オフィーリアを死なせない~『令和X年のハムレット』

 戯曲組が吉祥寺シアターで行った公演『令和X年のハムレット』を配信で見た。演出もつとめている吉村元希による『ハムレット』の翻案である。『ハムレット』以外にもおそらく『ローゼンクランツとギルデンスターン』などからも影響を受けていると思われる。リーディング公演なのだが、キャストはかなりリーディングっぽく読んでいるだけの人と、わりと身振りの演技もしている人、両方いる。

 コンセプトはこの間世界シェイクスピア学会で配信していたナタリー・ヘネディゲとミシェル・タンの『オフィーリア』と同様、オフィーリアやガートルードなどを通して『ハムレット』をフェミニズム的に読み直すというものである。ヘネディゲとタンの『オフィーリア』よりはだいぶわかりやすく、ストレートな翻案になっている。さらに他にも最近だと一般向けの映画でデイジー・リドリー主演の『オフィーリア 奪われた王国』というのがあり、これもオフィーリアを軸にした『ハムレット』の翻案なのだが、オフィーリアが死なせないようにしようというポイントの部分はこの映画とも共通している。全体的に『令和X年のハムレット』は天皇制などが残っている日本の王室と保守的なデンマーク王室が重ねられているようで(眞子内親王の話題などを思わせるところがある)、台本を投げ捨てて出て行くオフィーリアは非常に現代的だ。リーディングではなく本格的な公演で見てみたいと思った。

 ただ、二点ほどちょっと疑問に思うところがあった。まず、オフィーリアがずっと女言葉を使って話しているのは要らないのでは…と思った。現代女性で元気なオフィーリアはもっと現代女性らしく話すのではないかと思う。また、ガートルードは保守的な家父長制にのっかって家母長をつとめようとしている女性なのだが、これについてはもうちょっと掘り下げたほうがいいのではという気がした。終盤でガートルードのキャラクターにはちょっと深みが出てくるのだが、中盤まではちょっとステレオタイプ的な陰険な家母長になっている気がする。 

芸術家の話~『キャンディマン』(ネタバレあり)

 ニア・ダコスタ監督の『キャンディマン』を見た。1992年の同名の有名なホラー映画の続編である。ジョーダン・ピールが製作・脚本にかかわっている。

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 舞台は2019年のシカゴである。駆け出しの画家のアンソニー(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)は恋人であるアートギャラリーディレクターのブリアナ(テヨナ・パリス)とオシャレな家で暮らしていた。ある日、ブリアナの弟トロイ(ネイサン・スチュワート=ジャレット)とその彼氏グレイディ(カイル・カミンスキー)がやって来て、トロイはみんなにカブリーニ・グリーンで起こったヘレン・ライルによる殺人事件の話をする。これを聞いたトロイはカブリーニ・グリーンでの出来事を題材に調査を行い、新作を作ろうとするが…

 人種差別がテーマの辛辣なホラーで、アメリカでは超自然的な怨霊(キャンディマンは日本的な怨霊とは全然違うが、それ以外にあまり適切な言葉が思いつかない)よりも現実社会の人種差別のほうが怖いんだ、ということをつきつけてくる作品である。そもそもタイトルロールのキャンディマンじたいが人種差別のせいで生まれた怨霊なのだが、悲劇的な恋愛が織り込まれていて少しロマンティックな雰囲気のあるホラーだった1992年版に比べると、2021年版は奴隷制度とそれに起因する人種差別のせいでアメリカ社会が完全に歪んだものになっていることを厳しく指摘している。1992年版ではあらゆる人を襲う荒ぶる怨霊だったキャンディマンは、2021年版ではもうちょっと人を選んで襲っている…というと変だが、わりといけすかない白人を中心に襲撃するようになっており、アメリカに住む虐げられた黒人の怨念が具体化したような存在になっている。

