植民地時代の朝鮮半島と日本の関係を背景にしたポストコロニアル的『テンペスト』〜『颱風奇譚』

 東京芸術劇場で『颱風奇譚』を見てきた。シェイクスピアの『テンペスト』を、1920年代、植民地時代の朝鮮半島と日本の関係を舞台に翻案したものである。台本はソン・ギウン、演出は多田淳之介が担当している。『テンペスト』のポストコロニアル的な演出というのはけっこういろいろあるが、これはかなりうまくいっているほうだと思った。

 プロスペローにあたる役は、亡命した朝鮮の老王イ・スン(チョン・ドンファン)である。朝鮮を逃れて島に娘のソウンと隠棲しているイ・スンは、近くの海を自分の仇敵である日本の政治家たちと弟のイ・ミョンが航海していると知り、魔法で颱風を起こして一行を引き寄せる。イ・ミョンは日本の西大寺公爵の妹櫻子と結婚しており、この三人の他に西大寺公爵の息子成保や藤村男爵、宮部大尉などが船に乗っていた。一行の運命やいかに…

 日本語、韓国語、先住民の言葉がいりまじるプロダクションで、どの言語が覇権を握るかということが重要なテーマとなっている…のだが、言語はともかく正直、それを支える音の使い方はちょっとあまりよくないと思うところも多かった。多言語は字幕で処理しているのでいいのだが、人が話しているバックで大きく音楽が鳴るような演出が多く、せっかく言語が重要なモチーフである作品なのにちょっとセリフが聞き取りにくい箇所がかなりある。「威風堂々」や「君が代」の使い方も若干、わざとらしいように思った。くぼみのある床で島の地面を表現したセットや、鮮やかな照明なんかは結構よかった。

 話のほうは重層的な権力関係をかなり面白く描いた作品になっている。植民地化された朝鮮半島宗主国の日本という支配-被支配の関係がある一方、イ・スンは娘のソウン(ミランダにあたる)や先住民のヤン・クリー(キャリバンにあたる)に対する支配力を行使しているというまた別の支配-被支配の関係がある(ヤン・クリーとソウンは原作と異なり、別に不仲というわけではない)。これが後半になると、船に乗っていた下っ端で貴族ご一行とは別のところに漂着したウルトリと玉三郎がヤン・クリーを地元の恐ろしい先住民の王様だと思って従うようになったり、ヤン・クリーがイ・スンに反逆する時にソウンに「お前だってもう父上の言うことなんかききたくないだろ?」と聞いたり、権力の逆転が起こるようになり、支配によって地位を追われたイ・スンも実は抑圧者であることが明らかになっていく。言葉の通じないソウンを口説いて勝手に妻だと触れ回る、西大寺成安の宗主国の男らしい勘違いぶりも笑える。さらにこの話は1920年代の話であるので、本来ならば朝鮮の王家の跡取りになるべきイ・ミョンの生き別れになった息子は上海で共和主義運動をしているし、一方で日本のやたら意識高い系帝国主義者である藤村男爵は古い秩序を嫌い、新しいアジアと日本のためとかほざきながら宮部大尉をひきこんで西大寺公爵やイ・ミョンを暗殺しようとする。このあたりの描き方がなかなかシビアで、観客の同情は舞台に出てこない上海の朝鮮王子に行くと思うのだが、歴史的には藤村男爵みたいなのがのさばっていたということを暗示するような終わり方になっている。

 というわけで全体的には日韓関係の歴史をうまくシェイクスピアの『テンペスト』のフォーマットに落とし込み、巧妙に換骨奪胎して新しく発展させたかなり面白い政治劇だと思うのだが、最後にソウンの赤ん坊が出てくるオチはなんか妙に「生殖」に希望を持たせるような落とし方であまり感心しいなかった。もうちょっと気の利いた結末の付け方があったのではと思ってしまう。