最後に突然…PARCO劇場『ジュリアス・シーザー』(ネタバレ)

 PARCO劇場で森新太郎演出『ジュリアス・シーザー』を見た。オールフィメールの上演である。

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 2時間15分休憩なしで、とくに後半をかなり刈り込んでいる。キャシアス(松本紀保)がお亡くなりになるあたりなどはけっこう飛ばしている。あと、私がわりと好きな、前半でポーシャ(藤野涼子)が議場に出かけたブルータス(吉田羊)を心配するところはしょっちゅうカットされるのだが、ここもやはりカットである。セットは金属の板を打ち付けたみたいな感じで、別に悪くはないのだが、ここ2年間配信舞台ばかり見ている私は「あ、これ、配信の映像で見るとやたらどこもピカピカしててすごく見づらくなるやつだ」と余計なことを思ってしまった(去年、これ系のセットでとくに工夫なく漫然とアーカイヴ用に撮影してしまったため、映像がえらいことになっている配信を観たことがあった)。

 オールフィメールで、男役もトーガだかスカートだか一見したところよくわからないような衣装を着ており、とくに暗殺者たちは全員、赤系の衣類で統一している。ただ、それ以上にあんまりオールフィメールっぽさを意識させるところはなく、全体的には非常に正攻法というか、政治劇と人間ドラマをきちんと見せる演出である。大変シリアスな展開で、面白可笑しいところや皮肉に満ちたところもそんなにない。ブルータスはあんまり真面目すぎて不愉快みたいな感じはなく(そういう役作りになることもけっこうあるが)、比較的当たりが柔らかくて大変高潔で市民に人気のありそうな感じだし、シーザー(シルビア・グラブ)はいかにも押し出しが立派でリーダーに生まれついてるみたいな政治家だ。アントニー松井玲奈)は若くて一見あんまり難しいことを考えてなさそうである一方、実はいろいろ鋭く立ち回ることができる人物である。ただ、前半からするとやっぱりシーザーとブルータスがこのローマでは二大巨頭というか、市民の支持があるカリスマ的な政治家なんだろうなーと思った。アントニーはポッと出の意外な伏兵で、若いポピュリスト政治家が仕掛けたいちかばちかの大芝居により、ブルータスは手を噛まれたわけである。

 そういうわけで終盤まではきちんとしたわりとオーソドックスでわかりやすい演出であるように思って見ていたのだが、最後のほうでちょっとびっくりするようなところがあった。ネタバレになるが、このプロダクションでは全体的にブルータスがけっこうお小姓であるルーシアス(高丸えみり、序盤の占い師も演じている)に優しい。そのぶん、最後にルーシアスに自殺補助をブルータスが強いるところがまるで親による子の虐待みたいに見えて奇妙に残虐である。とくにブルータスがルーシアスの持つ剣に倒れるところでは、舞台正面を向いてルーシアスを我が子のように抱きしめながら絶命しており、ここだけえらくブルータスが母性的だ。それまであんまりオールフィメールっぽさが出ていなかったのに、突然ブルータスが母親になったような印象を与える。これは他のトーンとあまり合っていないような気がした。

 また、気になったのは福田訳を使用しているところだ。福田訳は韻文と散文の台詞の区別がわかりにくくて授業で使いづらいのであんまり教育では使用されていないと思うのだが、このプロダクションは福田訳を使用している。これがかなり台詞が固くて難しく、とくに序盤のまだノってないところでは若干、もたついているような印象を受けた。とくにこのプロダクションではキャシアスがけっこうくだけた態度の人で、真面目で知的なブルータスはともかく、正直、こういうキャシアスならこんなふうにしゃべらないのではという気がした。松岡訳とかにしたほうがよかったのではないだろうか…