一昨日の「フェミニストとしてすすめる、フェミニズムに関心を持つための本5冊(1)物語・ノンフィクション編」と「フェミニストとしてすすめる、フェミニズムに関心を持つための本5冊(2)理論・学術・専門書編」に続いて、最後に「フェミニスト批評編」をやろうと思う。フェミニズムの文学批評は(というかよくできた批評の研究書というのはたいていそうだが)、普通に読んでいるとわからないような話の深い層を解き明かしてくれるものなので、別にフェミニズムにそんなに興味がない人であっても、本を読んだり演劇を見る時によりおもしろく考える助けになるのでとてもオススメだ。ただ、今回は文学・演劇以外の批評、つまり映画、美術、テレビなどを対象にしたものや、クィア批評に該当するものは便宜的に入れないことにした(こういうものはたぶんそれだけで5冊別に選んだほうがいい)。あと、日本語訳がないものとアンソロジーは除外したので、ブラックフェミニスト批評などが入らなくなってしまったのがとても残念だ。
・ヴァージニア・ウルフ『自分だけの部屋』川本静子訳、みすず書房、2013。
古典を読みたいという人向け。80年以上前に書かれた古典的著作である。フェミニスト批評のみならずフェミニズムの古典とされている著作である。女性がものを書くためには収入と自分だけの部屋が必要だ、というかなりミドルクラス中心的な話からはじまるのでちょっと受け入れにくいという人もいるかもしれないが、おそらくフェミニズムの古典の中ではこれは最も軽妙で機知に富んだ読みやすいもののひとつだと思う。ウルフはふだんはかなり難解で洗練された小説を書く大作家なのだが、このエッセイは小説にも見受けられる反逆の精神はそのままでずっとリラックスして一般向けに書いているので、ウルフ入門としてもいいかもしれない。
・エレイン・ショーウォーター『女性自身の文学―ブロンテからレッシングまで』川本静子他訳、みすず書房、1993。
歴史に興味がある人向け。英国の女性小説家に焦点をあてたフェミニスト批評である。女性が男性のペンネームを使って著作を出していた時代から、先人の業績のおかげもあって女性として小説を出せるようになった時代まで、様々な切り口で女性の書き手たちの業績を再評価し、女性小説家の歴史を書いて見せる。タイトルは上にあげたウルフの著作にひっかけたものだ。
・キャスリーン・グレゴリー・クライン『女探偵大研究』青木由紀子訳、晶文社、1994。
ミステリに興味がある人向け。フェミニスト批評ではSFとかミステリ、ファンタジーといったジャンル小説の研究もかなり盛んで、この研究書はミステリに出てくるプロの女性探偵のみに焦点をあてたフェミニスト批評である。誰でも知ってるような有名探偵から、誰も知らないようなマイナー作品まで、ミステリの発展の歴史をふまえながら分析をしていく様子はとても面白い。
・ジョアナ・ラス『テクスチュアル・ハラスメント』小谷真理訳、インスクリプト、2001。
これ、原題はHow to Suppress Women's Writingということで、ハウツー本みたいなタイトルになっている。内容はいかに文学史において男性の権威を用いて女性の書き物を矮小化、簒奪してきたかということの歴史的検証である。軽い語り口で読みやすい本だが、内容は女性作家に対するかなり悪質な批判から、もっと微妙でちょっと考えないと気付かないかもしれないものまで、いろいろ含まれている。現在でもこの手の女性作家に対する嫌がらせはしばしば行われており、この本の訳者の小谷真理はその問題の直接の被害者である。*1
・サンドラ・ギルバート、スーザン・グーバー『屋根裏の狂女―ブロンテと共に』山田晴子、薗田美和子訳、朝日出版社、1986。
これもフェミニズム批評の金字塔と言われているものだが、その理由のひとつとして、フェミニズムの文学研究の中から出てきた極めて独創性のある業績だという点がある。いろいろな批評史の本などで言われているが、文学の批評理論というのはフェミニスト批評も含めて他の分野、例えば精神分析とかフーコーとかデリダとかから理論を天下りみたいに持ってくることで成立しているというものも結構ある。しかしながらこの著作はそういう外部の理論にあまり頼らず、文学研究生え抜きの読解技術とフェミニズムそのものの問題意識が切り結ぶところからそのまんま出てきたもので、非常にオリジナリティがある。ここで示されている精密な読解を参考にすれば、ブロンテが3倍は面白くなること請け合いだ。
さて、これでシリーズ終了なわけですが、私がリストを作るとどうしても文学・歴史に偏るので、哲学系とか社会系とかでもフェミニストで本が好きな人は是非選書リストとか作ってほしいです。あと、もし希望があれば映画とか「女性史」とか「もっとたくさん小説をリストしろ」とかも可能な限り受け付けます。
*1:ちなみに、このエントリを作るきっかけとなったこちらのまとめで、フェミニズムの本をすすめるとかいう話なのに「その前にこれを読まないとわからない」的な調子で(おそらくフェミニズムに対してたいして興味もコミットメントもない人が)ロールズやセンをすすめてくるというあたり、私は『テクスチュアル・ハラスメント』の中でしばしば分析されている、男性の影響によって女性の業績を過小評価すること(「彼女は書いたが、男性に助けてもらった」)に通じる発想があると思う。「フェミニズムをやるためにはあれもこれも全部やれ」というのは、まあこのへんとかにもあるように、フェミニズムが何か他の思想(多くの場合、男性中心的な側面をフェミニズムに批判されているような思想)の派生物であるかのように扱う軽視や男性的と考えられる権威へのすり寄りの表れであったり、あるいはフェミニズムだけに対してやたらに過剰な知識を求めるいわゆる「マウンティング」であったりするのだが、まあフェミニズム以外の分野で(すごく学際的な議論をやってる場ならともかく、とくに初学者に対して)こんな要求がどの程度行われているかを考えるとその動機は実に怪しいものだ。昔はマルクスだったと思うのだが、最近はロールズなんだろうか。しかしマルクスやロールズやセンは大変重要だと思うし、必要があれば読んだほうがいいと思うが、別にそれを読まないとフェミニズムについて学べないようなものではないだろう。