あずまやのかわりにクロークで~日生劇場『メリー・ウィドー』

 日生劇場で『メリー・ウィドー』を見た。台詞も歌も日本語で、歌には日本語の字幕がつくというものである。指揮は沖澤のどか、演出は眞鍋卓嗣である。www.nikikai.net

 現代の大使館をイメージしたわりとシンプルでカクカクした直線を強調する白っぽいセットで、左奥にレセプション用のクロークがある。ここがポンテヴェドロの田舎風に飾り付けられたり、マキシム風になったりする。ふつうのプロダクションではあずまやが使われるところではかわりにクロークが使われ、ここでヴァランシェンヌ(盛田麻央)にカミーユ(金山京介)が求愛する。あまり大仰にならないよう、現代的でできるだけリアルな雰囲気で全体を統一して、楽しい音楽や笑いをストレートに強調するものである。

 演出のほうもわりとリアル志向で、ダニロ(宮本益光)はものすごくこじらせた色男で、どうもハンナ(腰越満美)と別れた痛手のせいでマキシムに入り浸って、あんまり外交官としての仕事も真面目にやってないんじゃないかという雰囲気だ。途中、酔っ払ってだらしない格好で入ってくるところは、エリート外交官とは思えないたるんだ様子である。一方、ハンナはたいへん現実的な女性で、結婚で財産を手に入れた後はダニロをいろいろ試して愛を確認しようとしているし、一方でヴァランシェンヌが窮地に陥った時は助けてあげるという女同士の優しさがある。

 しかし、『メリー・ウィドー』を見るたびに思うのは、この作品は楽しい話だが、どんなに楽しく演出しても家父長制やナショナリズムの影はあるということだ。ハンナの財産が全部夫のものになってしまうというのはなかなかキツい展開だし、ハンナがそういう制約の中でできるだけ情報を統制し、いろんな手段を使って欲しいものを手に入れて「陽気に」生きようとしている様子が、とくにこういうリアル志向の演出だと際立つ。陽気な寡婦は何も心配することがないから陽気なのではなく、家父長制の制約の中で陽気に生きるのはさまざまな手管が必要なのだ。

クリストファー・プラマー演じる温かいプロスペロー~ストラトフォードフェスティヴァル『テンペスト』(配信)

 ストラトフォードフェスティヴァルの『テンペスト』を配信で見た。デズ・マカナフ演出の2010年のもので、クリストファー・プラマーが主演である。

https://www.youtube.com/watch?v=9Y5G_V2x5oU

 わりと近世風な衣装で、あまり奇をてらわない正攻法の演出である。プラマー演じるプロスペローがかなり温かみとユーモアのある性格なのが特徴で、たしかに積年の恨みでつらそうなところはあるのだが、このプロスペローなら穏やかに過去の怨念を捨てて赦しの心を示しそうに見える。途中の婚約を祝う幻影を見せるところでは自分でハープシコードを弾いていて、なかなか芸達者で楽しい人物だ。娘のミランダ(トリシュ・リンドストロム)に昔のことを話すくだりも良いお父さんという感じで、冗談も交えていて、わりと他のプロダクションでは起こらないところで客席で笑いが起きていた。小さく可愛らしい妖精であるエーリアル( Julyana Soelistyo)とプロスペローの間の関係もかなり親密なもので、プロスペローは子供を手放したがらない父親のように振る舞っているように見える。この2人の間柄を示すために空気を象徴する羽根が使われており、エーリアルの姿が見えなくても羽根が飛んでくればプロスペローがそこにエーリアルがいることを感知できる。最後にプロスペローが羽根を渡して船でエーリアルが去って行き、さらにその後ろにキャリバン(ディオン・ジョンストン)が出てきてやはり別れを示唆する会釈とアイコンタクトを交わすところでは、プロスペローはとても寂しそうである。

 そういうわけでプロスペローの人間味や周りの人間関係を丁寧に描いた良いプロダクションなのだが、10年前の撮影だからなのか、イマイチ舞台の全体を綺麗に見せる撮り方が実現できていないところがある。最初の暗い舞台なんかは何がなんだかよくわからない撮り方になっているし、全体にもう少し人の動きをダイナミックに撮ってほしいと思うところもあった。婚約を祝う幻影のショーの場面やラストなども、もうちょっと工夫できそうな気がする。

ウィキペディアに関するオンライン講演の第二部がウェブ公開されました

 世界思想社で行ったウィキペディアに関するオンライン講演、第一部に続いて第二部がウェブ公開されました。

web.sekaishisosha.jp

近世の女性作家を取り上げた意欲作なのだろうが、いくらなんでも…『エミリア』(配信)

 モーガン・ロイド・マルコム作『エミリア』を配信で見た。近世の女性詩人でシェイクスピアの同時代人であるエミリアラニエをヒロインにした作品である。つい最近のプロダクションだ。

www.emilialive.com

 円形でちょっと劇場っぽいセットの雰囲気もいいし、オールフィメールで3人の女優がエミリアを演じるとか、フェミニスト的コンセプトも評価はできる…のだが、正直、エミリアラニエの詩を読んで博士論文でも扱った私としては、こういう方向性だけは避けてほしいなぁということをかなりやってしまった芝居に見える。エミリアラニエがシェイクスピアと一時期恋仲で、さらにラニエの言葉をシェイクスピアが使っていたとかいう展開があるのだが、これは昔からインチキ学説として近世英文学研究の中ではボロクソに言われつつ、世間では人気のあった説に基づいていると思われるのである。ラニエはシェイクスピアソネットに出てくるダーク・レディの候補として有名で、さらにシェイクスピアの作品の一部を書いていたとかいう全く根拠のない噂まであるのだが、この芝居はそういうけっこう昔からある、下世話な興味に基づいたうさんくさい説に拠ってしまっている。

