英文学会発表が無事終了しました

 日本英文学会第94回全国大会1日目の「シェイクスピアフェミニズム的受容」シンポジアムにて、「誰も憧れないシェイクスピアのヒロインたちー『デズデモーナ』と『ヴィネガー・ガール』」の発表を行いました。久しぶりに事前レコーディングではないライヴの学会発表をしたのでなかなか焦りました。他の発表もどれも面白く、充実したセッションになりました。お昼からの「ケアとディスアビリティの共同性ー連帯のダイナミズムと相互依存の政治学に向けて」シンポジアムも面白かったです。

 

 

アメリカでなかなか売れなかった最初の女性ロックスター~『スージーQ』

 スージー・クアトロに関するドキュメンタリー『スージーQ』を見た。

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 スージー・クアトロの幅広いキャリアをプレジャー・シーカーズの頃から追うものである。クアトロ姉妹を中心に結成されたデトロイトのプレジャー・シーカーズは女性だけのロックバンドとしては最も古いもののひとつで、ベース奏者のスージー・クアトロ以外に後でファニー(これも女性だけのロックバンドとしては非常に初期のものとして有名)に入ったパティ・クアトロもここで活動していた。スージーはソロになってイギリスで大成功し、最初の商業的に成功した女性ロックスターとして歴史に名を残すことになる。

 ランナウェイズのメンバーやデビー・ハリーをはじめとする後世の女性ロックミュージシャンがいかにスージーに憧れ、影響を受けたかということをわかりやすく説明している(スージーのレザービキニのポスターが誰に盗まれたのかは大きな謎だ)。一方、スージーアメリカで全然売れず、そのせいでキャリアに影響があったことも描かれている。スージーはスタイルはあんまりグラムロックっぽくなかったが、受容としては完全にグラムロックで、マーク・ボランやデイヴィッド・ボウイ、スレイド、スウィートなんかと同じような形で受け取られていたということが指摘されており、これはまさにそう…というか、そこがアメリカで売れなかった一因として提示されている。スージーは他の男性ミュージシャンとは違うやり方でジェンダーステレオタイプの問い直しをしており、小柄な若い女性が男性ロックミュージシャンの衣装であるジャンプスーツに身を包んで驚くほどエネルギッシュにステージで歌い、演奏することで、典型的な男らしさをパロディにするみたいな面白さがあった。これはグラムロック的なキャンプの美学そのものなのだが、アメリカではそもそもそういうユーモアをまじえてジェンダーの境界を問うみたいな発想が全然受けなかった(ニューヨーク・ドールズがいまだにロックの殿堂に入っていないのを見れば、今でもアメリカはそういうことに冷たいのがわかる)。

 一方でスージーはヨーロッパやオセアニア、日本では大変人気があった。日本ではパブリシティのために着物を着て結婚式をやるというイベントをやったそうで、いまだに映画などでは存在する海外スターのトンチキ宣伝をこの頃は大規模にやってたんだな…と思った。オーストラリアでもえらい人気だったそうなのだが、オーストラリアはスージーといいカイリー・ミノーグといい、小柄なのにビックリするようなレベルのエネルギーを発しているディーヴァに何かこだわりでもあるんだろうかと思った。しかしながら女性ロックスターが珍しかったのでセクハラ的な扱いやメディアによるディスもあり、とくにテレビでスージーがお尻を叩かれる場面は今では考えられないようなひどい扱いだと思った(デヴィッド・ボウイミック・ジャガーがいくらパッツンパッツンのかっこいいズボンはいてても、テレビでそんなことしないでしょ?)。

 70年代末以降、スージーはかなり演技のほうの仕事をしていて、テレビドラマや舞台に出演し、シンデレラのパントマイムで王子の役もやったらしい(パントマイムの王子様は女優がやることがある)。タルラー・バンクヘッドについてのミュージカルを作ったそうで、これは残っている映像がちょっとだけ見られたのだが、再演しないのかな…と思った。面白そうなのでどこかで再演してほしい。

理想の共同体をゆるがす暴力の陰~『ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック』

 『ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック』を見てきた。 

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 1960年代から70年代にかけて、ロサンゼルスの音楽文化の中心地だったローレル・キャニオンについてのドキュメンタリーである。ロサンゼルスの中心部のすぐ近くにあるのだが、緑の多い山々で環境が良く、ミュージシャンがどんどん集まってきたそうだ。バッファロー・スプリングフィールドやラヴ、ママス&パパスなどのメンバーをはじめとして、リンダ・ロンシュタットジョニ・ミッチェル、ドアーズのジム・モリソンなどが住んでおり、やがてイーグルスがここから生まれた。鍵もかけずにみんなで家を共有し、暇さえあればみんなで音楽を作っていて、とてもクリエイティヴな最高の環境だったらしい。

