『悲劇喜劇』5月号に「「エンドゲーム現象」は続くのか?ー二〇一九年の翻訳劇」を寄稿しました

 『悲劇喜劇』5月号に、2019年の翻訳劇の簡単な傾向まとめエッセイを寄稿しました。『エンドゲーム』が出てきてますが、ベケットじゃなくアベンジャーズのほうです。

 

北村紗衣「「エンドゲーム現象」は続くのか?ー二〇一九年の翻訳劇」『悲劇喜劇』2020年5月号、136-137。 

悲劇喜劇 2019年05月号

悲劇喜劇 2019年05月号

  • 発売日: 2019/04/05
  • メディア: 雑誌
 

 

ベスはどんな女なのか?~METライブビューイング『ポーギーとベス』

 METライブビューイング『ポーギーとベス』を見てきた。

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 『ポーギーとベス』は一度イギリスで見たことがあるのだが、前回見た時は南アフリカの明らかにアパルトヘイトを意識したプロダクションである一方、わりと笑うところが多かったのだが、このメト版は笑うところはなくはないものの少し控えめで、どちらかというとリアリティと悲劇性を強調しているように思った。回転するキャットフィッシュ・ロウのセットはかなり大がかりだし、二段になった島の桟橋のセットは祝祭的な踊りとクラウン(A・ウォーカー)のベス(エンジェル・ブルー)に対する暴力という二つの対照的な展開をうまく引き立てている。

 

 このプロダクションで特徴的なのは、ベスがとにかく大変な人生を生きてきたらしい女だということだ。クラウンやスポーティング・ライフ(フレデリック・バレンタイン)みたいなクズとばかりつきあい、誰が見てもマシな男であるポーギー(エリック・オーウェンズ)との愛情生活を全うできないベスは、ちょっと描き方を誤ると人生を棒に振るバカな女になりそうで、たぶんこの作品はとてもミソジニー的な内容にもなりうる。しかしながらこのプロダクションはそうではなく、ベスがなんであんな生き方しかできないのか、ちゃんと想像できるように描いている。このプロダクションではクラウンが非常に怖いというか性的脅威の塊みたいな男なのだが、おそらくベスは今までクラウンみたいな暴力と命令で何でもベスの人生を決める男としか付き合ったことがないため、ポーギーみたいにベスの意志を尊重してくれる男とどう付き合ったらいいのかよくわからないのである。ポーギーはベスを基本的に自分で考えて人生の選択ができる大人の女として扱っており、コミュニティの他の女たちと友達づきあいしたり、自分は参加できない地域の行事に参加して楽しんだりすることをすすめており、これは独占欲の強いクラウンでは絶対やらないようなことだ。クラウンと出て行くかについてもポーギーはベスが決めることなのだというのをまずはっきりさせる。ポーギーといる間はベスは自尊感情を保てるが、いなくなるとたちまち不安になって自分のかわりに何でも決めてくれる男に走ってしまうのである。ベスは弱くて欠点だらけだが、悪い女でも愚かな女でもない。家父長制と人種差別の犠牲者で、とにかくトラブってる女なのだ。

 

 こういう複雑な女と男のロマンスを歌い上げる主役の2人はもちろん、脇役陣や合唱がみんな生き生きしており、しっかり話を盛り上げてくれる。休憩の解説で説明されていたように、有名曲でもコンサートみたいにならないよう、登場人物の心情や話の展開をしっかり示すような歌になるよう全体に注意が払われている。最初はベスをあばずれ呼ばわりしていたキャットフィッシュ・ロウの女たちが、ポーギーと付き合うようになるとベスを友達として扱うようになるあたりがとても興味深い。最初はベスに対するスラットシェイミングがけっこうひどいのだが、どうもこれはベスが結婚しないで男と暮らしているとかいうような性的モラルの問題じゃなく、クラウンみたいな厄介者をつけあがらせているせいでコミュニティの女たちから嫌われているということらしいのである。ポーギーは足が悪いが人格の点ではキャットフィッシュ・ロウの人たちから好かれており、ベスがポーギーと暮らすようになってドラッグをやめ、ポーギーが幸福そうになってくると、女たちは完全にベスを受け入れるようになる。このあたりの女性同士の関係の変化なども細やかに描かれている。

 

