複雑な子ども時代を複雑なままに~『トムボーイ』

 『燃ゆる女の肖像』を撮ったセリーヌ・シアマ監督の『トムボーイ』を見た。2011年に作られたということで、ちょっと前の映画の商業公開である。

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 夏休み中に妊娠中の母、父、小さな妹と一緒に郊外の集合住宅に引っ越してきたロール(ゾエ・エラン)の物語である。ロールは家族からは女の子として扱われているのだが、引っ越し先ではミカエルと名乗り、男の子として地元の子どもたちのコミュニティに入り、妹ジャンヌ(マローン・レヴァナ)にもお兄ちゃんだということにしてもらう。集合住宅で一番、人気のある女の子であるリザ(ジャンヌ・ディソン)と親しくなり、ガールフレンドもできたミカエルだが、やがて自宅では女の子だということがみんなにバレてしまう。

 ロール/ミカエルのアイデンティティがけっこうミステリアスかつ複雑で、それをそのまんま提示しているというのがこの映画の面白いところだと思う。トランスジェンダーの男の子なのかもしれないし、ノンバイナリの子なのかもしれないし、大きくなったらブッチなレズビアンになる子なのかもしれないし、そのどれでもないのかもしれない。そのあたりは全くわからないし、子どもなので本人もあんまり自覚していないのかもしれないが、とにかくジェンダー規範にあてはまらない子で、そういう子どもをあまり型にはめないように、複雑なものをそのまま単純化せずに描いている。もちろんこれは極めてクィアな映画であり、クィアアイデンティティがテーマの作品なのだが、複雑でとっちらかった子ども時代をそのまま複雑かつ丁寧に描いているという点では、子どもの心理一般を描いた映画としてとてもよくできている気がする。

 子役たちの演技が大変上手で、とくに主役のエランはびっくりするほどはまっている。終盤でロール/ミカエルが母親によって女の子としての型にはめられるところはとても可哀想で、主人公の惨めな気持ちがありありと感じられる。郊外のかなり緑があるところで子どもたちが遊ぶ様子を生き生きと撮っており、森や湖など、地理的な境界になる場所をロール/ミカエルのアイデンティティと重ねてうまく使っているところも良い。小さな子どもたちが恋バナをしたり、小さくてもカップルになっているあたりがフランス映画っぽいと思った(ちょっとステレオタイプなフランス観かもしれないが、フランス映画って小さい子でもしっかり恋愛をするのだということを当たり前のこととしてきちんと描く傾向があり、そこは良いところだと思う)。

新刊の試し読み公開・増刷・アトロク出演時の音声公開

 新刊『批評の教室―チョウのように読み、ハチのように書く』が増刷されました。また、新刊の試し読みが朝日のじんぶん堂で公開されました(公開箇所はちくまサイトでの公開箇所と同じです)。

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 また、アトロク出演時の音声も公開されました。

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ブリットポップの束の間の夢~『オアシス:ネブワース1996』

 『オアシス:ネブワース1996』を見てきた。

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 1996年にオアシスがネブワースで行った2日間のライヴを撮影したものである。チケットを入手しようとしたファンたちの頑張りから始まり、当時どれだけオアシスが人気があったかのかがわかる構成になっている。けっこうファンにきちんと取材して当時の様子を話してもらっているところが面白く、これがイギリスの若者にとっては国民的イベントだったんだなということが見てとれる。

 オアシスのパフォーマンスも良いし、90年代半ばのまだ夢があった(もちろんBrexitなんかしていなかった)時代のイギリスのブリットポップの熱気が伝わってくるコンサート映画だ。若い頃のリアムのステージ上のカリスマがとにかく凄い。ただ、ジョン・レノンっぽいメガネっ子リアムと、もうちょっといたずらっぽくエネルギッシュなリアムの両面を見せようとして、最後の「アイ・アム・ザ・ウォルラス」で明らかに2日分のつながっていない映像を無理につなげて編集しているのはちょっと不自然だと思った。

 なお、映画の中では私がいつもすごく気になっている「オアシスの歌詞がへんちくりんすぎる問題」もとりあげられている。何しろノエル自身が認めているくらいで、オアシスの歌詞の中にはとにかく意味不明なものがある。こんなに長年歌い続けられる曲になるならもっと歌詞とかをきちんと完成させればよかったというような話が出てくるのだが、これは本音だろうなと思った。

あの池、要るかな…?吉祥寺シアターで『夏の夜の夢』

 吉祥寺シアターで『夏の夜の夢』を見てきた。鈴木勝秀演出で、演劇集団円に拠るものである。

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 二層になっていて、上にはしごなどで作った大きな木を模したようなオブジェがあるセットである。両脇には階段があり、上層階に上がれるようになっている。左前方に水たまりというか池のようなものがある。

