とにかく好みでなくてつまらない~新国立劇場『オレステイア』(ネタバレ)

 新国立劇場でロバート・アイク版『オレステイア』を見てきた。とにかくつまらなくて、何から何まで趣味でない芝居だった。同じタイムラインを扱った大作劇としては、いろいろ問題もあったにせよ、『エレクトラ』のほうがだいぶマシだったと思う。こういうのが好きだという人がいるのはわかるが、私はできるだけこういうものは見たくない。

 

 お話は『オレステイア』三部作だが、アイスキュロスの芝居が始まるだいぶ以前、イピゲネイアの死の前から話が始まる。それ以降のあらすじはだいたい同じで、ギリシア軍の総大将アガメムノンが娘のイピゲネイアを生贄としたことに怒った妻クリュタイメストラが復讐のためアガメムノンを殺し、それに対して今度は父を殺された娘エレクトラと息子オレステースが復讐として母を殺すが、オレステースは結局神から赦してもらえる、という内容である。衣装などは完全に現代風で、セットはロバート・アイクっぽくスクリーンをふんだんに使ったものになっている。

 

 まず、おそらくロバート・アイクの台本が原因で気に入らなかったと思われるところをあげようと思う。ネタバレになるが、この作品ではエレクトラはオレステースの妄想であり、実在していない。私はアイク版『ハムレット』の時でもアンドルー・スコット演じるハムレットの妄想みたいな場面があったことについて非常に批判的なのだが、アイクはやたらと「これってパラノイアだよ!」みたいな演出が好きで、それが鼻につくところがあると思う(まあ、そうじゃないと『1984』みたいなものは作れないのだが)。しかし、強烈な母親クリュタイメストラを見て育ったオレステースが、自分の暴力性を外注するために別人格として姉エレクトラを作っていた…というのは、あまりにも精神分析チックでちょっとうんざりする。全体的にこの『オレステイア』はずいぶん精神分析じみた芝居である。 

 次に、おそらくアイクのせい…と思われるが、翻訳(平川大作)や演出(上村聡史)のせいもあるかもしれないところをあげようと思う。クリュタイメストラが夫を殺した後、やたら性的な台詞を言いながらセックスみたいな身ぶりをするところにちょっとミソジニーを感じた。クリュタイメストラが夫を殺すのは復讐なのだから、性的興奮と結びつけるのはおかしい。ただ、これは演出がやたら性的要素を強調していることや、翻訳の台詞について流れがイマイチ良くないことが問題なのかもしれないので、全部アイクの台本のせいかはわからない(翻訳は全体的にちょっとこなれてない感じがするところもあった)。

 また、最後の裁判の場面について、これは翻訳か演出のせいなのかな…と思うところがあった。アイスキュロスの『オレステイア』三部作の最終作『慈しみの女神たち』は、女の命よりも男の命のほうが価値があるからオレステースが赦してもらえるという、とんでもない家父長制プロパガンダで終わるので、たぶん今ふつうに上演すると鼻持ちならない芝居に見える(しかも女神アテナがものすごい性差別発言をするところがあり、男性のクリエイターが女神にこれを言わせているのかと思うとはっきり言って気持ち悪い)。改作とか翻案するのならばここをなんとかしないといけないのだが、レビューなどによると、どうももとの演出では最後に社会が家父長制的であるからオレステースが赦されるのだ、ということがよくわかるようになっていたらしい。しかしながらこの上演では翻訳のせいなのか演出のせいなのか、最後のキメの台詞がさらっと流れていてそれがいまいちはっきりしないのである。最後の裁判長の台詞や演技をもっと露骨にしたほうが良かったのじゃないだろうか。

 あと、これは演出だろうと思うのだが、全体的に舞台が大陸ヨーロッパのおしゃれっぽい芝居のバッタもんみたいに見えるのが良くない。セットを血まみれにするような上演は大陸ヨーロッパではけっこうあるが、私の記憶ではもっとうまくやってるなと思うようなものがたくさんあった。なんかちょっと気取って見える。

 なお、演技についてはとくに文句はない。横田栄司アガメムノンアイギストス二役はすごかったし、神野三鈴のクリュタイメストラはド迫力だし、ずいぶん影の薄いオレステースだと思ったらそれは抑えていたみたいで最後はちゃんと見せてくれた生田斗真も良かった。