2019年7月22日「バズる(?)アウトリーチのすすめ―公益性のある情報発信に向けて」に登壇します

  2019年7月22日17:30より東大本郷キャンパス小島ホールで開催される「バズる(?)アウトリーチのすすめ―公益性のある情報発信に向けて」に登壇します。私の他、古川萌さんと丸尾宗一郎さんが出ます。

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7月3日に『アフター6ジャンクション』に出演してウィキペディアの話をします

 7月3日20:00より『アフター6ジャンクション』に出演し、「ウィキペディアとの正しい付き合い方」というテーマでお話することになりました。前回はめちゃくちゃ緊張したので、今回は早口にならないよう気をつけます。ウィキペディアについて、ごくごく基本的なお話をします。

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仕事で鶴澤寛也さんと対談してきました

 カクシンハン『薔薇戦争』関係のお仕事で女流義太夫三味線奏者の鶴澤寛也さんと対談してきました。義太夫のこととか全然知らないので、もっと勉強せねば…と思いました。

 

アマゾン族の崩壊~劇団ワンツーワークス『男女逆転<マクベス>』

 劇団ワンツーワークス『男女逆転<マクベス>』を見てきた。男女の役をほとんど全部入れ替えるというもので、原作で男性の設定の役は女性に、女性の設定の役は男性になる。つまりマクベスが女性という設定になり、マクベスの配偶者がマクベス夫人ならぬ夫君になり、ダンカン王とかマクダフとかバンクォーとかも全員女性になるという野心的なプロダクションだ。女優が男役を演じるのではなく、設定じたいを女性に変えてしまうという方針である。

 女性たちの衣装が、スコットランドとか北欧とかにありそうな厚手の服装というよりはちょっと映画『ワンダーウーマン』なんかを思わせる地中海風の軍装なのもあり、女たちはアマゾン族みたいだ。さらにダンカン女王(有希九美)がかなり名君らしいたたずまいで、全身から優しさと徳がにじみ出ているみたいなキャラクター造形なので、物語開始時点のスコットランドはまるで高潔なアマゾン族が支配する素晴らしい王国に見える。一方でマクベスの夫(奥村洋治)がリチャード三世ばりの陰謀家として演出されており、それにちょっと神経質なマクベス(関谷美香子)がのせられて…みたいな展開になる。マクベスの夫だけではなく魔法使いたちも男性なので、まるで悪い男のせいで素晴らしいアマゾン共同体が崩壊する話のように見える。これはこれでまあ面白いのだが、この芝居の演出としていいのかな…という気もする。

 

 性別が問題になる台詞はけっこううまく変えていたりして工夫はちゃんとあるのだが、いくつか疑問点はある。女性たちの台詞の女言葉がとくに序盤、ちょっと過剰すぎてあまり女優陣がうまく扱えていないように聞こえるところがいくつかあった。女言葉をもう少し抑えて、台詞回しで女性陣の高潔さとか優しさを示すようにしたほうがもっと効果あると思う。あと、地獄の門番だけは性別が変わらず男のままだったのだが、あれはなぜだろう?別に門番を女性にしてもいいと思うし、そういう演出も見たことあるのだが…

 

 

政治よりも愛が高貴~NTライヴ『アントニーとクレオパトラ』

 NTライヴで『アントニーとクレオパトラ』を見てきた。サイモン・ゴドウィン演出、レイフ・ファインズアントニー役、ソフィ・オコネドーがクレオパトラ役である。

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 セットは現代風で、主にローマがオフィス、エジプトは真ん中にプールのあるリゾートのお屋敷みたいな庭である。衣類も現代的で、とくにビヨンセなどを参考にしたというクレオパトラの衣装は大変豪華だ。『アントニークレオパトラ』は、もともとグローブ座みたいなほぼ場面転換をしない舞台でやることを想定して書かれているため、ローマとエジプトの間でめまぐるしく舞台が移り変わって現代式の舞台ではかなり上演しづらいのだが、このプロダクションでは回転させられるセットをうまく使っている。