 前作でも面白いと思ったところとして、キャンディマンはもともと画家で、絵の才能があったために白人社会とかかわるようになり、そのせいで白人ににらまれるようになったということがある。本作でもアンソニーは画家で、ブリアナはギャラリーのディレクターである。最近の作家性が強いホラーというのは芸術家推し…というか、『へレディタリー』のヒロインであるアニー(トニ・コレット)はドールハウス(というか精巧なミニチュア)のクリエイターだし、『ゲット・アウト』の主人公も写真家である。芸術というのは人に本来は見えないものを見せる働きをするものであり、超越的な体験を誘発することもあるので、心霊とか超自然とかに結びつけられやすいのかもしれない。一方で芸術家というのはやはり人に見えないものが見えるのでヤバい人だと思われることも多く、社会から外れやすい。このへんのホラー映画に出てくる芸術家たちは、実際に作品を作っている映画作家たち本人に結びつけられている存在なのかもしれない。

 一方で『キャンディマン』が画家の話だというのはアメリカ文化に対する諷刺にもなっていると思う。アメリカ文化は黒人と同性愛者が作った、みたいなことは冗談まじりによく言われるが(『グリー』ですらネタにされていたくらいでよく聞く)、たしかにジャズとかブルースとかディスコとか、アメリカの白人メインストリーム文化というのは非白人やクィアな人々が生んだトレンドを取り込んで(というかかっぱらって)商業的に売ることで成り立ってきたというところがある。キャンディマンが画家で、絵を描く能力によって白人にリンチされたというのは、アメリカ社会が黒人のアーティストに対してしてきた仕打ちの象徴なのだろうと思う。さらに今作ではカブリーニ・グリーンの過去に触発された作品を作ったアンソニーが白人の批評家からあまり好意的ではない批評をされるところがとてもイヤな感じで描かれており、いまだに黒人アーティストが特定の作風を求められたり、白人批評家の固定的なイメージにあわないことをした場合は非難されることが示されている(その後で手のひら返しみたいに白人批評家が寄ってくるくだりはとても皮肉だ)。そういう意味では、もともとは白人の監督が撮った『キャンディマン』を新たに黒人のクリエイターたちが作り直すという今作は、一度メインストリームの白人文化に奪われたものを取り戻す、というか撮り戻すという意味があるのかもしれない。

 なお、本筋からは逸れるのだが、この作品はホラーではあるものの、ちょっとコミカルなところがある。冒頭は全くホラーらしくなく、弟がボーイフレンドを姉に紹介するというホームコメディみたいな始まり方だ。弟がゲイでクロスレイシャルカップル(アフリカ系と、おそらくユダヤ系)だということがまったく自然に出てくるのはとてもいいと思うし、このカップルは暗くなりがちな全体の展開の中ではユーモアがあって仲睦まじく、見ていて面白い。ブリアナが弟の彼氏であるグレイディについて、やっとトロイがまともな男とくっついた…と安心しているあたりも、これまでたぶんしょうもねえボーイフレンドばかり連れてきていたんだろうなと思える口ぶりでなかなかリアルだ(トロイはかなりのお調子者なんだろうと思う)。しかしながらブリアナとトロイのお父さんのことがあんまり掘り下げられていないのはちょっと不消化だと思ったので、続編とかがあるならこのへんを見せてほしいと思った。

池袋ジュンク堂にて『批評の教室』フェアが始まりました

 池袋ジュンク堂にて『批評の教室』フェアが始まりました。12月12日までだそうです。批評関係の本をすごくいっぱい選書しましたので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

表象文化論学会で行った『コンヴァージェンス・カルチャー』書評パネルの報告が出ました

 2021年7月4日の表象文化論学会大会で行った書評パネル「現代日本とアジアにおける『コンヴァージェンス・カルチャー』」の報告文が学会ニューズレター『Repre』43号に出ました。門林岳史さんが書いてくださいました。

