宗教権力による子どもの運命の変転~『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』(試写)

 マルコ・ベロッキオ監督新作『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』を試写で見た。

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 1858年にボローニャユダヤ人であるモルターラ一家に突然兵士たちがやってきて、まだ小さい息子のエドガルドを連れ去るところから始まる。なんとエドガルドは勝手に使用人によりカトリックの洗礼を受けさせられており、カトリックだからそれにふさわしい教育を受けさせねばならないというのである。モルターラ一家は息子を取り戻そうとさまざまな活動をするが、一方でエドガルドはだんだんカトリックの学校に馴染んでいくようになる。

 実際にあった事件を映画化したもので、非常に重い話である。両親どころか子ども自身すら知らないところで勝手に子どもがカトリックにさせられていたというのはショッキングだが、一方でそもそも子どもは親の宗教で育てられるべきだということも一概には言えないので(このケースだと勝手な洗礼は児童の人権侵害にあたるが、一方で親が子どもの意志に反して特定の宗教を強制することもよくある)、宗教というもののふたしかさを考えさせられる話でもある。モルターラの一家は大事な子どもであるエドガルドをなんとか取り戻したいと一生懸命頑張って政治的にもいろいろなところに働きかけるのだが、エドガルドは小さいうちからカトリックとして育てられてその文化に馴染んでしまったので、親の努力にあまり感銘を受けず、そのうち拒否するようになるというのがなかなかつらい。一方で時として「よそ者」扱いが顔を出す時もあり、そのあたりもリアルである。この話ではヴァティカンはだんだん世間が世俗化していく中で形式にしがみついているので、ある種の腐敗した権力と言えると思うし、近年の児童虐待問題の経緯などを見ると、その影響はイタリアのみならずカトリック国のいたるところに残っているのではと思うところもある。