第2回wikipediaブンガク in 神奈川近代文学館

 今日は第2回wikipediaブンガク in 神奈川近代文学館に参加してきました。テーマは神奈川近代文学館展示が実施中寺山修司ということで、中級レベルの執筆者の皆さんをサポートして[[毛皮のマリー]]の記事を作りました(後でちょっと加筆しました)。実はあまり寺山修司が好きじゃ無いのですが、そんなこと忘れるくらい楽しかったです。

単著が『女たちの21世紀』95で紹介されました

 単著『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち:近世の観劇と読書』の書籍紹介がアジア女性資料センター女たちの21世紀no.95: 夫婦別姓はなぜ阻まれ続けるのか』p. 55に掲載されました。評者は id:drydeniana さんです。ありがとうございます。『問題だらけの女性たち』とか『北欧に学ぶ小さなフェミニストの本』に並んで、1冊だけ小難しい本ですが、よろしくお願い申し上げます。

シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち:近世の観劇と読書
女たちの21世紀no.95: 夫婦別姓はなぜ阻まれ続けるのか
発行:アジア女性資料センター 発売:夜光社
夜光社
売り上げランキング: 508,904

ウィキペディア記事「ドナ・ストリックランド」を突貫工事で強化しました

 ノーベル物理学賞をとった[[ドナ・ストリックランド]]、受賞してすぐスタブができましたが内容が少なすぎたので、突貫工事でとりあえず翻訳して経歴がわかるようにしました。既に科学用語を直して下さった方がいるのですが、用語については全く自信がないので、どんどん修正・加筆をお願いします。

歌舞伎っぽいマクベス~『メタルマクベス』disc2

 『メタルマクベス』disc2を見てきた。話はdisc1と同じで、基本的に音楽が大事な芝居だという印象はそう変わらないのだが、役者が違っており、それにあわせて少しずつ演出を変えているというのはある。

  

 尾上松也がランダムスター/マクベス役で、もともと新感線に出てきた橋本さとしが主演のdisc1とは違い、歌舞伎役者が主演であるため歌舞伎っぽく見栄を切るようなところが多くなっている。やはり動きが橋本さとしとはかなり違い、disc1は小劇場からやって来たエネルギッシュなミュージカルという感じだったが、disc2はもう少しスムーズな舞いのような動きを強調しているように思った。

 

 また、演歌歌手で鉄道駅員の物真似が得意な徳永ゆうきが元駅員で王に仕える家臣として出演しており、そのせいで鉄道ネタがふんだんに盛り込まれているあたりがかなり面白かった。駅員の真似が本当にうまくて、かなり笑えた。そのせいで門番の役は少し小さくなっていたと思う。

キメっぱなしで大人になったっていいじゃないか~裏『トレインスポッティング』としての『プーと大人になった僕』(ネタバレあり)

 『プーと大人になった僕』を見てきた。

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 主人公であるクリストファー・ロビン(ユアン・マクレガー)は子供時代、プーをはじめとするぬいぐるみや野生動物の友達とサセックスの田舎にある100エーカーの森で楽しく暮らしていたが、寄宿学校で故郷を離れ、結婚して家庭を持った後第二次世界大戦に従軍して地獄を見る。終戦後、ロンドンでカバンの会社であるウィンズロウ社の効率担当になるが、仕事に追われる毎日で妻のイヴリン(ヘイリー・アトウェル)や娘のマデリン(ブロンテ・カーマイケル)を心配させる毎日だ。とある週末、残業でサセックスのコテージに行けなくなり、家族のいないロンドンの家でひとりで仕事をしていたクリストファー・ロビンのもとに、突然プーが現れる。マイペースなプーにふりまわされるクリストファー・ロビンだったが…

 

 この映画の予告編を見た時、何しろユアン・マクレガーが出てるもんで、まるで『トレインスポッティング』のレントンがまたヘロインを初めて幻覚のプーが動いているみたいだ…と思ってちょっと不安になったのだが、『プーと大人になった僕』は思ったよりも断然、『トレインスポッティング』に似ている。クリストファー・ロビンの世界にかつてのヤバい仲間であるプーたちが戻ってきたせいで、ひっきりなしにヘロイン幻覚なみのサイケデリック珍事が襲ってくる。プーがいなくなるとクリストファー・ロビンが怪物へファランプをつかまえるための罠に落ちてしまうという描写はまるで禁断症状みたいだし、レイヴのかわりに野外でお茶パーティだ。ご丁寧に『トレインスポッティング』を思わせる、水に入る場面や車にぶつかる場面まである。

