ベルファストの厳しい現実と役に立ちすぎる哲学~『ぼくたちの哲学教室』

 『ぼくたちの哲学教室』を見てきた。ベルファストにあるホーリークロス男子小学校の哲学教育を撮ったドキュメンタリー映画である。

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 ホーリークロス男子小学校はベルファストのアードインにある小学校で、ワーキングクラスのカトリックの子どもたちが多く通っている。北アイルランド紛争で地域全体が疲弊したため、暴力犯罪やドラッグ、自殺が多発している。そんな中、子どもたちが暴力や犯罪にハマらないよう、ホーリークロス男子小学校では校長のケヴィン・マカリーヴィー先生を中心に哲学教育やメンタルヘルスのケアに力を入れている。 

 マカリーヴィー先生がかなり強烈なキャラで、哲学の先生なのだが、昔はいろいろお酒や暴力でトラブルを起こしたこともあり、そこから立ち直ったらしい。エルヴィス・プレスリーの大ファンで、スマホの着信音は常にエルヴィスだ。筋トレも欠かさないコワモテの先生でもある。マカリーヴィー校長は、男の子たちに哲学を通して感情のコントロールや思索、内省のやり方を教えることにより、子どもたちが問題を解決してサバイバルできるようになると考え、日々教育に尽力している。

 マカリーヴィー校長を初めとしてホーリークロス男子小学校の教職員は毎日ものすごく頑張っているのだが、一方で子どもたちはなかなか一筋縄ではいかない。だいたいは良い子たちなのだが、何しろちょっと前まで紛争をしていた分断国家の治安が良くない地域で育った子どもたちなので、学校で「暴力はいけない」「感情のコントロールを大事に」というようなことを教わっても、家庭では親が殴られたら殴り返せとか、学校でせっかく教えた内容を台無しにするようなことを子どもに教えていたりする。そういうわけで、マカリーヴィー先生は感情的にならずに親に反対する方法を子どもたちに教えるなど、これまでの暴力の連鎖を断ち切るための教育をちょっと荒療治でもやらないといけない。

 途中で新型コロナウイルスによる学校閉鎖が起こったり、卒業生の自殺があったり、わりといろいろ事件も起こるドキュメンタリーである。初等教育のあり方について非常に考えさせられる内容で、いわゆる「道徳」ではない、わりとガチの哲学をやさしく子どもに教えることが子どもの人生にかなり役に立つのではないかということを示唆する作品だ。とくに男の子が自分について内省したり、他の男の子と問題をシェアしたりするやり方を学ぶというのはジェンダーの観点からも重要で、男性の健康に良い影響を及ぼすのではないかと思った。哲学というのは役に立たない学問の代表みたいに言われていると思うが、ベルファストの疲弊した地域という厳しい環境で哲学が必要とされているというのは、実は哲学がある意味では役に立ちすぎること、そしてたぶん哲学が役に立ちすぎる状況というのはけっこうシビアな環境だということをも示していると思う。