『週刊文春』の「名著のツボ」にコメントしました

 今週発売の『週刊文春』「名著のツボ」で『ロミオとジュリエット』についてコメントしました。次号でも『ハムレット』についてコメントする予定です。

 

次回のエクステンション講座では『アントニーとクレオパトラ』をとりあげます

 次回5/13~6/10の早稲田大学エクステンションセンター中野校でのシェイクスピア講座では、NTライヴでの上映にあわせて『アントニークレオパトラ』をとりあげます。全くシェイクスピアをご存じない方でも参加できますので、どなたでもお気軽にお申し込みください。

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イマイチ盛り上がらず、演技を見る映画~『天才作家の妻 -40年目の真実-』(ネタバレあり)

 『天才作家の妻 -40年目の真実-』を見てきた。

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 ジョーン(グレン・クローズ)の夫である小説家、ジョゼフ(ジョナサン・プライス)が念願のノーベル文学賞を受賞することになる場面から始まる。家族で授賞式のためストックホルムに向かうが、実はジョゼフの小説はジョーンが書いているのではないかという疑惑が…

 

 全体的に、せっかく記者のナサニエルクリスチャン・スレーター)が出てくるのに、ジョーンが実際にジョゼフの後ろでどういうことをしているのかに関する開示の過程があんまり盛り上がらず、単純にグレン・クローズの演技を見るだけみたいな映画になっていると思う。ナサニエルがなんでジョーンが実際はジョゼフの小説を書いていると思ったのかについての説明が少ないし、その後はジョーン視点でけっこうストレートに情報が開示されてしまうので、ここでナサニエルが出てくる意味はあるんだろうか…とかなり疑問に思った。「完璧なMeToo映画」とか言われているらしいのだが、それにしては全く開示のプロセスに意外性がないし、別にジョーンは勇気を振り絞って誰かを告発したとかじゃないので、これはそういうふうに見るべき映画ではないと思う。共依存関係を描いた映画としてはまあ丁寧なのかもしれないが、クローズの演技と周りを固める助演陣の芝居に頼りすぎで、台本としては別にそんなに面白くはないと思った。なお、ベクデル・テストはちょっと微妙だが、ジョーンと娘の妊娠についての会話でパスする。

彩の国さいたま芸術劇場『ヘンリー五世』

 彩の国さいたま芸術劇場『ヘンリー五世』のプログラムに記事を執筆したので、招待で行ってきた。このプロダクションについては劇評を書くかもしれないので、メモ程度にしておこうと思う。

 

  • 台本のカットがとにかくひどい

 初日から非難囂々になっていたことなのだが、アジンコートの演説がほぼない(ほんの数語くらいで終わり)。一番の見せ場であるアジンコートの演説がない『ヘンリー五世』なんて脱がないバーレスクと同じでその時点でやる気がなくなるのだが、とにかくここをカットしたせいで全体がかなりおかしくなっている。

 まず、アジンコート演説はカットなのに、その直後にウェスモランドが言う、むしろヘンリーと自分だけで戦いたいくらい士気が上がったというむねの発言はそのまま維持されているので、なんでウェスモランドがいきなり感動したのか全くわからなくなっている。

 さらに、ここをカットするとヘンリーのキャラとしての成長がよくわからない。このプロダクションの松坂桃李ヘンリーはかなり暗い性格でしかもいろいろ悩んでおり(このキャラクター造形じたいはいいと思う)、第4幕第1場で身を隠して兵卒たちに会い、王に対する兵卒たちの不満を聞いた後には悩みの独白で泣き崩れるくらい精神的に追い詰められている。アジンコートの演説は、このような悩んでいるヘンリーが覚悟を決め、自らを一兵卒たちと同様の兄弟なのだとポジティブに提示することで逆説的に王としての成長を示す働きがあるはずだ。ここで自らの弁舌に自信を持つことができるようになったヘンリーが、言葉が効かない新たな戦いとしてのキャサリンへの求婚に挑戦する、という流れができるはずである。ところが、王としての自信の確立を示すアジンコート演説をカットしたせいで、最後の求婚場面はそれまで暗いキャラだった松坂ヘンリーがいきなりポジティブな感情を爆発させてるみたいに見える。アジンコートの演説をカットしたせいで、ヘンリーがなんだかめちゃくちゃ情緒不安定な人みたいに見えてしまう。

→ちなみに、私はプログラムではアジンコートの演説についての解説を書いており、原稿を出した時点で演説場面でカットがあるかもしれないと聞いていたので「※実際の上演時には台詞が変更されている場合があります」という注意書きをつけたのだが、さすがにここまでばっつりカットするのは本当にまずいと思う。これだと『ヘンリー五世』をちゃんとやったことにはならないだろう。

 なお、これ以外に目立ったカットとしては、第3幕第4場でキャサリンがフランス語で下ネタと言うところがカットされている。この語呂合わせみたいな下ネタは訳が難しいのでまあしょうがないのかもしれないが、キャサリン、下ネタも言わせてもらえないのか…と個人的にちょっとさみしい気もする。

 ちなみに、アジンコートの見せ場をカットしたのに上演時間は3時間以上あり、最初にはご丁寧に『ヘンリー四世』二部作のダイジェスト映像まで上演される。そして演出家である吉田鋼太郎が演じるコロスの台詞はあまりカットしないで目立たせている上、最初にフォルスタッフが出てきて最後もなんかフォルスタッフの影的なものを意識させて終わるのは、演出家の自意識が強すぎる。