 しかしながら『トレインスポッティング』と違って『プーと大人になった僕』は、1度クリーンになっていたのにやはり人生に無理が出て、自分がかつて頼っていたものが戻ってくるという展開だ。『トレインスポッティング』で主人公が頼っていたのはヘロイン、『プーと大人になった僕』ではテディベアだ。テディベアのほうがだいぶ健康にはよろしい…のかもしれないが、刺激の点では遜色ない。この作品は子供も大人も楽しめる心温まる映画なのだが、奥にこめられたメッセージは「キメっぱなしで大人になってもいいじゃないか」だと思う。ふつうならプーみたいな子供時代の想像の友達というのは、大人になったら別れなければいけないものだ…とされることが多いと思うのだが、この映画は大人がサバイバルするためには子供心が絶対に必要であり、100エーカーの森みたいなところでプーやイーヨーやティガーみたいな素っ頓狂な連中とハチミツでラリって馬鹿騒ぎすることが人生には必要なのだ、という前提で作られている。現代社会はあまりにもストレスが多すぎて、テディベアでもキメなきゃやっていけない。

 

 クリストファー・ロビンを演じるユアン・マクレガーの演技は大変すばらしく、つかれた大人から少年の心を持った生き生きした男に戻る様子をとても自然に表現している。プーさんの声をあてているジム・カミングズも本当に当たり役で、声は渋いのに子供っぽく無邪気な行動をするプーを全く違和感なく演じている。ぬいぐるみのプーと実写の人間であるクリストファー・ロビンが一緒に動いていても全然、おかしなところがない。残念ながらベクデル・テストはパスしない。

 

 

次のエクステンション講義では『十二夜』をとりあげます

 次回の早稲田大学中野エクステンションセンターでの一般向け講義では、『十二夜』をとりあげます。11/5(月)の13:00が第1回で、5回で読みます。ふるってご応募ください。

あなたがまだ知らないかもしれないシェイクスピア | 北村 紗衣 | [公開講座] 早稲田大学エクステンションセンター

ゴダールを待ちながら~『顔たち、ところどころ』(ネタバレあり)

 御年87歳のアニエス・ヴァルダが33歳の写真家JRと組んで作ったドキュメンタリー映画顔たち、ところどころ』を見てきた。

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 JRはいかにもフランス人好みの空間アートっぽい作品を作る写真家で、大きな写真を引き伸ばして建物などに貼るプロジェクトをやっている。ヴァルダと組んで、行く先々の村々で地元住民(場合によっては動物)などの写真をとり、そのポートレイトを家の壁などに貼っていく。いろいろな場所でプロジェクトをやった後、ヴァルダはJRとともにかつての盟友ジャン=リュック・ゴダールに会いに出かけるが…

 

 この作品のテーマは人と会うこと、人の顔を見ることなのだが、まずはヴァルダとJRがなかなか出会えなかった…というところからはじまる。そうしてヴァルダはちょっとばかりゴダール似のサングラスで目を隠した男JRと会い、いろんな人と出会う旅に出かけるのだが、行った先々でいろいろな人をじっくり撮り、自分の過去のことに思いを馳せたり、過去の作品を再考したりする。最初はけっこうのんびりちまちまとした作品を作っていたのだが、終盤、ル・アーヴルの港で、男ばかりの労働環境に女性の存在を持ち込もうと、港湾労働者の妻たちの写真を大きく引き伸ばして積み上げたコンテナに貼るあたり、いかにもフェミニストで女性をじっくり描くのを得意としていたヴァルダらしい大作ができて、このあたりは面白い。盛り上がったところで、若きサングラス男JRをホンモノのゴダールに会わせようとロールに連れて行くのだが、ゴダールはなんかムカつく感じのメッセージを残してわざとヴァルダをすっぽかした。二人はゴダールに出会えずに終わる。

 

 この作品が見事だと思うのは、ドキュメンタリーで共作なのに、まるでヴァルダの過去の劇映画みたいな、強烈に作家性が出た作品になっているところだ。ヴァルダの映画というのは女性を中心にいろんな人をじっくりと撮るという点でまさにポートレイトの世界なのだが、劇映画でも昔からちょっとフェイクドキュメンタリーっぽい文法を持ち込むことが多くて、ドキュメンタリーもフィクションのドラマもけっこう同じ態度で撮っている感じがする。さらに、ヴァルダは劇映画のオチにはわざと肩すかしみたいな展開を持ってくることが多い。『5時から7時までのクレオ』も『幸福』も『冬の旅』も、「え、そんな終わり方なのか…」みたいなところで終わる。『顔たち、ところどころ』でゴダールに逃げられたヴァルダに、JRが「ゴダールは君の物語構造に逆らおうとしてるんでは」みたいなことを言って慰めるところがあるのだが、むしろ会うことがテーマだった映画にいかにもヴァルダ映画らしい肩すかしラストを持ってきてくれたゴダールは、体を張ってヴァルダの世界を体現してくれたのかもしれない。たぶんイヤなヤツなのだろうが、映画的には大いに盛り上げてくれるゴダールだ。