 

 全体としてこのプロダクションは、アントニークレオパトラを、オクテーヴィアス(タンジ・カシム)が象徴する折り目正しいローマの新しい政治秩序にうまくなじめない、激しく愛し合う中年のカップルとして描いているように思った。ファインズのアントニーとオコネドーのクレオパトラはぴったり息があっており、このプロダクションはこの比類なき恋人たちの思い込みに満ちた泥沼の恋と、それに伴う2人の心の動きを丁寧に描写している。ファインズのアントニーはとても喜怒哀楽が激しく、アクティアムで敗北を喫した後の落ち込みようはひどいもので、さっきまでと着ているものも顔も同じハンサムなアントニーであるはずなのに、男ぶりがものすごく下がったように見える。クレオパトラはそんなアントニーに相当幻滅しているみたいで、アクティアムの敗北の後でオクテーヴィアスの使者サイディアス(シディアスに近い発音だった?)と交渉するところは、このアントニーの愛に対する不安の現れのせいで心が揺れているように見える。その後アントニーが元気になるとまたクレオパトラの瞳に愛の輝きが戻るように見えるあたり、ずいぶんと気まぐれなカップルだ。

 

 一方でこの『アントニークレオパトラ』における主役の2人は、政治家としては新秩序にあまり対応できていないように見え、このあたりはゴドウィンがRSCでやった時の『ハムレット』に似ていると思った。RSC『ハムレット』は、陰謀渦巻く軍事国家で「男らしい」秩序になじめない、若くてアーティスティックで心優しい王子の物語だった。この『アントニークレオパトラ』もどちらかというとそういう感じで、主演の2人には政治よりも高貴な目的(つまり愛)があるみたいだ。そう言えばゴドウィンが文化村でやった新演出の『ハムレット』にもそういうところがあったような気がするし、こういう「政治風土になじめない高貴なヒーローたち」みたいなキャラクター造形は演出家の作家性なのかもしれない。

 

 このプロダクションでは脇役が大変しっかりしており、占い師、エーロス、オクテーヴィアの役柄がかなり変えてある。占い師(ヒバ・エルチク)は本来アントニーについてローマに行き、エジプトに帰るよう助言するのだが、このプロダクションではこの役目を果たすのがエーロス(フィサヨ・アキナデ)になっており、さらにエジプトへの使者の役までエーロスがつとめることになっていて(その結果えらい苦労をするわけだが)、アントニーとエーロスの近しさが序盤から非常に強調されている。一方でゴスっぽい女占い師は最後、蛇(生きてる!)をクレオパトラのところに持ってくる役で再登場するのだが、これは本来であれば道化師の役柄で、ここはふつうのプロダクションよりはるかにシリアスでかつ神秘的な演出になっている。さらに驚きなのはオクテーヴィア(ハンナ・モリッシュ)だ。最初からかなり感情表現のはっきりしたキャラクターなのだが、最後にクレオパトラに対してオクテーヴィアスの意図を明らかにし、クレオパトラを助けるという原作ではドラベッラが担っている役柄がオクテーヴィアに振られている。夫を奪ったクレオパトラと、おそらくは夫とクレオパトラの間にできた子どもたちのことを思いやり、私怨を忘れてクレオパトラに憐れみをかけるオクテーヴィアの演技は大変良かった。クレオパトラの自殺を助けるのが女占い師とオクテーヴィアになっているという点で、このプロダクションの終盤はかなり女同士の静かな連帯を前面に出した演出になっている。

 

 一方で終盤を悲劇的な女たちのドラマにするため、かなり笑える箇所がカットされている。実は終盤で私が好きな場面は、クレオパトラが財産目録を使ってオクテーヴィアスを引っかけようとする場面と、道化役が蛇を持ってきた時に面白おかしい話をする場面なのだが、この2つの場面は演出しにくいのでカットされがちだ。このプロダクションでもカットされており、まあ全体のトーンの統一を考えると仕方ないのだが、ちょっとさびしい。