 私はそういうのが非常にイヤだなと思うのは、エミリアラニエみたいな宗教的テーマを扱う個性的な詩人というのは、シェイクスピアの恋人だったとかいうような与太話から離れて独立した才能として考えるべきだと思うからである。ラニエとシェイクスピアは知り合いだったかもしれず(共通の知人がわりといる)、とくにラニエはシェイクスピアの有名作は知っていた可能性もあるのだが(『アントニークレオパトラ』とかシェイクスピアの長詩の類いは知ってたのではと思う)、シェイクスピアラニエの緊密な関係を裏付ける証拠はない。どちらもちょっと個性的すぎる詩人で、テーマの選び方も違う。シェイクスピアの陰にラニエが…みたいな話はこれまでラニエを自分で書く詩人としてではなくミューズの立場に押し込める性差別的な野次馬根性から面白おかしく語られてきたものであり、今更そういう説(しかも学問的な根拠があまりない)に拠った話を作るのはかえって詩人としてのラニエを見えなくすると思うのである。シェイクスピアと執筆仲間だった、くらいなら十分ありそうだと思うのだが、それならもっといろんな詩人たちとラニエの交流を中心に、ラニエを独立した詩人として描くべきだったと思う。

オールメール、5人だけでやる『ハムレット』~『5 Guys Shakespeare』(配信)

 『5 Guys Shakespeare』を配信で見た。

www.nelke.co.jp

 若い男優5人でとっかえひっかえいろんな役を演じながら『ハムレット』をやるというものである。この発想じたいは大変よろしいというか、少人数でオールメールで、みたいなのはアートハウス系のプロダクションの定番でもあり、この路線で手堅くシンプルにまとめていれば良かったのでは…と思うのだが、若手イケメン俳優5人でやるということで、半端にアートハウス、半端にイケメン舞台みたいな感じになっているのが煮え切らない感じであまりよくない。セットじたいは、途中から折れている柱が後ろにある一方、稽古場に衣装をつるすためのトルソやらハンガー立てやらが散らばっているみたいな感じでわりとアートハウス寄りだと思うのだが、たぶんこういう舞台装置なら地味な衣類でもっとそぎ落としてシンプルにやったほうがいいと思う。

 とりあえずイケメン舞台というわけでミュージカル仕立てなのだが、入ってくる歌があんまり効果的とは言えない。正直、歌についてはけっこう不安定であんまり上手くはないと思ったので、オフィーリア狂乱の場だけとかにしてあとはフツーにストレートプレイをやればよかったのでは…という気がする。また、シンプルな少人数の舞台にしては、衣装やメイクがちょっと派手寄りすぎるのもあんまり良くない。とくにハムレットはあんなに寝不足顔みたいなメイクにする必要はないと思う。

 また、元の話を2時間弱にカットしているのだが、その編集方針がやたらセンチメンタルなロマンスもの寄りで、オフィーリアとハムレットの恋路に焦点をあて、ポローニアス一家がみんなで恋愛沙汰にかかわる不必要にドラマチックな脚色がしてある。さらにレアティーズとハムレットの最後の試合は決闘だということになっており、ここもレアティーズとハムレットの感情のこじれが焦点化されていて、クローディアスが操る宮廷の陰険な陰謀という要素がやや薄められている。このため、政治劇らしさがあんまりなって単純なメロドラマのように見えてしまう。

 あと、これは技術的な問題だと思うのだが、台詞が少し小さい音になるところがあるかと思ったら音楽のところではずいぶん音量が大きくなるなど、やや音量が不安定だ。音声はもう少し調整が必用な気がする。マウスシールドをつけてやっているのだが、ひょっとするとそれも音声の調整には関係してくるのかもしれない。

『存在しない女たち』の書評を書きました

 キャロライン・クリアド゠ペレス『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』神崎朗子訳(河出書房新社、2020)の書評を河出書房新社のサイトに書きました。

web.kawade.co.jp

 

 

2020 World Burlesque Games(配信)

  2020 World Burlesque Gamesを有料配信で見た。オリンピックの年にロンドンでやっているものだが、今年は各地から提出されたビデオのオンライン配信になっている。ロンドン・バーレスク・フェスティバルと同じ運営母体がだいたい同じ形式でやっている。

www.londonburlesquefest.com

 パフォーマーのほうもけっこう慣れてきたのか、撮り方などもこなれているものが多いが、中にはちょっと音や画質に問題があるもの、また撮り方が上手でないものもある。とくに鬼門なのはやはり火を使う演目で(これは前のVirtual Burlesque Hall of Fame 2020の時もそうだったのだが)、炎がブレまくってあまり効果があがらない。ファイアダンスやる人は少し撮影にお金をかけたほうがいいのかもしれない。それから、お客さんを入れて取っている動画はやはり盛り上がりを追体験できるのでショーの面白さが割り増しされる。全体的にはけっこうボーイレスク勢やジェンダーベンディングなショーをするパフォーマーたちが頑張っており、大変よい傾向だと思った。