『生活考察』Vol.7に寄稿しています

 『生活考察』Vol.7に寄稿しています。「あの服が着てみたいけど… 素敵なドレスの誘惑と抑圧」(pp. 78-81)というタイトルで、「私はゼンデイヤみたいな服が着たいが絶対無理、でもそれ抑圧の内面化だよね」って話を書いてます。

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これ、クイーン要らないよね~『Q:A Night At The Kabuki』

 『Q:A Night At The Kabuki』を見てきた。野田秀樹の新作でクイーンの楽曲を全面的に使用、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の翻案でオールスターキャストということで凄い話題作である。過剰な転売対策が行われていて(客にも劇場にもえらいコストだ)、入場するのすら一苦労だ。

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 前半部分はかなり『ロミオとジュリエット』なのだが、設定は源平合戦で、源氏のお姫様である愁里愛(じゅりえ)と平家の御曹司である瑯壬生(ろうみお)の悲恋を描くものである…のだが、若い愁里愛を広瀬すず、のちの愁里愛を松たか子、若い瑯壬生を志尊淳、のちの瑯壬生を上川隆也が演じていて、つまりロミオとジュリエットが2人ずついることになる。この2組が時空を超えて交錯しながら話が進むわけだが、後半は実はロミオとジュリエットが生きていたというような設定で、戦争とかシベリア抑留(すべり野)の物語になる。

 

 話じたいはかなり考えられたもので、破局を振り返り、なんとか止めたいと思いつつも結局は悲しい運命に抗えないという悲劇的な物語でありつつ、愛の強さについての物語でもある。戦争による破壊を愛を切り裂くものとして描き、日本の歴史を織り込んで表現しているという点では政治的でもある。ただ、前半は正直シェイクスピアのダイジェストみたいに見えるところもあり(法皇周りのくだりはちょっとぐだぐだしているような)、ダイナミックなのはむしろ後半のオリジナルの部分だと思った。

 しかしながら、シェイクスピア研究者クイーンファンである私の感想としては、この芝居、クイーンは要らないと思う。一応、アルバム『オペラ座の夜』からインスピレーションを得て…ということになっているのだが、たぶん一曲もクイーンをかけなくても成立すると思われるし、効果的に使われていたと言えるのは「ラヴ・オヴ・マイ・ライフ」(これはちゃんと使ってた)と「ボヘミアン・ラプソディ」くらいで、他の曲はあまり歌詞がシチュエーションにあっていないものも多かった。それで、クイーンのけっこう濃い歌詞と濃い役者陣(主役の4人はもちろん、竹中直人とか橋本さとしとか河内大和とかみんな濃い)が演じる場面の内容があんまりあってないため、豪華同士で食い合わせが悪くて、情報が処理できない。まるでウニいくら丼とチョコレートパフェを一緒に食べさせられているような変な感じがする。

 

 役者陣は濃いだけあって皆けっこう良かった。松たか子が最後に手紙を読むところは非常に切なく、さすがだと思った。広瀬すずは、台詞回しは改善の余地がある気がするが、表情とか身振りは非常に人を惹きつけるものがあった。ただ、広瀬すずについてはちょっと見ていて不安に思うところがあった。藤原竜也が初めて『ハムレット』をやった時、傷つきやすく感情表現が豊かでオーラのある主役の身体に引っ張られすぎて、巧妙な台詞回しとか明晰な場面解釈とかがおろそかになりがちだというような批評があったと思うのだが、広瀬すずにもそういう気配がある気がする。たぶん、この舞台を見て広瀬すずを使いたいという演出家もいたかもと思うのだが、今回みたいにみんな濃い芝居ならいいものの、あのオーラだけに引きずられた演目が続くといろいろ良くないことになる気がする。

とてもよくできた映画だが、気になるところが~『リンドグレーン』(ネタバレあり)

 試写会で『リンドグレーン』を見てきた。言わずと知れたスウェーデンの有名作家、アストリッド・リンドグレーンリンドグレーンになる前の時期、つまり作家業を始める前にシングルマザーとして暮らしていた時代を描いた伝記映画である。

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 20世紀初頭、スモーランドの田舎の農場で育ったアストリッド(アルバ・アウグスト)は保守的な習慣に飽き飽きしており、地元の新聞社で働き始める。記者として才能を示すようになる一方、妻子持ちで離婚寸前のブロムベルイ(ヘンリク・ラファエルセン)と恋に落ちる。しかしアストリッドは妊娠してしまう。とりあえずブロムベルイの離婚が成立するまで、息子をコペンハーゲンの里親に預けて働くことにするが…