 序盤くらいまではいかにローレル・キャニオンが理想郷みたいなところだったか…という話である。移り住んでくる男性ミュージシャンが次々とジョニ・ミッチェルに夢中になってロマンティックな曲ができたみたいな楽しい話が続くのだが、一方で多人種で構成されたバンドであるラヴは南部などではライヴ会場が確保できずに実力に比べて売れなかったとか、ロサンゼルスで若者がたむろすのを阻止する動きがあってバッファロー・スプリングフィールドの"For What It's Worth"はそれについての歌だとか、ママス&パパスのキャス・エリオットは体型をバカにされてたとか、そこかしこにアメリカの暗さを示すエピソードも出てくる。中盤ではローレル・キャニオンにマンソン・ファミリー関係者が出没するようになり、殺人まで起こってシャレにならない話になってくる。ラヴのジョン・エコールズの家に昔のバンド仲間ボビー・ボーソレイユが訪ねてくる話はけっこう怖い(全体的に、このドキュメンタリーではラヴは良いバンドなのに不運な目にばかりあっていて気の毒な感じだ)。さらにオルタモントの悲劇やローレル・キャニオンのコミュニティの中心だったキャス・エリオットがロンドンで突然死してしまうなど良くないことも続く…のだが、最後はイーグルスの誕生で終わっている。全体的にかなりちゃんとミュージシャンたちに取材しており、見応えのあるドキュメンタリーだ。

 

これはいつかフルの『ハムレット』に…?『Oshiire Hamlet 押入ハムレット』

 彩の国さいたま芸術劇場でG.Garage番外公演『Oshiire Hamlet 押入ハムレット』を見てきた。坪内逍遥の台本を使い、河内大和がだいたいは1人芝居で亡霊や劇中劇などは能楽師の津村禮次郎がつとめ、音楽はスガダイローがつけるというものである。ほとんど即興で、稽古は全然していないそうだ。

 右手にピアノがあり、舞台中央に1人芝居用ブースがあって、ここにあるちょっとした小道具類を使いながら全部の役を河内大和が読む。亡霊や劇中劇などは舞台後方から登場し、ブースの前まで出てきてやることもある。亡霊が出てくるところなどでは河内大和がブースから出てインタラクションすることもある。台本はけっこうカットされており、100分ちょっとくらいである。

 坪内の台本なので、非常に格調高いが言葉じたいは難しく、それを1人芝居でやるので、たぶんもともとの話を知らないとよくわからない上演だろうとは思う。最初のほうは何しろ即興ということで、ややわかりにくいリーディングに音楽がついているだけみたいな感じもしたのだが、中盤くらいからノってきてエネルギッシュで良くなっていったように思う。ただ、正直なところ、まだできあがっていない構想を見たというような印象はぬぐえないので、ここでやった実験的な「準備」を生かしてG.Garageでフルで『ハムレット』を是非やってほしい。

ホン・サンス2本立て『イントロダクション』&『あなたの顔の前に』(試写、ネタバレ注意)

 ホン・サンスの2本立て『イントロダクション』と『あなたの顔の前に』を試写で見た。『イントロダクション』が1時間強、『あなたの顔の前に』が1時間半弱である。

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 1本目『イントロダクション』は、若いヨンホ(シン・ソクホ)と周りの人の会話を3章構成で描くものである。第1章は父親(キム・ヨンホ)とのなんだかすれ違ったやりとり、第2章はドイツに留学した恋人ジュウォン(パク・ミソ)のところにいきなりヨンホが訪ねていく話、第3話は役者志望だったがあきらめたヨンホが母(チョ・ユニ)に海辺の街まで呼び出され、そこで話した有名な俳優(キ・ジュボン)に怒られ、また病気になったジュウォンに再会するという内容だ。

 全体的に会話が不穏…というか、ヨンホがとにかく不器用である。父親とはうまくいっていないみたいだし、第2章の感じからしてジュウォンともまあ別れるんだろうなーと思ったし、第3章で、俳優の前で男女が愛し合っているフリをするのは演技でも悪いことだと思う…みたいなことを言って俳優を激怒させるあたり、見ていられないくらいいたたまれない。ヨンホは恋愛とか、親しい人同士の身体的な接触とかを大事に考えているらしいのだが、一方であまりそういう理念をきちんと自分の中で消化できていない感じがする。それが演技で愛し合っているフリができないというところにつながっていくのだろうし、その繊細さはまったく悪いことではないのだが、「自分はそういうのが苦手で」でという言い方ではなく、そんなのは悪いことだ…みたいなことを、相手の反応も予測せずに役者の前で言ってしまうというのは致命的な不器用ぶりだと思う(相手はふだんから演技でそういう仕事をしていて、精神的に演技と実生活を切り分けるのを重視しているのだから、仕事にケチつけられたみたいに思って怒るに決まっている)。ヨンホのふるまいじたいは『逃げた女』のガミにちょっと似ている感じもあるのだが、たぶん年齢とかジェンダーに関する文化のせいでガミよりだいぶ成熟していない。その居心地悪い感じをそのまま提示している。

 

