「批評ってなあに?フェミニスト批評に挑戦してみよう」イベントが無事終わりました

 NHKカルチャー梅田教室で実施したオンライン講座「批評ってなあに?フェミニスト批評に挑戦してみよう」イベントが無事終わりました。お越しくださった皆様、ありがとうございます。けっこうしゃべりすぎて、最後のほうはちょっと声が嗄れてしまいました…

 

悪くはないが、要らない設定も~『ロミオ&ジュリエット』

 アレクサンドラ・ラター演出『ロミオ&ジュリエット』を見てきた。衣装は今の若者が着るような服で、完全に現代的な演出である。ロミオ(長谷川慎)たちがたむろしているのはプールバーだし、ロミオとジュリエット北乃きい)が出会うキャピュレット家のパーティが行われるのはクラブだ。ただし、建築物のセットは比較的オーソドックスで、バルコニーもちゃんとある。

 一番最初にプロローグ的な形でプロジェクションを使った登場人物紹介があり、できるだけ観客に話がわかりやすいようにしている。あと、全体的にロミオとジュリエットのロマンスが原作ほど厳密な秘密とされておらず、けっこう周りの若い人たちにはバレているあたりが現代的だ。プールバーでロミオがばあや(野口かおる)とジュリエットとの結婚について話すところでは、周りにいるベンヴォーリオ(石川凌雅)などにもその話が聞かれているし、ジュリエットには女友達がいて、途中まではロミオとの恋の話も小耳に挟んでいる。ただ、これだけ女友達がいると、最後のジュリエットが絶体絶命になるところで同年代の友達に相談しないのがちょっと不自然に思えてくるので、ここはもうちょっと工夫が要るかな…と思った。

 こういう形で若者の恋をリアルで現代的に表現しているのはいいのだが、要らないと思われる設定もけっこうある。まず、ジュリエットがミュージシャンを目指しているらしいのだが、途中の歌はあんまり展開に貢献しないので要らないのではと思ったし、正直なところ、「クラブで歌っているジュリエットにロミオが一目惚れ」はそろそろやめたほうがいいのではないかと思った(最近こういう演出はけっこう見かけるのだが、ちょっと見飽きた気がする)。あと、ロミオがパドヴァで少年院みたいなところに入っているのは意味不明な設定だと思った。というのも、少年院に連絡するなら電話をかけてロミオを呼び出してもらえばいいということになってしまうのでなぜわざわざバルサザーに手紙を持たせたのかよくわからない。なんといってもロレンス(山崎樹範)が少年院に電話をかける場面まであるので、「???」となってしまった。あと、少年院でいろいろ制限がありそうなところなのにロミオがすぐに逃げ出せたのも強引だ。

昭和町風土伝承館杉浦醫院

 ウィキペディアンの間では有名な、山梨県昭和町風土伝承館杉浦醫院に行って来た。杉浦健造と義理の息子である三郎は山梨県の地方病こと日本住血吸虫症の撲滅に尽力した医師で、その業績を記念して作られた記念館である。もともと杉浦一族がやっていた昔の医院がそのまま保存されており、それだけでも非常に趣がある。 

醫院の庭にある、地方病終焉の記念碑

 

杉浦醫院の入り口

薬棚など、当時の個人医院の姿がそのまま保存されている。

昔のレントゲンや顕微鏡。

 

杉浦父子は地元の人々のためにいつも尽力していたそうで、医師のいない村に往診にも行っていたらしい。

 地方病についての展示もたくさんある。既に地方病の記事で見たことがあるものも多かったが、あらためてまとまった展示を見ると、あまりにも病状が悲惨でけっこう怖くなるところが多い。

衛生対策として野糞の調査もしたそうな…

教育用の啓蒙絵本『俺は地方病博士だ』。月岡芳年の弟子である中澤年章が挿絵を担当したそうで、ヘルシング教授みたいな博士が登場するホラータッチのエンタテイメント絵本である。

 