 

 偏見の根強い時代にシングルマザーとして息子を育てたアストリッドの努力をリアルに描いた作品である。自分の気持ちに忠実になり、子供の父親と結局結婚しないと決めるあたりの勇気はすごいし、また引き取った息子となかなかうまくいかなくて、愛情だけで子育てができるものではないというシビアな状況を描いているところも良い。全体としてはとてもよくできた映画である。

 

 ただ、二箇所くらいかなり気になったところがあった。この映画はリンドグレーンが作家になる前を描いた作品なのだが、そのせいでなんだかテレビシリーズの最初の3分の1くらいを見たような感じのところで終わってしまう(アストリッドの勤め先の「リンドグレーン」さんが登場してちょっと仲良くなったくらいのところで終わる)。スウェーデンでは誰もが知っている有名人なのでこれでいいのだろうが、この後アストリッドが結婚して作家になって…というさらなる波乱があるのにそこは描かれないし、また文筆家としての苦労は全然出てこない。そして、ここで終わるのに二時間を超える尺で、いくつか「これは不要では?」と思うような場面があった。丁寧なのはいいが、ちょっと冗長さを感じる。

 

 さらに私がひっかかったのは、マリー(トリーネ・ディアホム)の描き方だ。コペンハーゲンに住むマリーはアストリッドの息子ラーシュを預かって育てているのだが、このマリーはすごく良い人でとても興味深いキャラなのに、全然背景がわからない…というか、どういう経緯でスウェーデン人の未婚の母を助ける活動をしているのかとか、いったいお金はどうしているのかとか、こんだけ尺があるのにそのへんがほとんど掘り下げられていないのである。なんだか虚空からパッと出てきてアストリッドを助けてくれたのに、突然病気になって退場してしまう、展開上都合のいい妖精の代母みたいに見える。女性同士の絆とか、20世紀初頭の女性の社会活動とかを描くにあたってとても良いキャラになり得たはずなのに、この薄さがけっこう不満だった。

 

ナイロビのジュリエットとジュリエット~『ラフィキ:ふたりの夢』(ネタバレあり)

 『ラフィキ:ふたりの夢』を見てきた。ケニアの映画で、監督はナイロビ出身の女性監督ワヌリ・カヒウである。

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 ヒロインのケナ(サマンサ・ムガシア)はナイロビに住む若者で、看護師を目指している。両親は離婚しており、別居している父親は選挙に立候補中だ。ケナは父の対立候補の娘であるお洒落なジキ(シェイラ・ムニヴァ)に出会い、だんだん親しくなっていく。しかしながら対立候補の娘同士、しかもケニアでは同性愛が違法ということで、愛し合う2人の前途は暗く…

 

 政治がらみで対立している一家の子供同士が恋に落ち、悲惨な運命によって引き裂かれるという、まるで『ロミオとジュリエット』みたいなティーンの恋愛ものである。ものすごく古典的な設定だが、ナイロビの若者文化を背景に現代的かつ生き生きと2人の恋が描かれている。ケナもジキもちゃんと奥行きのある登場人物で、とくにケナには両親の離婚や将来への野心など、いろいろな問題があり、あまり心が安まる暇が無い様子がリアルに描かれている。一方でジキはめちゃくちゃオシャレで、カラフルな髪型といいポップな洋服といい、とにかくセンスが良くて可愛く、ケナが心惹かれるのもよくわかる(ベクデル・テストはもちろんパスする)。途中で2人がひどい差別を受けて別れさせられるところは相当ショッキングだが、おおもとの『ロミオとジュリエット』とは違い、最後は希望のある終わり方になっているところがいい。同性愛者の若者が不幸になって終わるだけの悲しい話ではないのである。ジュリエットとジュリエットは引き裂かれても愛し合い、再会することができた。あまりにも楽観的な終わり方といえばそうだが、それでも長調の和音で終わっているところは爽やかさがある。

『朝日新聞』日曜版EduAにインタビュー記事がのりました

 本日付の『朝日新聞』日曜版EduA「ハイスクールラプソディ」に私のインタビューが掲載されました。高校生の頃のことについていろんな人に話を聞くという連載の企画です。中学校時代不登校だったことや、高校(旭川東)で図書委員だったことについて話しました。

表象文化論学会第14回研究発表集会

 表象文化論学会第14回研究発表集会の実況まとめです。「トーク 「表現の不自由展・その後」──何が起きたか/何を引き継ぐか」の後、映画の部屋・演劇の部屋中心のまとめです。

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