  • 戦争場面はやりすぎ

 リアルな戦争描写はいいのだが、中世~近世ふうの美術なのに、戦争の場面ではヘリコプターみたいな近代戦の効果音が轟音で鳴り響くのはちょっとうんざりする。全体的に戦争描写はやりすぎである。

 ただ、フルエリンが弓兵を連れて入って来て弓を射るところはいい。視覚的に効果が高いし、時代考証的にも正しい(アジンコートでは弓兵が活躍した)。

  あと、アジンコートの前夜にフルエリンが半裸で自分を縄で打ちながら入ってくる演出もやりすぎだと思う。自分を鞭で打つ修行をするのはキリスト教でもかなり過激な宗派で、中世では異端認定されたりしている。これだとちょっとフルエリンが極端に禁欲的な人に見えすぎる。

  • 演技は悪くない

 けっこう暗くて悩んでいるヘンリー五世を演じた松坂桃李、堂々としたフランス王を演じた横田栄司、笑いをもってくフルエリンを演じた河内大和等々、演技は悪くなかった。

  • 美術

 美術は木製のやぐらを真ん中に周りに木の柵が壊れたみたいな建造物が並んでいるもので、ちょっと新国立の『ヘンリー五世』の美術に似てる気がする。途中からこの木のセットを動かしてもっと殺陣で動き回れるようなスペースを作り、階段を使った派手な演出などもやったりしている。アジンコートの場面はちょっと『プライベート・ライアン』を思い出した(それなのにアジンコートの演説がないのだが)。

美しいが、全肯定はされない帝国的友情~『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(ネタバレあり)

 スティーヴン・フリアーズ監督『ヴィクトリア女王 最期の秘密』を見てきた。ヴィクトリア女王と、その晩年に家庭教師・秘書として仕えていたインドのムスリム、アブドゥル・カリムの交流を描いた歴史ものである。アブドゥル・カリムとヴィクトリアの親交についてはごく最近の研究成果で日記が発見され、以前よりもだいぶ事情が明らかになったらしいのだが、かなり脚色はしてある。

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 舞台はヴィクトリア朝末期のイングランドである。インド皇帝であるヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)への献上品を運ぶ仕事のためにインドからイギリスにやってきたアブドゥル(アリ・ファザム)とモハメド(アディール・アクタル)だったが、ハンサムで話のうまいアブドゥルは女王に気に入られ、たちまちのうちに女王のウルドゥー語教師・秘書として寵愛を受けるようになる。ところが宮廷の使用人たちはこれをよく思わず…

 

 フリアーズの軽妙なタッチと主演の2人の達者な演技のおかげでけっこう楽しめる映画になっている。とくにヴィクトリア女王が息子バーティ(私が大好きなエディ・イザード)の反乱に対して毅然と立ち向かう場面のデンチの演技などは、いつまで見ていてもいいくらい立派だ(ただしベクデル・テストはパスしない)。ただ、よく考えるとこれ、ヴィクトリア女王が年配の真面目な寡婦で、さらにデンチが演じているから普通に見られるのであって、もしこれの性別が逆だったらけっこうしょうもない話になるだろうな…と思った。かなり脚色してあると思われるのだが、まあヴィクトリア朝の話だからこうしか描けないんだろうな…というところもあり、そんなに鋭くヴィクトリア朝帝国主義の歴史に切り込んだ話というわけではない。

 ただ、監督がフリアーズなので当たり障りのない楽しい友情物語にしてはおらず、イギリスとインドの関係がところどころで非常に問題を含んだものとして提示されており、気をつけて見ているとそのへんに工夫が感じられる。たとえばアブドゥル一行は美しいムンバイの港を出て、物乞いがいる貧しくてどんよりしたイギリスの港に到着するのだが、引率のイギリス人は文明国(とてもそうは見えないくらいショボい)に戻ってきたと威張っているという描写があり、このあたりはイギリス人の視野狭窄に対する諷刺がきいている。また、この映画におけるヴィクトリア女王は周りの人間に比べると、長く帝国に君臨してきた君主らしくかなり世慣れているというか、人種偏見が比較的少ないのだが、それでも今の感覚で見るとけっこう引くようなことを平気でしている。さらに、アブドゥルはヴィクトリアのそうした君主としてのある種傲慢な寛大さにうまくつけ込むことで寵愛を受けた側面があることも描かれている。そしてそういうすべてをひっくるめて批判する立場にアブドゥルと一緒に来英したモハメドがいる。イギリスの帝国主義にもアブドゥルの出世願望にも批判的でありつつ、アブドゥルを同朋として守ってやろうとするモハメドは、出番は少ないながらもとても良いキャラだ。この映画において、ナイーヴなヴィクトリアと野心的なアブドゥルの交流はだんだん真摯なものに昇華されていくわけだが、そこに至るまでの2人の行動は全肯定されているわけではないのである。

今回の連載は「私は女なのか?~「不完全女性」を認定する」です

 今回の連載は「私は女なのか?~「不完全女性」を認定する」です。『侍女の物語』と『リトル・ブリテン』を題材に、トランスフォビアについて書きました。

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文春オンラインに「「クイーン」と「シェイクスピア」の共通点から考える、何が金や人気を生むのか」を寄稿しました

 文春オンラインに「「クイーン」と「シェイクスピア」の共通点から考える、何が金や人気を生むのか」を寄稿しました。クイーンとシェイクスピアを手がかりに、正典形成、受容、マーケティングについて考える記事です。正典形成プロセスについてはかなり単純化してあります(帝国主義とかオリエンタリズムに触れられませんでした)。人文学や芸術は金を生まないと思われてますが、実は金とか人気について知るにはそういうものが必要なんだぞっていうことをアピールするつもりで書きました。

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