「マリー・クワント展」

 Bunkamuraザ・ミュージアムで「マリー・クワント展」を見てきた。ヴィクトリア&アルバート博物館で行われた展覧会の巡回である。ドキュメンタリー映画もだいたい同時に公開され、クワントの業績が展覧会と映画、両方でわかるようになっている。いろいろスウィンギング・ロンドンを彷彿とさせるお洒落な衣服が着ていて、ドレスの名前にはクワントのフェミニズム的な考えが表れていたりするところも面白い。また、パディ・ボイドがドレスを着ている広告がけっこうあり、当時のモデルというとだいたいツイッギーとかジーン・シュリンプトンを思い出すが、どっちかというと「ミュージシャンの妻」みたいな位置づけになりがちなボイドは本当にかっこいいモデルだったんだな…と思った。

白人至上主義的ヴァイキング像を皮肉ろうとしつつ、誤って受け取られそうな作品~『ノースマン 導かれし復讐者』

 ロバート・エガース監督『ノースマン 導かれし復讐者』を見てきた。『ハムレット』のもともとの伝説を映画化した作品である。脚本にはエガースの他、アイスランドの著名な作家であるショーンが参加している。なお、監督はシェイクスピア研究者のウォルター・エガースの息子である(私も今回、初めて知った)。

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 北欧の小国の王オーヴァンディル(イーサン・ホーク)が異母弟フィヨルニル(クレス・バング)に殺され、王妃グートルン(ニコール・キッドマン)を奪って王位を簒奪する。父と同様、命を狙われた小さな息子アムレート(オスカー・ノヴァク)は復讐を誓って逃亡し、長じてヴァイキングの戦士となる。幻影のような予言者(ビョーク)のお告げにより、復讐の時が来たと感じたアムレート(アレクサンダー・スカルスガルド)は奴隷のふりをし、フィヨルニル夫妻が亡命しているというアイスランドに向かう。アムレートは同じく奴隷にされたスラブ系の女呪術師オルガ(アニャ・テイラー=ジョイ)の助けを借り、復讐に邁進する。

 全編、かなり暴力的で残酷な作品である。白人ばかりのキャストで、屈強な男子が雄大で美しい北欧の風景の中、現代人からすると倫理的にどうかと思うような様子で暴れまくるのだが、主人公のアムレートも含めてあんまり複雑ではなく、さらに別にすごく賢いわけでもない…というか、「もうちょっと合理的に行動しては?」と思うようなところもけっこうある(シェイクスピアの『ハムレット』のほうがずいぶん人間の行動が複雑だ)。終盤でアムレートの実父オーヴァンディルもどうやらやばい人だったらしいことがわかる(序盤からなんか子どもの目を通して完璧すぎる人として描かれており、怪しい感じはあった)。狡猾さとか知性のほうは女性陣がもっぱら担当しており、ビョークは一瞬しか出てこないがいつもどおりのビョークで最強だし、グートルンがいろいろ後ろで糸を引いている少しワルな賢女(ただしグートルンはもともと被害者であり、行動は完全に合理的で、尊厳を取り戻そうとして自身が復讐にとらわれてしまっている複雑なキャラクターである)、オルガが治療や植物などの知識もあってアムレートよりもいろいろ合理性のある行動をとる善の賢女である。とにかく「白人って残酷だよな!」みたいな展開だし、男性は道化ヘイミル(ウィレム・デフォー)周り以外、ワルいか単純か暴力的かである。マッチョな映画だが、マッチョなものを賛美している映画ではない。

 全体としては、これまでのエクスプロイテーション映画では非白人の「野蛮な原住民」がやらされていたような行動をキラキラ白人キャストにやらせることにより、これまでのエクスプロイテーション映画の人種描写を相対化しようとしているように思える。ヴァイキングは白人至上主義者に好かれやすいのだが、この映画のスタッフ陣はそういう風潮に抗うべく本作を作ったそうで、白人をこれでもかと「野蛮」に描くことで白人至上主義をやんわりと皮肉っているように見える。プロットの中核である復讐についても、全面的に肯定できない問題含みな行動であり、結局はやるほうもやられるほうも死んでしまう、あまり賢いとは言えない暴力的な行動として描かれている。