ロック・アゲインスト・レイシズムの活動をわかりやすくとらえたドキュメンタリー~『白い暴動』

 『白い暴動』を見てきた。1970年代半ばにイギリスで盛り上がったロック・アゲインスト・レイシズムについてのドキュメンタリー映画である。

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  1970年代半ばにイギリスで極右政党である国民戦線が活発に活動し、さらに有名なミュージシャンがファシズム的発言や人種差別発言をしたことに抗議して組織されたロック・アゲインスト・レイシズムの活動を丁寧に追ったもので、あまり背景をよく知らなくてもわかるよう、当事者インタビューに当時の生々しい差別事例などを組み合わせてしっかりした構成にしている。また、ロック・アゲインスト・レイシズムが発行していたニューズレターである『テンポラリー・ホーディング』はいろんなものを切り貼りしたみたいないかにもパンクのDIY感あふれる紙面だったらしいのだが、画面の作り方などもそういう美学を反映したものになっている。なお、日本語版のプログラムはわりと情報が多いのだが、同じような切り貼りDIYっぽい作りになっている。

 面白いのはシャム69の立ち位置だ。シャム69はいかにも不満に満ちたワーキングクラスの若者という感じのバンドで、右寄りのスキンヘッドのファンが多かったらしいのだが、ギグを運営する側はそういうバンドにロック・アゲインスト・レイシズムに来てもらって人種差別主義を批判してもらうことによって運動の効果を高めようとしたらしい。このファンとバンドの立ち位置の違いというか、距離感の説明は興味深かった。

 

英題『サマのために』とはどういう意味か?~『娘は戦場で生まれた』

 『娘は戦場で生まれた』を見てきた。

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 アレッポに住んでいた女性ジャーナリスト、ワアドが撮ったドキュメンタリー映画である。ワアドと夫である医師ハムザ(最初は別の女性と結婚していたが、政治活動のことで別れた)はシリア内戦で反アサド派として医療支援活動を行っていた。ワアドは第一子を妊娠するが、どんどんアレッポで戦闘が激しくなり、娘のサマは戦場で生まれる。ワアドとハムザは爆撃の中、アレッポ市民のための病院を運営しながら子育てを続けるが、どんどん物資はなくなり、病院のような公共施設まで激しく攻撃されるようになり、毎日のように大量の重傷者が運ばれてくる。

 大部分が手持ちカメラとかスマホとかで撮ったような映像なので手ぶれがひどくてけっこう気持ちが悪くなったりもするのだが、何しろ内戦をリアルタイムでとらえているのでとにかく衝撃的だ。戦況の悪化が手に取るようにわかり、見ていてつらくなる。時系列をあまりまっすぐにせずにちょっと前後に行き来して、マシだった時代と戦況が悪化した時代を比べるような編集にしているところもメリハリがある。2016年11月頃は状況悪化があまりに急激…なのだがその悪化の度合いがひどすぎて長く感じるようなところもあり、終盤でハムザが「この病院につとめたのは20日くらいなのに890件も手術した」と言っているところで、こんだけ苦痛で長く感じるような状況に見えるのにたったの20日だったのか…と思った。

 また、ワアドとハムザが娘のサマを守ることとアレッポ市民のための大義の間でわりと揺れていて、だんだんサマと大義が絡み合うようになってくるところがすごくリアルだと思った。実は一度、夫妻はトルコにいるハムザの父親に会いに行っており、その時に戦況が悪化した。もちろんハムザの家族は夫妻をアレッポに帰したがらず、サマだけでも預けて行けと説得したのだが、ワアドとハムザは市民を救助するという使命のために娘を連れてアレッポに戻ることにする。この選択肢はとても厳しいものだと思うのだが、おそらくは娘のためにどういう世界を作りたいかということに関係があるのだと思う。この二人は娘の命を助けるだけではなく、娘のためにマシな世の中を作りたいからこういう選択をするのだ。この映画の英題はFor Sama『サマのために』なのだが、サマのためにというのはそういうことなんだと思う。

内容は面白いのだが、ダンスの撮り方が…?『ダンシングホームレス』

 『ダンシングホームレス』を見てきた。

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 ホームレスの男性からなるダンスカンパニー、新人Hソケリッサ!の様子をとらえたドキュメンタリー映画である。新人Hソケリッサ!はカンパニーの振付師でプロだったアオキ裕キ以外は全員、現在ホームレス生活をしているか野宿生活の経験がある男性で、ダンス経験者も少しはいるが全くの未経験者もいる。メンバーのインタビューや、釜ヶ崎へのツアーの様子を通してカンパニーの活動を描くものである。

 

 主要メンバーがホームレスになった経緯などをわりと詳しく(時々「それはちょっと遠慮なく質問しすぎなのでは…」と心配になるくらいしつこく)インタビューを通して明らかにしており、それぞれの人生にいろいろな苦労があり、ホームレス生活に関する捉え方なども人によって違うことがわかる(共通点はホームレス生活だとまず歯にくるということだ)。また、カンパニーの運営も大変で、まあダンスや芝居のカンパニーなんていうのはどこもそうだがこのカンパニーもまったくお金がなくてアオキがバイトして運営費の赤字を埋めたりしているらしいし、また就職してホームレス生活から抜けると仕事の都合でカンパニーを辞めることになるメンバーがいたりとか、決して安定的に全員で活動できるわけではない。そのあたりを丁寧に描いている。

