違いがわかることの重要性〜『天使の分け前』(少しネタバレあり)

 閉館してしまう銀座テアトルシネマでケン・ローチの最新作『天使の分け前』を見てきた。

 舞台はスコットランドでも幸せ度が低い街として有名なグラスゴー(『NEDS』の舞台)。暴力犯罪で猛烈な前科がある若者ロビーがガールフレンドとの間に子供をつくり、父親として真面目になろうとするが、昔からの悪評のせいでなかなかうまくいかない。しかし社会奉仕サービスのボスであるハリーにウイスキーのことを教えてもらい、テイスティングの才能が開花。真面目に生きたいのに過去のしがらみのせいでなかなか安全な暮らしを手に入れられないロビーは、この才能を生かして仲間と組んで一発逆転のための大勝負に出る…という話。

 とりあえず、ケン・ローチとは思えないほど明るい話なので全くびっくりする。ケン・ローチじゃなくても90年代より前のUK映画なら、ロビーが幸せになりそうになったところで敵対するヤクザに襲われて死亡という悲劇だろうと思うのだが、この映画はそうはならないわけである。登場人物も、ロビーはまあダメ男だが脇で支えるガールフレンドのレオニやボスのハリーはほんとむちゃくちゃしっかりしていい人たちで、全体的に良き人々のつながりに対する楽観的な展望がある映画である。

 この映画のテーマの一つとしてあげられるのが、「一見同じに見えるものの微細な違い」だろうと思う。ロビーは味もわからないような大量生産の安酒ばかり飲んでいたが、スコットランドの歴史と文化を凝縮させた酒であるウイスキーを学ぶことで何も希望がない生活から抜け出せるようになる。酒を飲まない人間からするとそこらの安ビールも名物ウイスキーも同じ酒にすぎないが、この二つの間には実はものすごい違いがあって、いっしょくたに「酒」として扱えるものでは全くない。またまた同じウイスキーでも味や香りはひとつひとつ全然違って、ロビーはその違いがわかるようになることでまともな人生へ一歩を踏み出す。

 もうひとつこの映画でとりあげられている「違い」の顕著なものが、犯罪における「違い」である。私はこの映画は「貧乏人は暴力をやめて金持ちから盗もう」ということを訴えている…と思うしそういうところが好きなのだが、その文脈の中でいっしょくたに「犯罪」と言われるものの中にもいろいろ違いがあることが示されていると思う。主人公のウイスキーを始める前のロビーは麻薬とケンカにあけくれ、街ですれ違っただけのミドルクラスの若者をボコボコにして投獄され出所したばかりというどうしようもない前科を持っている。ケン・ローチはこれについてはかなり容赦なく書いており、ロビーが被害者と会って責められる場面とかは明らかに「他人に暴力をふるうのは良くないし許されない」という倫理観が示されていると思う。ところがその後、ロビーが真面目になるために一発逆転を狙って行う金持ち相手のとある犯罪についてはたぶんこの映画は全く倫理的に糾弾していない、というかむしろ「金があるところからとってきて何が悪いんだよ誰もケガしてねーし」的な開き直りを感じる。この映画においては他人の健康や尊厳を傷つける暴力と財物に対する侵害が厳密に分けられており(財物に対する侵害といっても貧乏なとこからじゃなく金のあるところから盗んでくるわけだが)、後者はロビーが真面目になるための「必要悪」ではなくむしろ「通過儀礼」みたいに必然的なものとして描かれていると思う。貧しい者が独り立ちする場合、支援がないんなら金のあるところから盗んでくるのが当然だという話になるのである。グラスゴーの貧しい若者にとって、真面目になるというのは他人を傷つけ自分にも全くいいことがない暴力をやめて、頭を使って金持ちから盗むことだ。人を暴力をふるうのも金持ちから財物をくすねるのも同じ犯罪かもしれないが、このふたつには倫理という点において安ビールとスコットランドウイスキーくらいの違いがある。

 で、これは私の駄弁なのだが、全体としてはこの映画はかなり『トレインスポッティング』に影響を受けているとう…のだが、『トレインスポッティング』とか『ビリー・エリオット』みたいな映画をかつてのUK映画と比べてネオリベラリズム的だと論じるんならこの『天使の分け前』もケン・ローチネオリベラリズム映画と言えると思うんである。いや、別に私は『トレインスポッティング』や『ビリー・エリオット』がネオリベラリズム的な映画だとは思ってないのだが、このへんにネオリベラリズムの影響を見る人もけっこういるらしい。しかしもしそうなら主人公が金持ちから盗んで自分で自立への道を探る『天使の分け前』もネオリベラリズム映画で、左翼映画の超ベテランであるケン・ローチがとうとうネオリベ映画を作りましたよ!っていうことでまあ、いいんじゃないですかね、はい。

 ↑というように上で黒い嫌味を言ってしまったが、この映画のもう一つの論点としてケン・ローチとUK各地の地域ナショナリズムっていう問題があるかもしれないと思う。『麦の穂をゆらす風』ではローチはアイルランドナショナリズムを描いたわけだが、『天使の分け前』はそこまで明確ではないにせよ、主人公とその仲間たちがウイスキーに代表されるスコットランドの伝統というものとのつながりを得ること、そしてその伝統とかなりふざけてはいるがある意味では真摯でもある関係を築くことでまともな人生を歩み始めるっていうことで、現在UKを騒がせているスコットランドの独立志向を意識した作品ではあると思う。上であげた『トレインスポッティング』や『ビリー・エリオット』もそうだが、このへんのUK映画ってネオリベラリズムだけじゃなく地域主義との関係が入ってくるところが一筋縄ではいかないよな…