 ざっくり言えば、単純な人間がたくさん出てくるあまり単純に見てはいけない話なのだが、ただ全体的に映像の完成度が高いので、フェティシズムだけで見てしまうとあんまりそういうことは気付かれないかもと思う。とくに最後の場面なんかはちょっと『スター・ウォーズ』っぽい残酷だが凝った映像になっていて、「キレイだったなー」で終わってしまうことも考えられる。さらに「ヴァイキングって残酷だよな!」というステレオタイプは昔からあるので、単なるそうしたヴァイキング像の再生産として受容される可能性もある。案の定、このへんの微妙な描写を読み取れない白人至上主義者の観客には喜ばれているそうだ。『マトリックス』や『ファイト・クラブ』同様、(少々注意深く見ていれば完全に理解できるはずの)コンセプトと全く違う受け取られ方をしてしまっている映画と言える気がする。解釈は自由なのであまり「誤って」受け取られている、というような言い方はしたくないし、ちょっとキレイさにこだわりすぎているところはある気がするので作品自体に内在する問題点もなくはないのだが、少なくともこれとか『ファイト・クラブ』などを白人至上主義者などがマッチョ礼賛映画として受け取るのは「誤って」いるだろうと思う。

 

ダンテが活躍する学園ものミュージカル~『チェーザレ 破壊の創造者』

 ミュージカル『チェーザレ 破壊の創造者』を見てきた。惣領冬実作、原基晶監修の同名漫画の舞台化で、小山ゆうなが演出している。2020年に上演予定だったが、新型コロナウイルス感染症で中止になってしまった作品の初演である。友人何人かと見に行き、いろいろ専門家に教えてもらいながら見たので、大変充実した観劇体験になった。

 ピサのサピエンツァ大学で学んでいるチェーザレ中川晃教)はスペイン系の学生からなるスペイン団を率いており、大学内では出身地による派閥争いがあった。フィレンツェ出身であるアンジェロ(山崎大輝)はメディチ家の御曹司ジョヴァンニ(風間由次郎)が率いるフィオレンティーナ団の一員だが、チェーザレと偶然知り合ってそのカリスマ性に惹かれる。チェーザレはまだ若いが、ピサでいろいろと父である枢機卿ロドリーゴ別所哲也)を次期教皇につけるべく、政治工作にも手を染める。

 チェーザレの学生時代の物語なので、ほとんど学園ものみたいなノリである。第一部のヤマはダンテの解釈をめぐる大学での議論だし、第二部のヤマは枢機卿を目指して努力するジョヴァンニの学位取得のための口頭試問だ。さらに200年も前の人物であるダンテ(藤岡正明)の幻影…?のようなものとチェーザレが対話するところもある。けっこうアカデミックな内容で(原作漫画も原基晶さんによるすごい監修が入っていてアカデミックなことにも力が入った内容なのだが)、ルネサンスの政治家というのはこれくらい学識があり、神学とか法学だけではなく文学とか芸術にも通じていないとやっていけなかったのか…と思うとなかなか厳しい世の中だが、少々うらやましくもなる。

 面白いところはあるのだが、内容はけっこう間延びしたところもあると思う。まず音楽が日本の歌謡曲調で、お話の雰囲気にはあまりあっていないし(わざとミスマッチを…という感じでもない)、さらに主役が中川晃教なのにもあんまりあっていない。中川チェーザレなら西洋風の大きなミュージカルナンバーを華やかに歌いこなす…みたいな作りのほうがいいのではと思うのだが(さすがに中川晃教は歌は上手である)、なんだかちょっと音楽が地味に感じられるところもある。冒頭は世間知らずなアンジェロが大学の派閥についていろいろ教わるということで、まるで『ヒース・レジャーの恋のからさわぎ』みたいなので、もっと音楽のほうも現代的でコミカルな学園もの風にしてもいいと思うのだが、そのへんもちょっと真面目にすぎるかもしれない。さらに第二部のほうが第一部より長く、さらに主役チェーザレではなく脇役ジョヴァンニの試験合格で終わり、主役が何かやって綺麗なオチがつく…という形ではないので、そこもちょっと物足りない。