演をする。何しろ客席が完全に平たいので、後ろに座ると大変見づらい。さらに音響は最悪レベルだ。野外でしかも平たくて広いところなので台詞がそもそも聞き取りづらい上、基本的に公園みたいなパブリックスペースの中で、普通にご近所の市民が池の周りを歩いていたり、客席より後ろの区切られた部分で談笑していたりするので、その音が全部上演スペース内に入ってくる。このため、そもそもの音響の悪さと、市民の話し声や足音が干渉するせいで、あまり台詞が聞き取れないところがけっこうあった。たまにマイクを使っていたのだが、もっとマイクをたくさん使用したほうがいいと思う。あと、市民には大変申し訳ないのだが、池の周りの立ち入りを一時的に制限したほうがいいと思う。

 

 しかしながら、実はこの池を用いた上演というのは、ルネサンスの豪華な芝居を上演するには実にふさわしいとも言える。パルテノン多摩で『夏の夜の夢』を上演した場所は下の動画みたいな感じだが、17世紀にスペインで宮廷祝宴の出し物が行われたレティロの庭園は下みたいな感じである。

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 ルネサンスの宮廷祝宴劇は、お屋敷の庭園にある湖などを使った大がかりなものもけっこうあり、その点ではこの『夏の夜の夢』はすっごくルネサンスらしい。そして益山貴司の演出も、芝居を祝祭らしくすることについては大変うまくやっている。池の真ん中にベッドを配置し、それをパックが使うというのはテイモア版に似ているが、やはり水の中にあるというのが幻想的だ。しかしながらこの池はライトアップされた幻想的な風景だけではなく、たくさんの妖精に扮した人たちが池に入って水の上を動き周る時にはしっちゃかめっちゃな遊びの空間になる。最後は湖の上で職人たちが芝居をやり、宮廷人たちに見せるということで、どちらかというとちゃちなセットなのに、まるで本当にルネサンスの宮廷にいるような気分を味わえる。全体的に遊びの要素が多い賑やかな上演であるということもあり、本当に夏の夜の夢のひとときといった。

 

 ちょっと珍しいのは、シーシアス/オーベロンが1人2役(益山貴司)という王道キャスティングである一方、相方であるティターニアとヒポリタを1人2役にするのはやっておらず、ティターニアとライサンダー(益山寛司)が1人2役だということだ。ティターニアは大変迫力のある妖精の女王で、序盤では完全にオーベロンを圧倒しまくっていて、そのせいでオーベロンが怒って花の悪戯を仕掛けたのだろうな…と思って見ていた。