政治よりも愛が高貴~NTライヴ『アントニーとクレオパトラ』

 NTライヴで『アントニーとクレオパトラ』を見てきた。サイモン・ゴドウィン演出、レイフ・ファインズアントニー役、ソフィ・オコネドーがクレオパトラ役である。

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 セットは現代風で、主にローマがオフィス、エジプトは真ん中にプールのあるリゾートのお屋敷みたいな庭である。衣類も現代的で、とくにビヨンセなどを参考にしたというクレオパトラの衣装は大変豪華だ。『アントニークレオパトラ』は、もともとグローブ座みたいなほぼ場面転換をしない舞台でやることを想定して書かれているため、ローマとエジプトの間でめまぐるしく舞台が移り変わって現代式の舞台ではかなり上演しづらいのだが、このプロダクションでは回転させられるセットをうまく使っている。

 

 全体としてこのプロダクションは、アントニークレオパトラを、オクテーヴィアス(タンジ・カシム)が象徴する折り目正しいローマの新しい政治秩序にうまくなじめない、激しく愛し合う中年のカップルとして描いているように思った。ファインズのアントニーとオコネドーのクレオパトラはぴったり息があっており、このプロダクションはこの比類なき恋人たちの思い込みに満ちた泥沼の恋と、それに伴う2人の心の動きを丁寧に描写している。ファインズのアントニーはとても喜怒哀楽が激しく、アクティアムで敗北を喫した後の落ち込みようはひどいもので、さっきまでと着ているものも顔も同じハンサムなアントニーであるはずなのに、男ぶりがものすごく下がったように見える。クレオパトラはそんなアントニーに相当幻滅しているみたいで、アクティアムの敗北の後でオクテーヴィアスの使者サイディアス(シディアスに近い発音だった?)と交渉するところは、このアントニーの愛に対する不安の現れのせいで心が揺れているように見える。その後アントニーが元気になるとまたクレオパトラの瞳に愛の輝きが戻るように見えるあたり、ずいぶんと気まぐれなカップルだ。

 

 一方でこの『アントニークレオパトラ』における主役の2人は、政治家としては新秩序にあまり対応できていないように見え、このあたりはゴドウィンがRSCでやった時の『ハムレット』に似ていると思った。RSC『ハムレット』は、陰謀渦巻く軍事国家で「男らしい」秩序になじめない、若くてアーティスティックで心優しい王子の物語だった。この『アントニークレオパトラ』もどちらかというとそういう感じで、主演の2人には政治よりも高貴な目的(つまり愛)があるみたいだ。そう言えばゴドウィンが文化村でやった新演出の『ハムレット』にもそういうところがあったような気がするし、こういう「政治風土になじめない高貴なヒーローたち」みたいなキャラクター造形は演出家の作家性なのかもしれない。

 

 このプロダクションでは脇役が大変しっかりしており、占い師、エーロス、オクテーヴィアの役柄がかなり変えてある。占い師(ヒバ・エルチク)は本来アントニーについてローマに行き、エジプトに帰るよう助言するのだが、このプロダクションではこの役目を果たすのがエーロス(フィサヨ・アキナデ)になっており、さらにエジプトへの使者の役までエーロスがつとめることになっていて(その結果えらい苦労をするわけだが)、アントニーとエーロスの近しさが序盤から非常に強調されている。一方でゴスっぽい女占い師は最後、蛇(生きてる!)をクレオパトラのところに持ってくる役で再登場するのだが、これは本来であれば道化師の役柄で、ここはふつうのプロダクションよりはるかにシリアスでかつ神秘的な演出になっている。さらに驚きなのはオクテーヴィア(ハンナ・モリッシュ)だ。最初からかなり感情表現のはっきりしたキャラクターなのだが、最後にクレオパトラに対してオクテーヴィアスの意図を明らかにし、クレオパトラを助けるという原作ではドラベッラが担っている役柄がオクテーヴィアに振られている。夫を奪ったクレオパトラと、おそらくは夫とクレオパトラの間にできた子どもたちのことを思いやり、私怨を忘れてクレオパトラに憐れみをかけるオクテーヴィアの演技は大変良かった。クレオパトラの自殺を助けるのが女占い師とオクテーヴィアになっているという点で、このプロダクションの終盤はかなり女同士の静かな連帯を前面に出した演出になっている。

 

 一方で終盤を悲劇的な女たちのドラマにするため、かなり笑える箇所がカットされている。実は終盤で私が好きな場面は、クレオパトラが財産目録を使ってオクテーヴィアスを引っかけようとする場面と、道化役が蛇を持ってきた時に面白おかしい話をする場面なのだが、この2つの場面は演出しにくいのでカットされがちだ。このプロダクションでもカットされており、まあ全体のトーンの統一を考えると仕方ないのだが、ちょっとさびしい。