昨日に引き続き、田舎と都会読書会の強化企画として本日は三浦玲一編『文学研究のマニフェスト:ポスト理論・歴史主義の英米文学批評入門』(研究社、2012)をご紹介。
研究社
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全体としては、大学教育の場であまり「文学」が求められなくなっている現状にどうやって対処するか、という問題意識に基づいて作られた論集で、この点については非常に共感するところがある。
とりあえず今回の読書会企画に一番役に立ちそうなのはやはり『〈田舎と都会〉の系譜学: 20世紀イギリスと「文化」の地図』の著者である河野真太郎の論考「文化とその不満:教養小説の終わりと『怒れる若者たち』」で、最近「文学」というものが大学カリキュラムなんかで「文化」に含まれなくなっているという議論は面白いし、私が単著のほうでよくわからなかったソーカル事件の話が「文化左翼」と「社会左翼」の対立の話にわりと見通しよく議論されている。
反対に何がなんだか…だったのは第三章とかで、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に関する論考で、サリンジャーの話をしてたと思ったらいきなり『ダイ・ハード』シリーズやローランド・エメリッヒの映画、『ディープ・インパクト』や『タイタニック』は「社会的次元を捨象して、主人公は家族や恋人のためだけに奮闘することがはっきりとした特徴であり、その特徴はネオリベラリズム的である」(p. 81)とかいう話になるのだが、いい加減人間が努力して成功する映画を見たら全部ネオリベだっていうのはやめないか…以前『ビリー・エリオット』がネオリベ的だとかいう批評を読んで本気で怒ったことがあるのだが、私エメリッヒはほとんど見ないのでわからんけど『タイタニック』が「社会的次元を捨象した」映画だとは全く思わんぞ…あれはかなり階級と民族を前面に押し出した歴史叙述やってたと思うんだけど。でももうこの期に及んでは『ロミオとジュリエット』がネオリベだとか言い出す人がいても私ひとっつも驚かないぞ。あと最終章の精神分析の話は正直いって私は勘弁。