 『あなたの顔の前に』は、元女優のサンオク(イ・ヘヨン)が急にアメリカから韓国の家族のところに帰ってくるが、何か理由がありそうで…という話である。最後の映画監督ジェウォン(クォン・ヘヒョ)との話がヤマ場になるのだが、ここでお酒も入ったせいでいろいろ大変な情報の開示が起こる。この開示のやり方がちょっと『ザ・デッド ダブリン市民より』みたいだな…と思った(前に『逃げた女』はヴァージニア・ウルフっぽいと思ったのだが、これはどっちかというとジェイムズ・ジョイスっぽくて、ホン・サンスというのはわりとモダニズム文学的な語り口がうまい監督なのかもしれないと思う)。また、ちょっと『5時から7時までのクレオ』とか『たかが世界の終わり』などを思わせるところもある。

 両作品に共通しているところとして、ある種のお祈りで始まるというのがある。これはたぶん韓国文化とキリスト教のかかわりが関連しているのだろうな…と思う。また、病によるせっぱつまった心境というも共通したモチーフで、『逃げた女』に比べると、会話のスタイルが似ているわりにはタイトな感じがするのはそのせいかもしれない。

ヘリテージ映画の新展開~『帰らない日曜日』(試写、ネタバレ注意)

 エヴァ・ユッソン監督『帰らない日曜日』を試写で見た。グレアム・スウィフトの短い小説『マザリング・サンデー』の映画化である。

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 主な舞台は1924年の「マザリング・サンデー」こと、メイドが母のもとに里帰りをする休日だが、話は時系列に沿って進むわけではなく、フラッシュバックをまじえて語られる。ヒロインであるジェーン(オデッサ・ヤング)は孤児で、ニヴン家でメイドとして働いている。ジェーンはこの日、裕福な家庭の息子である恋人のポール・シェリンガム(ジョシュ・オコナー)に呼び出され、密会する。シェリンガム家で密会した後、ポールはニヴン家や婚約者エマ・ホブデイ(エマ・ダーシー)との会食に向かうが…

 ジェーンはワーキングクラス出身のメイドで、ニヴン家、シェリンガム家、ホブデイ家はアッパーミドルクラスの上層~上流階級の末尾くらいの階級である。一見したところ、メイドと坊ちゃんの恋愛もの…なのだが、やれ妊娠だの玉の輿だのというありがちな展開ではなく、ポールが密会の直後に交通事故で死亡してしまうという悲劇的な展開になる。途中でかなりエロティックなラブシーンや、ポールやジェーンが裸でうろうろする場面もあるのだが、においとか体液の始末なんかについても現実的な描写がされている。さらに、事件をきっかけにジェーンが転職し、やがて作家になり、芸術家としてこの消化しづらい経験を…という様子が描かれており、第一次世界大戦の打撃から逃れられないエリート層の中高年と、新時代に適応していくワーキングクラスの若い女性の対比が、あまりぎすぎすしない柔らかい感じで描かれている。

 映像も綺麗だし、役者陣の演技もとても良い。ポールは時間にルーズでちょっとだらしない感じもある人なのだが、オコナーがこの頼りないところと面白いところの両方があるポールをとてもチャーミングに演じている。ポールは自分の属する階級の習慣に窮屈さを感じている一方、そこから逃れられない人物だ。一方でヤングのほうも、悲劇的な出来事をきっかけに人生を考え直す新しい時代の女性としてジェーンを好演している。あまり大きくない役だが、ニヴン夫妻を演じるコリン・ファースオリヴィア・コールマンはさすがの貫禄で、第一次世界大戦の喪失からなかなか抜け出せない中年夫婦をニュアンスに富んだ演技で表現している。小さい役だが、メイドのミリー役で英国演劇界の新星パッツィ・フェランが出ているし、また年を取ったジェーンの役でなんとグレンダ・ジャクソンが30年ぶりくらいに映画出演している(しばらく政治家をやっていて、映画に出ていなかった)。たまにちょっと気取った真面目なロマンスものっぽいところが鼻につくなぁという印象を受ける箇所もあるのだが、イギリスお得意のヘリテージ映画としてはいろいろひねった試みをしている作品だと思う。

 

 

音声はもうちょっとどうにかならなかったのか…『ロマンティックコメディ』(配信)

 三浦直之脚本・演出、ロロの『ロマンティックコメディ』を配信で見た。

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 本屋を舞台に、亡くなった詩歌という女性による小説を読む読書会を描いた作品である。かなり手の込んだ本屋のセットが魅力的だし、笑えるところもあり、読書会ものとしては『ジェイン・オースティンの読書会』とか『また、あなたとブッククラブで』みたいな感じのところもある。また、亡くなった人が中心だということではちょっと『フリーバッグ』を思わせる(あんな身も蓋もない話ではないのだが)。

 全体的にはけっこう面白いところも多いのだが、とにかく配信の音声が悪い。台詞が何を言っているのかわからないところがけっこう多く(これは自然な会話に近づけようとしすぎた結果、滑舌が悪くなっているのでは…という気もする)、また録音の関係なのか、大きな声で話すところはかなり音割れしている。こういう「自然な会話」っぽい芝居を配信するなら音の拾い方をもっと考えないといけないのでは…という気がした。