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11/13新刊トークイベントのお知らせ

 11/13に湘南蔦屋書店主催で、『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』の著者である橋迫瑞穂さんと新刊刊行記念オンライントークイベントを開催いたします。下のページから申し込みできますので、お気軽にお越しください。

store.tsite.jp

 

 

本屋B&Bイベントが無事終わりました

 本屋B&Bのオンラインイベント「北村紗衣×森山至貴 「フェミニスト/クィア批評の『楽しさ』を読みとく」 『批評の教室─チョウのように読み、ハチのように書く』(筑摩書房)刊行記念」が無事終わりました。森山さん、本屋B&B関係者の皆様、お越しくださった皆様、どうもありがとうございます。久しぶりに森山さんとゆっくりお話して大変、楽しイベントになりました。

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これたぶん『キングスマン』みたいな映画なんじゃないかな…『燃えよ剣』

 『燃えよ剣』を見てきた。言わずと知れた新選組副長土方歳三を主人公とする司馬遼太郎原作の有名小説の映画化である。ずっと公開が延期されていて、ようやく映画館で見られるようになった。

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 一応、全体が土方歳三岡田准一)が箱館でフランスの軍人ブリュネ(ジョナス・ブロケ)に対して自分の人生を回想するという枠に入っており、このためしょっぱなから例の有名な肖像写真に写っているのに似た洋装の軍服の土方が見られる。観客にも馴染みのあるであろう軍装の姿を最初から出し、自分がバラガキだったことを思い出す土方の顔をクロースアップで撮るところから始まっていて、こういうちょっとした工夫によって観客の注意をたちどころに主人公に引きつけ、長い話をできるだけコンパクトにすることを狙っているようだ。原作は大変長い話なのでかなりカットされていてちょっとダイジェスト版みたいになっているが、それでもちゃんと戦死までを描いて完結させている。

 全体的に大変アクションがしっかりしている。岡田准一が自分で殺陣指導までやったそうだが、正直、かけているお金の額が段違いのはずなのに先日見た『DUNE/デューン 砂の惑星』よりも斬り合いの見せ方じたいはシャープである。さらに岡田准一が根っからアクションスターなので、強力な突きを駆使した泥臭い戦い方をしっかり見せ、土方の戦闘スタイルや性格までわかるようなきちんとしたアクションをしており、このあたりは非常に見応えがある。お金をかけるべきところにお金をかけているようだし、かなり見応えがある。

 土方のキャラクターについてはけっこう岡田准一に合わせて良い人になっているように思った。原作にはくやらみ祭で出会ったサエという女が出てきて、女好きの土方はこの女(何しろサエなどという名前の女はろくでもないに決まっているのだが)をわりと真面目に好きになるのだが、後に政治的に袂を分かって…ということになるけっこう面白い展開があるものの、このあたりは全部カットされている。女好き土方のモテモテぶりの描き方も抑え気味で、出てくる恋人は絵師のお雪(柴咲コウ)だけだ。このお雪も柴咲コウが演じているせいで、わりと江戸時代の女性にしては芸術系の不思議ちゃんというような雰囲気になっており、モテモテの土方もなかなかいつもの調子ではいかず、変わり者同士の不器用な純愛みたいな感じになっている。

 本来であれば1シーズンかけてドラマかなんかでやったほうがいいような話ではあるし、土方のワルぶりも若干漂白されてはいるが、新選組の面々をはじめとして脇を固める役者陣もかなり良いし、全体的にはとても楽しめる作品だった。何しろ政治的な流れを読めずに幕府に味方したわけでバッドエンドになるに決まっているのだが、最後どんどん負けがこんでいくあたりもわりと悲惨すぎずにテンポ良くまとめている。侍が時代遅れになる時代に田舎の庶民から作られた伝統としての「侍」になろうとする土方をヒーローとして描くのは政治的にはかなり疑問もあるのだが、まあそこは『キングスマン』みたいな「マナーが人を作る」上昇志向映画の仲間として割り切って見るしかないのだろうなーと思う。