工夫もあるが、撮影は改善の余地あり~オレゴン・シェイクスピア・フェスティヴァル『ジュリアス・シーザー』(配信)

 オレゴンシェイクスピア・フェスティヴァルの『ジュリアス・シーザー』を見た。シェイナ・クーパー演出で、2017年に上演されたものである。現代の衣装を用いたプロダクションである。

 プロダクションじたいはいろいろ工夫があり、面白いところがたくさんある。全体的に男たちが騒々しく動き回るプロダクションで、男の世界の暴力や陰謀をエネルギッシュに描こうとしている。半分壊れた倉庫か工事現場みたいなセットが使われ、議場の場面では舞台の真ん中後ろに梱包されたまま放置された大きな彫像みたいなものが鎮座しているのだが、これがなんだかファリックシンボルみたいで目障りで、政治の場の男っぽく騒々しい雰囲気を作ることに貢献していた。序盤、アメリカ先住民の雄叫びを真似たみたいな叫びをローマの民衆がやたらやるところはうるさいだけであんまり趣味が良くないと思ったのだが、終盤はナイフを持った軍人たちが雄叫びを上げながら動くみたいな描写が増えて、だいぶまとまりのある感じになる。

 メインのキャラクターも『ジュリアス・シーザー』にしては騒々しい人たちになっている。ふつうブルータスは哲学的で内省的な感じにすることが多いと思うのだが、このブルータス(ダンフォース・コミンズ)はかなり武闘派というか筋骨隆々でよく動く軍人タイプで、シーザー暗殺について思いを巡らせる場面ではひとりでいろんなことにリアクションしながら表情豊かに動き回っている。アントニー(ジョーダン・バーバー)も、追悼演説の場面ではゆっくり強調するような調子で話したかと思うと突然早口になるなど、台詞回しに特徴がある。

 シーザー追悼の場面にはいろいろな工夫がある。ブルータスは舞台右端の高いところで、アントニーは舞台真ん中の低いところでシーザーの遺体に近づいて演説しており、位置の違いで二人の戦略の差異を描こうとしている。また、追悼演説の場面で無言のキャルパーニアが出てくるのはなかなかない演出で良いと思った。シーザー暗殺からこの演説、さらにシナの血祭りのあたりまでは、アメリカの舞台にしてはかなりの量の血糊が使われている。

 ただ、全体的に撮影があんまりよくない。『ウォール・ストリート・ジャーナル』のレビューとかでも言われているが、カメラ一台で撮っており、クロースアップを使うタイミングに難があって、舞台の雰囲気がわかりづらいところがある。とくに演説の場面では全然クロースアップを使っていないため、ブルータスやアントニー、キャルパーニアらの表情がよくわからない。ライヴで見たらもっと面白いのではないかと思うが、撮影にはかなり改善の余地がある。