 そういうわけで非常に興味深い作品なのだが、ただちょっと思ったのは、この映画、あまりダンスの撮り方はうまくないのじゃないかということだ。ダンスじたいはかなり自由にメンバー全員で考えるモダンで特異なもので面白いのだが、最後に満を持して上演される大作「日々荒野」とか、悪い意味でミュージックビデオっぽいというか、振り付けの流れがイマイチわからず、ライヴっぽい臨場感のない撮り方をしているのである。もっとカメラを引いて全体の動きのつながりを見せるような感じにすればいいのではと思った。

刊行告知2件

 アルクで連載していた英語学習のミニコラムが電子書籍になります。なんかチャラいタイトルですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。アルクで連載していたものの他、一応『マンダロリアン』で学ぶビジネス英会話とか、書き下ろしもいくつか入っております。

  それから、こちらの記事にあるように、現在ヘンリー・ジェンキンズの『コンヴァージェンス・カルチャー』をチームで翻訳中です。今年度中には出ますので、よろしくお願い申し上げます。

bunshun.jp

 

Convergence Culture: Where Old and New Media Collide

Convergence Culture: Where Old and New Media Collide

  • 作者:Jenkins, Henry
  • 発売日: 2006/12/24
  • メディア: ペーパーバック
 

 

ビル・マーリーとアダム・ドライヴァーがジャームッシュの寵愛を競う話~『デッド・ドント・ダイ』(ネタバレあり)

 ジム・ジャームッシュの新作『デッド・ドント・ダイ』を見てきた。

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 アメリカの田舎町センターヴィルで警官をしているクリフ(ビル・マーリー)とロン(アダム・ドライヴァー)がゾンビアポカリプスに立ち向かう様子を描いたブラックコメディである。吸血鬼もの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』を作ったジャームッシュが挑戦したゾンビコメディなのだが、ジャームッシュの過去作を初めとするいろんな映画とリンクしている上、ロンだけがかなり最初のほうから「自分は映画に出演しているのだ」ということを明確にしていて、なんかすごくメタ映画っぽい作りになっている。

 ティルダが『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』のイヴと『ゴースト・ドッグ』のゴースト・ドッグの両方の親戚の宇宙人みたいな役をやっているのをはじめとして、いろんな映画への目配せがある。ゾンビ版『コーヒー&シガレッツ』みたいな場面もあるし(ご丁寧にイギー・ポップがやってくれる)、キャストの大部分はジャームッシュと既に協働している役者やミュージシャンである。他の監督の映画への言及もあり、映画内でロメロをはじめとするいろんなゾンビ映画や、レッドフォード版『華麗なるギャツビー』の話などが出てくるし、アダム・ドライヴァーがやたら"This isn't gonna end well."「こりゃあ悪い終わり方になるぞ」と言うのは、アダムが出てるフランチャイズである『スター・ウォーズ』シリーズの決まり文句である"I have a bad feeling about this."「なんだかイヤな予感がする」への目配せなのではと思う。

 全体的にあんまり話が有機的につながっているわけではなく、突然のSFネタが出てくるところとか、子供たちの話が主筋にしっかり接続されてないところとか、わりと雑な作品ではある。この雑さの最たるものがクロエ・セヴィニー演じるミンディの役どころだ。せっかくクロエみたいないい女優さんを使っているのに、ミンディは警察でひとりだけパニクったり泣いたり吐いたりする女性警官という役で、かなりジェンダーステレオタイプまっしぐらに見える。

 たぶん全体的に話が雑なのはアダム・ドライヴァー(ジャームッシュの近作『パターソン』の主役)とビル・マーリー(ジャームッシュとは複数回仕事してて、主演をつとめた『ブロークン・フラワーズ』はカンヌで賞をもらった)がこの映画のスターだから…で、基本的にこの映画はビルとアダムがジャームッシュ監督の寵愛を競う話として見るのが楽しいんじゃないかと思う。アダム演じるロンが冒頭でいきなりラジオで流れる曲について「これ、テーマ曲だからね」とか言うのだが、この作品ではロンだけが最初から自分が映画の登場人物だということを明確にしている。一方でクリフはあくまでも映画の中の人らしく行動する…のだが、最後に台本のことで言い争いになり、結局二人とも外に出て行ってゾンビと英雄的に戦うことにする。それを生き残って眺めているのがこれまたジャームッシュの盟友たるトム・ウェイツが演じる世捨て人ボブ…ということで、ジャームッシュ世界では役者ではなくミュージシャンが生き残るというオチになっておしまいだ。