 初日だったのでけっこうセリフが固いところがあり、とくに序盤はわりと話し方のテンポが一定しないというか、もたついたり、必要以上に早口になったりしていたところがあったように思う。とくに若い恋人たちは最初のほう、ちょっと台詞回しのリズム感があまり安定していなかった。終盤にかけて乗ってきたのか、良くなっていったと思う。

 終盤の職人劇団のお芝居は大変面白おかしく、手堅くまとめていた。全員白い衣装を着て、生演奏というか劇団メンバーがお囃子みたいに太鼓などを使っていろいろな音を出してアマチュア芝居を盛り上げるというもので、なかなか気合いが入っている。そんなに気合いが入っているのに大変な大根芝居だというのが悲しいところなのだが、頑張っているところにシーシアス(大窪晶)もヒポリタ(清水透湖)も優しい心を動かされている様子がよくわかるようになっていたと思う。ただ、恋人たちが芝居にツッコミを入れる台詞がほぼカットされており、これは笑えるとこを減らしているのでは…と思った。とくに月の口上に対するツッコミをばっさりカットしていたのだが、それなら月の台詞(ツッコミに答える形の台詞がある)も短くしたほうがいいのでは…という気がした。

 ちょっと疑問に思ったのが左前方の小さい池である。一応、象徴的な感じで使われているところもあるのだが、それ以外のところでは全然生きていない…というか、役者が動き回る時にまたがないといけないので、大半の部分では邪魔になっているだけのように見える。もっとしょっちゅう使うか、なくすか、どちらかにしたほうがすっきりするのではないかと思った。

秋の幽霊譚~『十月大歌舞伎第1部 天竺徳兵衛新噺小平次外伝/俄獅子』

 『十月大歌舞伎第1部 天竺徳兵衛新噺小平次外伝/俄獅子』を見てきた。新しくなってから歌舞伎座に歌舞伎に行くのは初めてではないかと思うので、ずいぶん久しぶりだということになる。

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 『天竺徳兵衛新噺小平次外伝』は幽霊譚である。旅に出ている間に主人公である小平次猿之助)の女房おとわ(猿之助の二役)が多九郎(巳之助)とデキてしまい、2人ではかって帰宅中の小平次を殺害するが、小平次が幽霊になって出てきて露見してしまうという話である。幽霊が出てくるところがなかなか大がかりで見栄えがする。また、小平次の妹であるおまき(米吉)が可愛らしく、かつけっこうコミカルなところも楽しめた。

 『俄獅子』は吉原が舞台の踊りで、最後は獅子も出てくる。後ろに桜?のような花があるのだが、設定では8月の夏の踊りだそうで、花とか傘とかいろいろな小道具が出てくる。なかなか華やかな演目だった。

面白かったが、映画の枠は一切、要らない~『チェネレントラ』

 新国立劇場で『チェネレントラ』を見てきた。ロッシーニのオペラで、内容は『シンデレラ』である。配信でずいぶん何回も見たがライヴでは初めて見た。演出は粟國淳、指揮は城谷正博である。

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 歌は良く、とくにヒロインのアンジェリーナ(脇園彩)がとても生き生きとしていて良かった。『チェネレントラ』はディズニーのシンデレラなどとは違っていて、ヒロインははっきりした性格だし、おとぎ話であるわりには大人のロマコメといった雰囲気もあると思うのだが、それに合ったヒロインのキャラクターになっている。他のキャラクターも要所要所で歌と笑いで盛り上げてくれて、全体的には面白かった。

 ただ、演出で映画を撮っているという枠があるのは一切、要らなかったと思う。序曲のところで、映画王が残した遺言のせいで息子が結婚しなければならないとか、監督が新人女優を発掘しなければならないとかいう設定が出てきて、そこから『シンデレラ』の新作映画を撮るというていで話が進むのだが、映画を撮っているという設定のはずなのに(驚愕のワンテイク撮影で、ずいぶん前衛的な現場だ)、その撮っている映画の中で映画王の息子が結婚を…とかいう話がまた出てくる。たぶんフェデリコ・フェリーニの『8 1/2』とかを下敷きにしているのだと思うので、虚実とりまぜて…というふうにしたかったのだろうが、単に枠の外と中がごっちゃになっているようにしか見えなくて、あまり設定として効いていない(無理に『NINE』の真似事をしなくてもいいのにと思った)。そもそもこの映画王の息子だという設定自体、要らないと思う…というか、もとのままならおとぎ話だからと言うことで納得できるものが、20世紀の映画制作をかぶせると「これも全部、所詮フィクション、撮影ですよ」みたいな感じになってむしろ虚しくなってしまうのではないかと思った。