献本で頂いた日本英文学会(関東支部)編『教室の英文学』(研究社、2017)を読んだ。
しかしながらこの本を読んでいて思ったのは、志が高い本であるぶん、かえってこの本は英文学教育が立たされている窮地を示してしまっているのではということである。全体的に、教員が1人で手間のかかることを全部やってなんとかしているという印象の授業が多い。この本には多数の論考が入っているのだが、メディアを使った教育事例が思ったより非常に少ない。映画を使うとかLL教室を使うというのはいくつかあるのだが、フリーソフトを使うとかウェブで成果を刊行するみたいな、教員以外のスタッフの協力が必要で手のかかるものがあまり無い。さらに教室外での実習(アーカイブ調査、劇場や美術館での見学など)を伴うような授業事例もあまり紹介されていない。先日、カナダで出席したストラトフォードのシェイクスピア学会では、フリーのメディアプラットフォームを使って学生に調査結果を刊行させたり、演劇アーカイブから専門的な支援を受けて資料調査を行うような英文学の授業事例が紹介されていたのだが、この『教室の英文学』は、言ってみれば「教室」の英文学で、こういう教室外での実習がほとんどとりあげられていない。これはおそらく日本の教育が英文学に限らず圧倒的なリソース不足で、IT技術やアーカイブなどからの支援がほぼ全く受けられていないことに起因すると思う(カナダの事例紹介で、私のウィキペディアのクラスとけっこう似たようなことをしているのに、ゼミの人数は15人以下で司書とアーカイブからの重点的な支援が受けられ、それでもあちらの感覚ではリソース不足というのには全くため息をついてしまった)。この本に書いているほとんどの先生は自力で全部の授業をする他ないので、新しい技術を取り入れたり、外部支援の必要な手間のかかる実習を行うようなことはできなくて工夫でなんとかしているのではという印象だ。また、日本の学生が最近、異常に忙しくなっていて、実習的な科目で多くを要求できないことにも関わりがありそうだ。そういうわけで、つまらない本ではないのだがなんか読んでいてリソースの不足を実感させられ、暗い気持ちになってしまった。